長い期間旅をして、神社仏閣を廻ると拝観料が経済的な重荷になることがある。
今回紹介する不動院岩屋堂は重要文化財の建物を持ち、拝観料が無料という私の望んでいる条件にあてはまる寺になる。
最初からここを目指していたかというとそうではなく、朝から降っている雨で、今日は移動日にしようと考え走行途中にあった寺である。
少し離れた場所に駐車スペースがありそこに車を駐めた。
その場所から岩屋堂のある周辺を撮ったが宗教的な雰囲気が漂っている。
不動院岩屋堂(重要文化財)
近くに来て驚いたが、数日前にこれが最後と登った「三仏寺投入堂」によく似ている
高さ約13m、間口約7m、奥行約10mの天然の岩窟に嵌め込まれるようにして造られた寺院建築
屋根は前面を入母屋造、背面を切妻造とし、床下を長い柱で支える懸造(舞台造り)である
伝承によれば大同元年(806年)の創建
天正年間(1573年-1591年)に豊臣秀吉より攻められて全山焼失し、当堂だけが残った
柵から前は立入禁止区域であり、左右10mが撮影できる区域で、カニ歩きをしながらポイントを探す
現在の堂は鎌倉時代初期の源頼朝による再建と伝わるが、昭和30年から32年にわたって行われた解体修理の報告書においては室町時代初期頃の建立と推定されている
山奥の今は小さなお堂だが歴史上の人物が次々登場する
本尊は、空海32歳の作の伝承をもつ黒皮不動明王で、日本三大不動の一つともいう
ここで、もう一人の観光客が現れ「8年前と変わらないのね」「屋根の上に蜂の巣がある」と言ってあっという間に去っていった
このお堂、日本三大投入堂の一つだそうで
残りの二つは「三仏寺」と九州の宇佐市にある「龍岩寺」
この5月に宇佐市に旅していたのに、その存在をまったく知らなかった
帰り際に文化財の案内が出ていたので行くことにした
岩屋堂の「納骨壷入五輪塔」と書かれた木札が立っていた
最後の一枚。移動中の道路沿いにあったお堂だが、お宝を発見した気分だ
撮影 平成25年11月3日
今回紹介する不動院岩屋堂は重要文化財の建物を持ち、拝観料が無料という私の望んでいる条件にあてはまる寺になる。
最初からここを目指していたかというとそうではなく、朝から降っている雨で、今日は移動日にしようと考え走行途中にあった寺である。
少し離れた場所に駐車スペースがありそこに車を駐めた。
その場所から岩屋堂のある周辺を撮ったが宗教的な雰囲気が漂っている。
不動院岩屋堂(重要文化財)
近くに来て驚いたが、数日前にこれが最後と登った「三仏寺投入堂」によく似ている
高さ約13m、間口約7m、奥行約10mの天然の岩窟に嵌め込まれるようにして造られた寺院建築
屋根は前面を入母屋造、背面を切妻造とし、床下を長い柱で支える懸造(舞台造り)である
伝承によれば大同元年(806年)の創建
天正年間(1573年-1591年)に豊臣秀吉より攻められて全山焼失し、当堂だけが残った
柵から前は立入禁止区域であり、左右10mが撮影できる区域で、カニ歩きをしながらポイントを探す
現在の堂は鎌倉時代初期の源頼朝による再建と伝わるが、昭和30年から32年にわたって行われた解体修理の報告書においては室町時代初期頃の建立と推定されている
山奥の今は小さなお堂だが歴史上の人物が次々登場する
本尊は、空海32歳の作の伝承をもつ黒皮不動明王で、日本三大不動の一つともいう
ここで、もう一人の観光客が現れ「8年前と変わらないのね」「屋根の上に蜂の巣がある」と言ってあっという間に去っていった
このお堂、日本三大投入堂の一つだそうで
残りの二つは「三仏寺」と九州の宇佐市にある「龍岩寺」
この5月に宇佐市に旅していたのに、その存在をまったく知らなかった
帰り際に文化財の案内が出ていたので行くことにした
岩屋堂の「納骨壷入五輪塔」と書かれた木札が立っていた
最後の一枚。移動中の道路沿いにあったお堂だが、お宝を発見した気分だ
撮影 平成25年11月3日
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