出雲大社巨大本殿の柱(重要文化財)
平成12年から13年にかけて、出雲大社境内遺跡からスギの大木3本を1組にし、直径が約3mにもなる巨大な柱が3カ所で発見された。
これは、そのうちの棟をささえる柱すなわち棟持柱で、古くから宇豆柱と呼ばれてきた。
境内地下を流れる豊富な地下水のおかげで奇跡的に当時の姿をとどめて出土した。
直径が最大で約6mもある柱穴には、人の頭の大きさかそれ以上の大きな石がぎっしりと積み込まれ、世界に例のない掘立柱の地下構造も明らかになった。
柱の配置や構造は、出雲大社宮司の千家国造家に伝わる、いにしえの巨大な本殿の設計図とされる「金輪御造営差図」に描かれたものと類似していた。
その後、柱材の科学分析調査や、考古資料・絵画、文献記録などの調査などから、この柱は、鎌倉時代前半の宝治2年(1248年)に造営された本殿を支えていた柱である可能性が極めて高くなった。
古事記
出雲大社の創建やその壮大な姿は、『古事記』『日本書紀』などの8世紀に編纂された書物の神話に詳しくみえ国譲り神話がその代表である。
すなわち、「大国主神が治めてきた葦原中津国を高天原の皇孫(すめみま)に譲る代償として、大国主神が鎮座するための壮大な宮殿を造営する」という旨が語られている。
国家の中央でまとめられた神話だが、特筆されているところをみると、大和政権にとって古代の出雲大社は格別な存在だったのか。
また地元で編纂された『出雲国風土記』にも、出雲郡杵築郷の地名起源伝承として、「尊い神々が参集し大神のために宮を築いた」などと、随所に当時の姿を想像させる記述が見られる。
また、ほかの多くの神社が「社」と称される中、唯一、「神の宮」として表現されていることも見逃せない。このように、神話において、創建の由来や建築の様子がくわしく記述されている例は、他の神社ではあまりみられない。
出雲大社の復元模型
出雲大社の屋根にあった千木・勝男木
明治14年(1881)遷宮の御用材で、昭和28年(1953)遷宮の際に撤下されたもの。
銅鐸(国宝)
銅剣(国宝)
日本最多 358本の銅剣、斐川町 荒神谷遺跡から発掘、弥生時代(紀元前2~1世紀)
銅鏡(重要文化財)
「卑弥呼の鏡か」:景初3年を含む銘文41文字が鋳出された三角縁神獣鏡。
卑弥呼が魏に使いを送り、銅鏡100枚を賜ったとされる年号と合致する。
その他の展示品
この博物館は常設展示物については写真撮影が認められている。
ガラスケースはあるものの目の前で国宝や重要文化財を鑑賞することができ、さらに撮影も自由にできるため大変興奮した。
撮影 平成25年5月15日
平成12年から13年にかけて、出雲大社境内遺跡からスギの大木3本を1組にし、直径が約3mにもなる巨大な柱が3カ所で発見された。
これは、そのうちの棟をささえる柱すなわち棟持柱で、古くから宇豆柱と呼ばれてきた。
境内地下を流れる豊富な地下水のおかげで奇跡的に当時の姿をとどめて出土した。
直径が最大で約6mもある柱穴には、人の頭の大きさかそれ以上の大きな石がぎっしりと積み込まれ、世界に例のない掘立柱の地下構造も明らかになった。
柱の配置や構造は、出雲大社宮司の千家国造家に伝わる、いにしえの巨大な本殿の設計図とされる「金輪御造営差図」に描かれたものと類似していた。
その後、柱材の科学分析調査や、考古資料・絵画、文献記録などの調査などから、この柱は、鎌倉時代前半の宝治2年(1248年)に造営された本殿を支えていた柱である可能性が極めて高くなった。
古事記
出雲大社の創建やその壮大な姿は、『古事記』『日本書紀』などの8世紀に編纂された書物の神話に詳しくみえ国譲り神話がその代表である。
すなわち、「大国主神が治めてきた葦原中津国を高天原の皇孫(すめみま)に譲る代償として、大国主神が鎮座するための壮大な宮殿を造営する」という旨が語られている。
国家の中央でまとめられた神話だが、特筆されているところをみると、大和政権にとって古代の出雲大社は格別な存在だったのか。
また地元で編纂された『出雲国風土記』にも、出雲郡杵築郷の地名起源伝承として、「尊い神々が参集し大神のために宮を築いた」などと、随所に当時の姿を想像させる記述が見られる。
また、ほかの多くの神社が「社」と称される中、唯一、「神の宮」として表現されていることも見逃せない。このように、神話において、創建の由来や建築の様子がくわしく記述されている例は、他の神社ではあまりみられない。
出雲大社の復元模型
出雲大社の屋根にあった千木・勝男木
明治14年(1881)遷宮の御用材で、昭和28年(1953)遷宮の際に撤下されたもの。
銅鐸(国宝)
銅剣(国宝)
日本最多 358本の銅剣、斐川町 荒神谷遺跡から発掘、弥生時代(紀元前2~1世紀)
銅鏡(重要文化財)
「卑弥呼の鏡か」:景初3年を含む銘文41文字が鋳出された三角縁神獣鏡。
卑弥呼が魏に使いを送り、銅鏡100枚を賜ったとされる年号と合致する。
その他の展示品
この博物館は常設展示物については写真撮影が認められている。
ガラスケースはあるものの目の前で国宝や重要文化財を鑑賞することができ、さらに撮影も自由にできるため大変興奮した。
撮影 平成25年5月15日