今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

金剛山 光明寺 最勝院(青森県弘前市大字銅屋町)

2021年09月20日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年6月11日

金剛山 光明寺 最勝院
駐車スペースが少ないということを知っていたため早めに道の駅を出発した
重要文化財に指定されている五重塔は日本最北に位置する

新仁王門
昭和58年(1983年)の再建



正面に本堂



鐘楼
藩政時代から戦前まで『時の鐘』があったが、戦争の供出により一時その姿を消した
昭和31年(1956年)に商工会が中心となり普請を行い、最勝院境内に復元した



「平和の鐘」
この鐘楼、梵鐘は商工会から最勝院へ寄進された
現在は『平和の鐘』として平和を祈りつつ心を込めて撞かれている






本堂
昭和45年(1970年)九月の再建
天文元年(1532年)に高僧 弘信上人が、堀越城外萩野の地に三宇の伽藍を造営し開基
慶長14年(1609年)二代 津軽藩主信枚が現在の弘前城を築いた
慶長16年(1611年)弘前城の鬼門に当たる田町へ移転し弘前八幡宮別当となる



明治時代の神仏分離令により12か寺の塔頭寺院は、最勝院以外の11か寺は廃寺となった
最勝院は廃寺となった寺院の檀家衆を引き受けて現在地(旧大圓寺跡)に寺籍を移転した



扁額「最勝院」



本尊:大日如来像



本坊



輪廻塔



水屋



水屋を飾る彫刻












護摩堂
護摩堂は、旧大圓寺の本堂であった



「密厳舎」額
密教の大日如来の浄土が密厳浄土ということからきている



聖徳太子堂



六角堂(如意輪観世音菩薩堂)



五重塔(重要文化財)
寛文7年(1667年)に完成した旧大圓寺の塔で方3間、総高31.2m



藩祖 津軽為信の津軽統一の際に戦死した敵味方の将士らを供養するために建立された



文化財の指定説明にも
「實ニ東北地方第一ノ美塔ナリ」とあるなど均整のとれた美しい姿として有名である













撮影 令和3年6月11日

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