本寺専修寺
数年前に三重県にある浄土真宗高田派本山の専修寺を訪れたことがある
親鸞(53歳)が、この地に専修念仏の根本道場(如来堂)を建立したのが起源
その後、戦乱などにより衰退し、中心は三重県に移っていった
史跡 専修寺境内
境内は「親鸞聖人の宗教史跡」として、国の史跡に指定されている
石橋を渡ると正面に総門が見えてくる
総門(重要文化財)
茅葺の棟門。柱は、親鸞聖人建立当時のものと伝えられる
「親鸞聖人御手植霊木」
「手水舎」
楼門(重要文化財)
総欅造り二間四方の山門(楼門)。如来堂の前に建つ
前天台座主一品公猷親王の筆になる「高田山」の扁額
如来堂(重要文化財)
本寺 専修寺の本堂で、嘉禄2年(1226)に親鸞が自ら建立した唯一のお堂と云われている
現在のお堂は、延享元年(1744)に再建されたもの
屋根は銅板葺きで千鳥破風には菊の御紋が付けられている
本堂の奥の金庫に本尊一光三尊仏が秘仏として安置されている。
一光三尊仏の御開帳は、特別の機会を除いては17年毎
「鐘楼」 鐘楼堂は嘉永2年(1849)の作
鐘は300余年昔、江戸の門徒から寄進されたもの
御影堂(重要文化財)
親鸞聖人はじめ、歴代上人像をお祀りしている
間口23.71m 奥行20.07m 単層寄棟造 向拝三間付
外廻りは派手な装飾を抑えた地味なお堂だが、中へ入ると一転して華麗な装飾
「太子堂」
親鸞聖人の聖徳太子への尊崇は非常なものであった
この太子堂も 聖人の建立と伝えられている
「忠魂碑」
「鼓楼」 弘化3年(1846)の建築で、二間四面袴腰付きの入母屋造り
楼上には直径1mの太鼓があり、重要な行事の開始を告げる
「涅槃堂」 平成12年(2000)に建立。寄棟造りの優雅な形をした五 間四面の建物
釈迦如来涅槃像(栃木県指定文化財)
「庫裏」
長屋門から総門を見る
撮影 平成30年10月11日
数年前に三重県にある浄土真宗高田派本山の専修寺を訪れたことがある
親鸞(53歳)が、この地に専修念仏の根本道場(如来堂)を建立したのが起源
その後、戦乱などにより衰退し、中心は三重県に移っていった
史跡 専修寺境内
境内は「親鸞聖人の宗教史跡」として、国の史跡に指定されている
石橋を渡ると正面に総門が見えてくる
総門(重要文化財)
茅葺の棟門。柱は、親鸞聖人建立当時のものと伝えられる
「親鸞聖人御手植霊木」
「手水舎」
楼門(重要文化財)
総欅造り二間四方の山門(楼門)。如来堂の前に建つ
前天台座主一品公猷親王の筆になる「高田山」の扁額
如来堂(重要文化財)
本寺 専修寺の本堂で、嘉禄2年(1226)に親鸞が自ら建立した唯一のお堂と云われている
現在のお堂は、延享元年(1744)に再建されたもの
屋根は銅板葺きで千鳥破風には菊の御紋が付けられている
本堂の奥の金庫に本尊一光三尊仏が秘仏として安置されている。
一光三尊仏の御開帳は、特別の機会を除いては17年毎
「鐘楼」 鐘楼堂は嘉永2年(1849)の作
鐘は300余年昔、江戸の門徒から寄進されたもの
御影堂(重要文化財)
親鸞聖人はじめ、歴代上人像をお祀りしている
間口23.71m 奥行20.07m 単層寄棟造 向拝三間付
外廻りは派手な装飾を抑えた地味なお堂だが、中へ入ると一転して華麗な装飾
「太子堂」
親鸞聖人の聖徳太子への尊崇は非常なものであった
この太子堂も 聖人の建立と伝えられている
「忠魂碑」
「鼓楼」 弘化3年(1846)の建築で、二間四面袴腰付きの入母屋造り
楼上には直径1mの太鼓があり、重要な行事の開始を告げる
「涅槃堂」 平成12年(2000)に建立。寄棟造りの優雅な形をした五 間四面の建物
釈迦如来涅槃像(栃木県指定文化財)
「庫裏」
長屋門から総門を見る
撮影 平成30年10月11日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます