2年前の夏、出雲大社参拝に訪れた。当日は猛暑で私の服装はTシャツ、短めのズボン、足下はサンダルという軽装。当時、大遷宮中のため現在の拝殿が御仮殿となっていた。
参拝を済ませ、他の参拝者が並んでいるところへ行くと、係員が寄ってきてその服装では中に入ることはできないと注意された。
苦い経験をして、今年は5月中旬にしては暑い日だったが、上着をはおりYシャツにネクタイまで、荷物にはなったが黒い革靴まで準備してきた。
勢溜の大鳥居
勢橋を越えると鳥居があり、ここからは参道の中央が閉鎖されていて左右の参道を歩いて行く。
銅鳥居
出雲大社の神域の荒垣正門に立つ。この碧銅の鳥居は、寛文六(1666)年六月毛利輝元の孫綱広の寄進。
拝殿
現在の拝殿は、昭和34年5月に竣功された。通常は参拝者の御祈祷が行われ、古伝新嘗祭等のお祭の他、さまざまな奉納行事が行われる。
本殿(国宝)
本殿は、大国主大神がお鎮まりになっている、大国主大神の御事蹟に対して建てられた宮。
高さ約24メ-トルの偉容は、神徳にふさわしく比類のない大規模な木造建築の本殿である。
「大社造り」と呼ばれる日本最古の神社建築様式の御本殿は、現在国宝に指定されている。
出雲では、鳥も神様の前では身を清める
神楽殿
境内を西の門から出て川を渡ったところに神楽殿がある。
本殿と同じように朝夕のおまつりの他、御神楽や御祈祷が奉仕される。
また全国には出雲大社教のおしえを広く伝えるための教会や講社があるが、それら教会・講社に属する人々が揃ってお参りされおまつりを受けられることを「おくにがえり」と言い、ここ神楽殿でそのおまつりが奉仕される。
神楽殿はもともと明治12年出雲大社教が組織化された当時、その教化のために大国主大神さまを本殿とは別におまつりしたことに由来する。現在の建築は昭和56年に新築された。
その大広間は270畳敷きの広さをほこり、神社建築にはめずらしく、正面破風の装飾にステンドグラスが使われている。ここに掛かる注連縄は長さ13メートル、重さ5トンの巨大なもので「国引き神話」の出雲を象徴するかのようだ。
摂末社
荒垣をさかいとする境内・境外に合わせて23建てられている摂末社。
出雲大社の祭神である大国主大神の后神・御子神など特に関係の深い神々を祀る摂社と、それに次ぐ末社。
祓社(はらいのやしろ)
氏社(うじのやしろ)
十九社(じゅうくしゃ)二宇
神在祭の間(旧暦10/11~17)、集われた全国各地の神々の宿所となる社。
通常は全国各地の神々の遙拝所。
素鵞社(そがのやしろ)
祭神 素戔鳴尊(すさのおのみこと)
天照大御神の弟神で、出雲国の肥河上での八岐の大蛇退治はあまりにも有名。
また大国主大神の親神であられ、大神に国づくりの大任を授けられた。
釜社(かまのやしろ)
鎮守社
彰古館
出雲大社に伝わる各種資料を陳列
朝7時から約2時間出雲大社で過ごしたことになる。
本殿遷座祭が5月10日に行われたばかりで8時頃から参拝者の数が増えてきた。
駐車場も満車状態で長い車の列が続いていた。予想はしていただけに早い時間にきて良かった。
さて、服装のことであるが、私が以前注意を受けた格好でも何も言われている様子がない。
今日は数多くの神様にお参りしたので、この後、きっと良いことがあるに違いない。それにしても四拍手は数が多いだけに手が痛くなる。
撮影 平成25年5月15日
参拝を済ませ、他の参拝者が並んでいるところへ行くと、係員が寄ってきてその服装では中に入ることはできないと注意された。
