今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

保寧山 瑠璃光寺(山口県山口市香山町)

2020年02月16日 | 神社・仏閣
訪問日 令和元年6月10日

保寧山 瑠璃光寺
山口県に入ったら「瑠璃光寺の五重塔」のことが真っ先に頭に浮かぶ
相輪の尖端まで31.2メートル。高さを感じて貰うために人物を入れてみた



瑠璃光寺五重塔(国宝)
五重塔は応仁の乱(足利義満との戦い)で亡くなった大内義弘の霊を弔うため、弟の盛見が嘉吉2年(1442年)に建築した
大内文化の最高傑作と称され国宝に指定されている



京都の醍醐寺、奈良の法隆寺、そして山口の瑠璃光寺と、日本三名塔の1つに数えられている



塔を背景に数組から記念写真を頼まれる
大阪からきたという庶民的なファッションG「し○む○」の女店員だというが話しを聞いているだけで楽しくさせてくれる






以前来たときに地元の人がここから見る五重塔が一番だと話してくれた場所だ



画聖 雪舟像






山門
扁額には山号の「保寧山」 境内には先ほどのグループの笑い声が聞こえてくる
これまで4・5回訪れているの寺なので、今回は塔だけと思っていたのだが……



「慈母観音」



「わらべ地蔵」



「経塚(石造五重塔)」



正面に本堂が見える



「後生車(閻魔大王)」



「身代り地蔵」



「知足の手水鉢」



「吾唯足知」 「足るを知る」実に良い言葉だ



「水掛け地蔵」 ぼけはかなり進行しているので大量に水を掛けてみた



本堂
本堂前が静かになってきたので移動することにした。






堂内の様子



私のお腹も立派になってきている






弥勒菩薩









本尊「薬師如来」


















佛足石






鐘楼


















大内 弘世公像
室町幕府時代初期の守護大名。周防一国の守護から、厚東氏を降して長門の守護も獲得
さらに 南朝方の足利義冬を石見から追い払って石見守護の地位も手にする



正平15年/延文5年(1360年)に本拠を大内館から山口へ移転
京都に倣った都市計画に基づく市街整備を行い、後の大内文化に繋がる基礎を築いた












「長州は、いい塔をもっている」(司馬遼太郎:街道をゆく)






撮影 令和元年6月10日

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