今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

箱根関所(神奈川県足柄下郡箱根町)

2015年10月28日 | 名所・旧跡
鎌倉観光の最後となった鶴岡八幡宮を出発し、バスには新しい2名の仲間が合流した
渋滞もあったが、雨の江ノ島海岸や江ノ電、葉山御用邸などTVなどでしか知らない場所が車窓から見えてくる
雨の江ノ島海岸、多くの人達がウインドサーフィンを楽しんでいる



江ノ島は湘南を代表する景勝地らしいが車窓からではわからない
デートスポットも沢山あるらしいが、年齢的にもう遅い



それよりも雲間から見える青空の方が気になる
明日は横浜中華街で最後の昼食だ。晴れてほしい
途中、箱根駅伝の走路を横断した
母校も出場しているだけに盛り上がった。今年も期待したい



史跡 箱根関跡
東海道は江戸と京都・大坂の三都間を結ぶ最重要交通路
通行時間は明け6つから暮れ6つまでと規定されて夜間通行は原則禁止された



「入鉄炮に出女」に象徴される厳重な監視体制が採られた
寛永年間に同じ東海道の今切関所が江戸に入る鉄砲(入鉄炮)を監視し
箱根が江戸から出る女性(出女)を監視する任務を主とするようになった









箱根関所は番頭1・平番士3・小頭1・足軽10・仲間・定番人3・人見女2・その他非常用の人夫から構成されている



女の身体的特徴を専門に検分する人見女(髪改め女)が常駐し、出女の監視を行っていた

 
 
説明書きが足下に置かれていて分かりやすい



関所破りは重大な犯罪とされ、これを行おうとした者、あるいはそれを手引きしたものは磔などの厳罰が課された



慶応3年(1867年)8月には慶応の改革に伴って、手形が無くても関所の通行が許可されるようになり、関所改めは廃止された



役者による当時の様子を語る寸劇が突然始まった。これまでが単調だっただけに実に面白い



この3名の役者のお蔭で「箱根関」が記憶に残っている
この後、資料館で歴史を学んだが見聞きしたことが浮かんでこない



そばに芦ノ湖があり、観光船が出港した



マイクロバスは今夜の宿泊地である熱海を目指す。ホテルで更に仲間が2名合流した
この夜は少し変わったセルフサービスの宴会となった。終了後は、部屋に皆が集まり二次会
とても中高年の集まりとは思えないドンチャン騒ぎ。涙が出るほど笑った

撮影 平成27年10月10日

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2 コメント

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もう記憶が遠すぎて… (OTETSUDAI @)
2015-10-28 17:05:02
北海道の海の色や空の色(天気にもよりますが)が全く異なることが分かります。江ノ島の海…確か大昔に行ったこと(観たこと)があるのですが、記憶から消えて定かではありません。関所は初めて写真で拝見して知りました。伊豆方面に行く時には箱根ルートを避けて十石峠から行っていました。芦ノ湖も行った記憶があるのですが漠然としています。遊覧船の記憶も不確かです。見た記憶はありますが乗った記憶はないのは確かです。
同窓会はいいものですね。気心知った人たちの集まり。私も定年前にクラス会を行いましたが授業に出ていなかったので顔と名前は一致しないままでした。もう幹事を勤める輩もいなくて2年間だけでした。楽しさも写真に表れている感じがします。ありがとうございました。
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掟破りの夜となりました (2014kurumatabi)
2015-10-28 18:21:52
 コメントをいただきありがとうございます。
 このように楽しい同期会が開催できるのも、幹事の心遣いのお蔭です。今、終わったばかりですが次回の九州開催が本当に楽しみで、それまで健康に過ごすことができるよう努力したいと思います。
 箱根関跡は国の史跡になっていました。防衛のため「入鉄炮」は理解できましたが「出女」についてはよく分かりません。監視がかなり厳しかったようですが、女性が大事にされていたということでしょうか。
 マイクロバスによる観光もこれが最後となり、この後、熱海のホテルに向かいました。この夜も午前1時まで大盛り上がり。18歳の頃に戻っていました。
 関所破りは磔ですが、掟破りの罰は寝不足と二日酔いのようです。
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