今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

高雄山 神護寺(京都府京都市右京区梅ケ畑高雄町)

2013年07月25日 | 神社・仏閣
神護寺の歴史
神護寺は、京都市右京区高雄にある高野山真言宗遺迹(ゆいせき)本山の寺院で、山号を高雄山と号する。本尊は薬師如来、開基は和気清麻呂である。

神護寺は,道鏡の天皇即位を阻止した和気清麻呂一族の氏寺と考えられている高雄山寺とやはり和気氏ゆかりの神願寺とが合併して誕生した寺である。
吸収された神願寺が何処にあったかははっきりしないが,その神願寺が朝廷の管理下にあり一定の保護が受けられる「定額寺」の資格を有していたことから,それを神護寺が受け継ぎ格式の高い寺となった。

その神護寺に行くには苦労もある。車を駐めた時に係の方が話してくれたが長い石段である。
最近石段にはかなり慣れてきたが、楽に行くいい方法を思いついた。自分の年齢までの石段は休まず上るということだ。
そうすることによって自分の意志の強さも知ることができるし、正確に階段の数を数えることができる。
私もよい発見と思いさっそく実践してみた。 




硯石
この写真は帰り道に撮ったものだが、休憩するきっかけとなる石。



個人差はあるが20~30分程度で楼門にたどり着くことができる。
楼門が見えたときには多くの参拝者は喜びを感じる。私も写真を写したが動悸や息切れ、体の震えでなかなか焦点を合わすことができなかった。
ここから、さらに年齢分を歩かなければいけないが今まで以上に足が重く感じる。




楼門
参道から急な石段を上りつめた先に建つ正門。毘沙門堂などと同様、元和9年(1623)の建立とされる。









楼門をこえると急に視界が開け、苦労した石段のことが記憶からなくなるから不思議だ。



和気公霊廟






鐘楼
元和9年(1623)の再建とされる。楼造の鐘楼で、楼上に国宝の梵鐘がある。






鐘を見ることができないので鐘楼とは気づきにくい。
この日も日差しが強くこの角度以外は写真が真っ白になってしまい写ってくれない。




金堂
楼門を入って境内奥へ進み、右手の石段を上った先に建つ。
入母屋造、本瓦葺きの本格的な密教仏堂であるが、建築年代は新しく、昭和9年(1934)に実業家の寄進で建てられたものである。




この堂内には写真家の土門拳氏が日本一という「薬師如来立像(国宝)」が安置されている。
土門拳の写真集から印象に残っている古寺を巡礼しているだけに拝観をを楽しみにしていた。
神護寺は境内は無料であるが金堂内での拝観は料金が必要になる。
しかし、こんなすばらしい仏像を間近で観ることができることは幸運である。
ぜひ多くの参拝者にも観てもらいたい仏様だ。


木造薬師如来立像(国宝)
金堂本尊。像高170.6センチ、カヤ材の一木造。唇に朱を、眉、瞳などに墨を塗るほかは彩色などを施さない素木仕上げの像である。
目を細めた森厳で沈うつな表情と体躯のボリューム感は、親しみよりも威圧感を見る者に与える。







金堂を出てからのことだが、入れ違いに僧侶が入ってきて、大きな声で何かを話していた。
その数分後、金堂内でさらに大きな声で口論が始まった。
原因はわかないが係の方が、ここは仏さんの前だから出て行ってくれと僧侶を追い出していたという感じだった。
余韻を楽しんでいただけに、……。


多宝塔
金堂からさらに石段を上った高みに建つ。金堂と同様、昭和9年(1934)、実業家の寄進で建てられたものである。
内部に国宝の五大虚空蔵菩薩像を安置する。




写真を撮る場所に苦慮する多宝塔。



地蔵院
 





かわらけ投げ 
神護寺の境内の一番奥、地蔵院前の展望広場から錦雲峡に向かって投げる「かわらけ投げ」。 
境内の売店で売られている素焼きの皿「厄除かわらけ」を投げて、厄除けを行う。
普段はしないが、あまりにも素晴らしい景色につい気持ちが動いた。
風景写真など撮ることはないがつい指を押してしまった1枚である。




緑一色の景色の中に咲く花






大師堂(重要文化財)
入母屋造、杮(こけら)葺きの住宅風の仏堂。
空海の住房であった「納涼房」を復興したもので、現存するものは近世初期の再建である。
内部の厨子に正安4年(1302年)作の板彫弘法大師像(重文)を安置する。







神護寺は空海が東寺や高野山の経営に当たる前に一時住した寺であり、最澄もここで法華経の講義をしたことがあるなど、日本仏教史上重要な寺院である。
空海はこの寺で灌頂を行っていて「灌頂歴名」に空海が灌頂を行った者の名が列記されているが,最澄の名が最初にあがっている。
かつて空海がこの地で生活していたと考えるだけでロマンがある。
空海と最澄が出会い別れた場所でもあり一度訪れたいと思っていただけに夢は叶った。
 


 
毘沙門堂
金堂が建つ前はこの堂が金堂であり、本尊の薬師如来像もここに安置されていた。
元和9年(1623)の建築。内部の厨子に平安時代の毘沙門天立像(重文)を安置する。













五大堂






明王堂



遠くに楼門が見える



帰り道楼門を振り返ると






石段の数であるが、自分の年齢で一度休み、二度・三度休んでいるうちに、これは老人には勧めることができないものだということがわかった。
それからは年齢に関係なく疲れたら積極的に休もうとの自分に甘い考え方になり正確な数は把握していないが、390段(±20)だと考えている。


撮影 平成25年5月24日

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