苦い経験をして、今年は5月中旬にしては暑い日だったが、上着をはおりYシャツにネクタイまで、荷物にはなったが黒い革靴まで準備してきた。
勢溜の大鳥居
勢橋を越えると鳥居があり、ここからは参道の中央が閉鎖されていて左右の参道を歩いて行く。
銅鳥居
出雲大社の神域の荒垣正門に立つ。この碧銅の鳥居は、寛文六(1666)年六月毛利輝元の孫綱広の寄進。
拝殿
現在の拝殿は、昭和34年5月に竣功された。通常は参拝者の御祈祷が行われ、古伝新嘗祭等のお祭の他、さまざまな奉納行事が行われる。
本殿(国宝)
本殿は、大国主大神がお鎮まりになっている、大国主大神の御事蹟に対して建てられた宮。
高さ約24メ-トルの偉容は、神徳にふさわしく比類のない大規模な木造建築の本殿である。
「大社造り」と呼ばれる日本最古の神社建築様式の御本殿は、現在国宝に指定されている。
出雲では、鳥も神様の前では身を清める
神楽殿
境内を西の門から出て川を渡ったところに神楽殿がある。
本殿と同じように朝夕のおまつりの他、御神楽や御祈祷が奉仕される。
また全国には出雲大社教のおしえを広く伝えるための教会や講社があるが、それら教会・講社に属する人々が揃ってお参りされおまつりを受けられることを「おくにがえり」と言い、ここ神楽殿でそのおまつりが奉仕される。
神楽殿はもともと明治12年出雲大社教が組織化された当時、その教化のために大国主大神さまを本殿とは別におまつりしたことに由来する。現在の建築は昭和56年に新築された。
その大広間は270畳敷きの広さをほこり、神社建築にはめずらしく、正面破風の装飾にステンドグラスが使われている。ここに掛かる注連縄は長さ13メートル、重さ5トンの巨大なもので「国引き神話」の出雲を象徴するかのようだ。
摂末社
荒垣をさかいとする境内・境外に合わせて23建てられている摂末社。
出雲大社の祭神である大国主大神の后神・御子神など特に関係の深い神々を祀る摂社と、それに次ぐ末社。
祓社(はらいのやしろ)
氏社(うじのやしろ)
十九社(じゅうくしゃ)二宇
神在祭の間(旧暦10/11~17)、集われた全国各地の神々の宿所となる社。
通常は全国各地の神々の遙拝所。
素鵞社(そがのやしろ)
祭神 素戔鳴尊(すさのおのみこと)
天照大御神の弟神で、出雲国の肥河上での八岐の大蛇退治はあまりにも有名。
また大国主大神の親神であられ、大神に国づくりの大任を授けられた。
釜社(かまのやしろ)
鎮守社
彰古館
出雲大社に伝わる各種資料を陳列
朝7時から約2時間出雲大社で過ごしたことになる。
本殿遷座祭が5月10日に行われたばかりで8時頃から参拝者の数が増えてきた。
駐車場も満車状態で長い車の列が続いていた。予想はしていただけに早い時間にきて良かった。
さて、服装のことであるが、私が以前注意を受けた格好でも何も言われている様子がない。
今日は数多くの神様にお参りしたので、この後、きっと良いことがあるに違いない。それにしても四拍手は数が多いだけに手が痛くなる。
撮影 平成25年5月15日
最近、鰐淵寺(がくえんじ)という古刹がお気に入りの場所になっています。
山陰はそこに住んでいる人のすばらしさも魅力のひとつで、つい足が向いてしまいます。
毎年出雲駅伝が行われています。そのテレビ画面から出雲大社の一角が映し出されます。
仲間に出雲出身者がいます。出雲駅伝だけは担当にして欲しいと毎年帰省するそうです。
素晴らしさは耳では聞いていましたがみるとは大違いです。
現物をみたらもっと驚くことでしょう。
ありがとうございました。