広大な敷地の豊川稲荷、初めて訪れたこともあってボランティアガイドのお世話になった
約1時間説明を聞く事に徹し、その後写真を撮るためもう一度同じ場所を廻った
宝雲殿
本尊に釋迦牟尼佛十三佛を祀り、後壇を檀信徒の位牌堂とする仏事、法要を行う殿堂
禅堂(万燈堂)
文久3年(1863年)建立。かつては信者が燈明をあげられたお堂で、中央に不動尊を祀る
戦後、座禅堂に改修された。座禅修行の道場
小窓を開けると内部に七福神が安置
「准提観音」
弘法堂
大黒堂
堂前の左右に立つ石像は、手に触れさすることで福徳を授かるといわれる
新しい石像が参詣者の手によって変化していく様子が面白い
どこに触れさすっているかがよくわかる
かなり進行しているがこれ以上ボケないようにと頭を、これ以上出ないようにとお腹をさすってみた
大黒堂内に置かれていた石像。多くの人に福徳を与えたことがよくわかる
奥の院参道
ところどころに置かれている狐像
霊狐塚
大きな岩の塊は富士山噴火の溶岩
岩の上の狐
赤い箱の奥の隙間にも狐(どん底の状況)
商売繁盛などの願いが叶った人が
お礼に狐像を奉納していくそうだ
この数を見ているとご利益がありそうな感じがする
奥の院
文化11年建立。もと本殿の拝殿であったのを昭和5年の改築に際して奥の院拝殿とした
納符堂
景雲門
安政5年創建。もとは奥の院拝殿であったが、昭和5年に移転
三重塔
人生の後半を生きている人達が間断なく訪れる
書院
立願所
書院と立願所の中央にある赤いポスト。現役では日本一古いポスト
正式名称はわからないが境内にたくさん並んでいるのぼり。有名人も寄進している
大リーガーの鈴木一朗(イチロー)氏もその一人。有名すぎて室内に置かれている
総門横に咲いていた美しい花
撮影 平成29年5月11日
約1時間説明を聞く事に徹し、その後写真を撮るためもう一度同じ場所を廻った
宝雲殿
本尊に釋迦牟尼佛十三佛を祀り、後壇を檀信徒の位牌堂とする仏事、法要を行う殿堂
禅堂(万燈堂)
文久3年(1863年)建立。かつては信者が燈明をあげられたお堂で、中央に不動尊を祀る
戦後、座禅堂に改修された。座禅修行の道場
小窓を開けると内部に七福神が安置
「准提観音」
弘法堂
大黒堂
堂前の左右に立つ石像は、手に触れさすることで福徳を授かるといわれる
新しい石像が参詣者の手によって変化していく様子が面白い
どこに触れさすっているかがよくわかる
かなり進行しているがこれ以上ボケないようにと頭を、これ以上出ないようにとお腹をさすってみた
大黒堂内に置かれていた石像。多くの人に福徳を与えたことがよくわかる
奥の院参道
ところどころに置かれている狐像
霊狐塚
大きな岩の塊は富士山噴火の溶岩
岩の上の狐
赤い箱の奥の隙間にも狐(どん底の状況)
商売繁盛などの願いが叶った人が
お礼に狐像を奉納していくそうだ
この数を見ているとご利益がありそうな感じがする
奥の院
文化11年建立。もと本殿の拝殿であったのを昭和5年の改築に際して奥の院拝殿とした
納符堂
景雲門
安政5年創建。もとは奥の院拝殿であったが、昭和5年に移転
三重塔
人生の後半を生きている人達が間断なく訪れる
書院
立願所
書院と立願所の中央にある赤いポスト。現役では日本一古いポスト
正式名称はわからないが境内にたくさん並んでいるのぼり。有名人も寄進している
大リーガーの鈴木一朗(イチロー)氏もその一人。有名すぎて室内に置かれている
総門横に咲いていた美しい花
撮影 平成29年5月11日
キツネの表情は様々で口にくわえている意味もわかりませんが、写真を撮っていて気付いたことは、このキツネのほとんどが(私の写真では表現できて以内可能性もありますが)同じ方を向いているということです。確認のため後方に廻ってみましたが間違いありません。何処を見ているかも残念ながらわかりませんでした。これだけ数が揃うと圧巻でこの場に数十分立って写真を撮っていました。
さて、キツネにだまされる話しはこれまで多くの話しがありますが、幸運にも私はその経験がありません。キツネより恐いのが何と言っても人間だと思っているからかも知れません。
北海道では今でも走行中にキタキツネや鹿を時々目にします。その時は車を止めて遠くから眺めています。
いつもありがとうございます。
すごい狐の像ですね。信者も多いことと思います。
赤いポストは懐かしいです。道内の沼田町は雪が深いところで昔は足下に投函口が位置したくらいとか…
大フアンのイチローの名前が記されました。本日はホームランを打ったとネットで観て大喜びです。
狐が口に咥えているのは何でしょうか。油揚ではないような気がします。狐がホントに人を騙すのは嘘だと思っていましたが、以前長野県に住んでいた人から聞いたことがあります。自転車の後ろに油揚を乗せて家路に帰る途中に急に自転車が重くなりパンクしたと思ったと。家に帰ったら油揚はなく頭痛に襲われてしばらく寝込んだと言う話しを聞いたことがあります。その人は東大教授でしたから嘘はないと思います。
私は夜中に山道(北海道紋別~旭川間)を走っていると前方に人影がいるような気がして恐ろしくて徐行しました。徐々にそれがキタキツネと分かるまでは随分時間を要しました。ワルサはされませんでしたが、こんな性格になったのはキタキツネの進路妨害の祟りかも知れません。下らない事を記して失礼しました。コメントは書きようもないでしょうから読み流して下さい。
ありがとうございました。