今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

東光山 岡寺<龍蓋寺>(奈良県高市郡明日香村岡)

2020年11月27日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年9月23日

東光山 岡寺<龍蓋寺>
岡寺周辺には何度か訪れているのに何故か縁のない寺であった
岡寺駐車場に車を駐め、係の女性に寺の場所を聞いた



しばらく歩くと山門らしきものが見えてきた



受付所で拝観料を納める



仁王門(重要文化財)
慶長17年(1612)建立



明日香村において建造物で唯一、重要文化財に指定されているのは、岡寺のこの仁王門と書院だけ



扁額には寺号の「龍蓋寺(りゅうがいじ)」
「岡寺」「龍蓋寺」の2つの寺号がある
「岡寺」は地名に由来する寺号、「龍蓋寺」は建立当初の正式名



「仁王像」 金網が障害となり片方のみ






「手水舎」 コロナ禍で使用できない寺社も多い



手水鉢には花がいっぱい浮かんでいて心が和む



「歌碑」  君が目に 永遠に消ざらむ
       ふるさとの あすかの岡の 夕日の月 <利文>



初めての寺では散策がてら周囲を記録していく






境内図によると、この階段を上がると塔があるはずだ



階段の上から仁王門を眺める



「大師堂」



本尊:宗祖 弘法大師



「稚児大師像」と「修行大師像」



「三重宝塔」
古来三重宝塔は旧境内地に建っていたが、文明4年(1472年)大風により倒壊



昭和61年に実に514年ぶりに再建



平成6年より三重宝塔の荘厳として扉絵・壁画・琴などの作成に着手し、平成13年に完成



軒先に荘厳として琴が吊るされている



楼門・開山堂が見える



本堂が見える



「歴代供養墓」



「開山 義淵僧正廟所」
義淵僧正は日本の法相宗の祖
門下には東大寺創建に関わった「良弁や行基」などがいた



延文5年(1360年)建立



細い参道を歩き石窟を目指す



「奥の院石窟堂(弥勒の窟)」
私の前に若い男女が入って行った
「ぎゃー」という男女の声の後に蝙蝠が飛び出てきた



弥勒菩薩座像



「稲荷明神社(如意稲荷社)」






周辺にあった石仏。苔が袈裟のようになっている






「十三重石塔」 大正15年(1926年)建立



「龍蓋池」 龍蓋寺の由来となった池。義淵僧正の伝説が伝わる



義淵がこの地の民を苦しめていた悪龍を当寺の池(現、龍蓋池)に封印して石で蓋をし、悪龍の厄難を取り除いた



以来、「日本最初のやくよけ霊場」となり、鎌倉時代にはすでにその信仰が広まっていた



「本堂(奈良県指定文化財)」
創建は寺伝によると1300年前、天智天皇の勅願によって義淵僧正が建立



<義淵僧正伝説>
大和国に子供に恵まれない夫婦がおり、彼等は日々観音様に子が授かるよう祈りを捧げていた
ある日の夜突然子供の泣き声がして、表に出てみると柴垣の上に白い布に包まれた赤子がいた
驚き中に連れて入ると馥郁たる香りがたちまちに家の中に満ちた
その後,この夫婦に養育されていた



その噂を聞いた天智天皇は観音様の申し子だとしてこの子供を引き取られ、岡宮で草壁皇子(662~689)とともに育てられた
この子供こそ後の義淵僧正その人である






本堂外陣









塑造如意輪観音坐像 (重要文化財)
奈良時代、像高4.85mの日本最大の塑像である



寺社連続油被害事件の被害に遭った寺社の一つでもある






「開山堂」






「鐘楼堂」



「楼門(奈良県指定文化財)」
慶長年間(1596年 - 1615年)頃建立
独特の形式を持つ小型の鐘楼門として大変珍しい遺構であるといわれている



手水舎、仁王門を後に駐車場に戻る



撮影 令和2年9月23日

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