訪問日 令和3年11月10日
巨福山 建長興国禅寺
鎌倉五山(建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺)の寺格第一位が建長寺となる
総門
天明3年(1783年)の建立
昭和15年(1940年)に京都の般舟三昧院から移築されたもの
「巨福山」の額は建長寺10世住持で書の名手である渡来僧・一山一寧の筆と伝える
「巨」字の第3画目の下に、余分な「点」が書き加えられていることによって字に安定感が出ているとされる
さざれ石
三門(重要文化財)
創建者である蘭溪道隆の言葉に
「建長寺は、禅をまなぶすべての人に開け放たれている
この境内には人を差別しない清風が、いつも吹いている」とある
寺号の「建長興国禅寺」の扁額
鐘楼
梵鐘(国宝)
建長7年(1255年)、鋳物師物部重光の制作
銘は蘭渓道隆が撰(作文)し、筆を執ったもの
銘文中の「建長禅寺」は、日本における「禅寺」の語の初見とされている
漱石と子規
仏殿(重要文化財)
現在の建物は、創建当初より4代目のものといわれる
東京の芝の増上寺にあった徳川二代将軍秀忠公夫人(お江の方)の霊屋を建長寺が譲り受けた
正保4年(1647年)に建長寺に移築された
堂内の様子
本尊 地蔵菩薩坐像(室町時代の作、像高2.4m)
地蔵菩薩は、天国から地獄に至るまで、すべての生物を救い、成仏させると誓う菩薩
天井画
彫刻
法堂(重要文化財)
入母屋造、方三間、裳階(もこし)付き、銅板葺き
文化11年(1814年)の上棟、文政8年(1825年)の竣工である
鎌倉最大級の木造建築
「海東法窟」の額は、「中国・宋から海を渡って仏法が伝えられた寺」という意味がある
堂内の様子
本尊 千手観音坐像
2005年愛知万博に陳列されたラホール中央博物館所蔵の「釈迦苦行像」のレプリカが愛知万博終了後にパキスタンより寄贈された
雲龍図
建長寺の創建750年を記念して、小泉淳作画伯によって描かれた
天井の雲龍図は、鏡天井に直接描かれたものではなく、別に制作された絵を掲げたものである
華厳小宝塔
唐門(重要文化財)
寛永5年(1628年)東京・芝・増上寺で徳川二代将軍秀忠夫人(お江の方)の霊屋の門として建てられた
正保4年(1647年)仏殿・西来門と共に建長寺に寄附された
方丈(龍王殿)の正門として使用
方丈側から
方丈入口
「竜王殿」とも称する
総門と同じく、京都の般舟三昧院から移築したもの
庭園は夢窓疎石の作といわれる
最後になったが
建長寺は鎌倉幕府第5代執権・北条時頼によって創建された禅宗寺院である
撮影日 令和3年11月10日
巨福山 建長興国禅寺
鎌倉五山(建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺)の寺格第一位が建長寺となる
総門
天明3年(1783年)の建立
昭和15年(1940年)に京都の般舟三昧院から移築されたもの
「巨福山」の額は建長寺10世住持で書の名手である渡来僧・一山一寧の筆と伝える
「巨」字の第3画目の下に、余分な「点」が書き加えられていることによって字に安定感が出ているとされる
さざれ石
三門(重要文化財)
創建者である蘭溪道隆の言葉に
「建長寺は、禅をまなぶすべての人に開け放たれている
この境内には人を差別しない清風が、いつも吹いている」とある
寺号の「建長興国禅寺」の扁額
鐘楼
梵鐘(国宝)
建長7年(1255年)、鋳物師物部重光の制作
銘は蘭渓道隆が撰(作文)し、筆を執ったもの
銘文中の「建長禅寺」は、日本における「禅寺」の語の初見とされている
漱石と子規
仏殿(重要文化財)
現在の建物は、創建当初より4代目のものといわれる
東京の芝の増上寺にあった徳川二代将軍秀忠公夫人(お江の方)の霊屋を建長寺が譲り受けた
正保4年(1647年)に建長寺に移築された
堂内の様子
本尊 地蔵菩薩坐像(室町時代の作、像高2.4m)
地蔵菩薩は、天国から地獄に至るまで、すべての生物を救い、成仏させると誓う菩薩
天井画
彫刻
法堂(重要文化財)
入母屋造、方三間、裳階(もこし)付き、銅板葺き
文化11年(1814年)の上棟、文政8年(1825年)の竣工である
鎌倉最大級の木造建築
「海東法窟」の額は、「中国・宋から海を渡って仏法が伝えられた寺」という意味がある
堂内の様子
本尊 千手観音坐像
2005年愛知万博に陳列されたラホール中央博物館所蔵の「釈迦苦行像」のレプリカが愛知万博終了後にパキスタンより寄贈された
雲龍図
建長寺の創建750年を記念して、小泉淳作画伯によって描かれた
天井の雲龍図は、鏡天井に直接描かれたものではなく、別に制作された絵を掲げたものである
華厳小宝塔
唐門(重要文化財)
寛永5年(1628年)東京・芝・増上寺で徳川二代将軍秀忠夫人(お江の方)の霊屋の門として建てられた
正保4年(1647年)仏殿・西来門と共に建長寺に寄附された
方丈(龍王殿)の正門として使用
方丈側から
方丈入口
「竜王殿」とも称する
総門と同じく、京都の般舟三昧院から移築したもの
庭園は夢窓疎石の作といわれる
最後になったが
建長寺は鎌倉幕府第5代執権・北条時頼によって創建された禅宗寺院である
撮影日 令和3年11月10日
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