訪問日 令和元年6月6日
都農神社(つのじんじゃ)
宮崎神宮で入手したパンフを見て訪れた
鳥居
額には「日向國 一宮 都農神社」と独特な字体で書かれている
「石灯籠」
「敬宮愛子内親王殿下」の御誕生を祝しての寄進。敬宮(としのみや)は称号
天皇または皇太子の子女にのみ与えられる
石持ち神事
ここにある黒い石をひとつ持って参拝するとお願い事が叶うという
「あぶら石」
太鼓橋
大絵馬
手水舎
自祓所
茅の輪
若い女性が茅の輪潜りを熱心に行っていた。近づいてはならない雰囲気だったので、遠くから眺めていた
その女性から挨拶をされたので、茅の輪潜りを見ていた感想を述べた
宮崎市内居住の、この女性は病気で入院前に約50kmほど離れたこの神社にお詣り来た
この日は無事退院することができたので御礼参りに来たとのこと
信仰心の無い爺とは違い、立派な考え方を持ち、清々しい気持ちになった
祓所
神門(南大門)
拝殿
御神象
拝殿内部
創建されたのは神武天皇が宮崎の宮を発し東遷の折、此の地に立ち寄り、国土平安、海上平穏、武運長久を祈念し祭神を鎮祭されたと伝えられる。
拝殿・幣殿・本殿
本殿
祭神は「大己貴命(おおなむちのみこと)< 別名 : 大国主命>」
神の石納所
先に「石持ち神事」で、黒い石をひとつ持って参拝すると願い事が叶うと記した。
その石を納める場所がここである。
右側に回る。本殿に近い場所に剣が置かれている
少し高いところから社殿を眺める
下には「西神苑」
日向国の第一の大社であったが、島津・大友の争乱の兵火により社殿・宝物・古文書等全てを焼失、御神体は尾鈴山麓に避難され難を逃れた
元禄5年に秋月藩主 秋月種政が再興し、安政6年には篤志家の社殿の寄進があった
その後、社殿の老朽化に伴い、平成19年7月に現在の社殿が竣成された
悩みの元をメシ取る大杓文字
都農神社の杓文字といわれ、古来より病気平癒のご利益があると伝えられている
先の女性のお詣りと結びついた
願掛け太鼓
末社 熊野神社(旧本殿)
神楽殿・神輿庫(旧拝殿)
撫で大黒
草鞋絵馬掛所
小槌おみくじ
撫でウサギ
撮影 令和元年6月6日
都農神社(つのじんじゃ)
宮崎神宮で入手したパンフを見て訪れた
鳥居
額には「日向國 一宮 都農神社」と独特な字体で書かれている
「石灯籠」
「敬宮愛子内親王殿下」の御誕生を祝しての寄進。敬宮(としのみや)は称号
天皇または皇太子の子女にのみ与えられる
石持ち神事
ここにある黒い石をひとつ持って参拝するとお願い事が叶うという
「あぶら石」
太鼓橋
大絵馬
手水舎
自祓所
茅の輪
若い女性が茅の輪潜りを熱心に行っていた。近づいてはならない雰囲気だったので、遠くから眺めていた
その女性から挨拶をされたので、茅の輪潜りを見ていた感想を述べた
宮崎市内居住の、この女性は病気で入院前に約50kmほど離れたこの神社にお詣り来た
この日は無事退院することができたので御礼参りに来たとのこと
信仰心の無い爺とは違い、立派な考え方を持ち、清々しい気持ちになった
祓所
神門(南大門)
拝殿
御神象
拝殿内部
創建されたのは神武天皇が宮崎の宮を発し東遷の折、此の地に立ち寄り、国土平安、海上平穏、武運長久を祈念し祭神を鎮祭されたと伝えられる。
拝殿・幣殿・本殿
本殿
祭神は「大己貴命(おおなむちのみこと)< 別名 : 大国主命>」
神の石納所
先に「石持ち神事」で、黒い石をひとつ持って参拝すると願い事が叶うと記した。
その石を納める場所がここである。
右側に回る。本殿に近い場所に剣が置かれている
少し高いところから社殿を眺める
下には「西神苑」
日向国の第一の大社であったが、島津・大友の争乱の兵火により社殿・宝物・古文書等全てを焼失、御神体は尾鈴山麓に避難され難を逃れた
元禄5年に秋月藩主 秋月種政が再興し、安政6年には篤志家の社殿の寄進があった
その後、社殿の老朽化に伴い、平成19年7月に現在の社殿が竣成された
悩みの元をメシ取る大杓文字
都農神社の杓文字といわれ、古来より病気平癒のご利益があると伝えられている
先の女性のお詣りと結びついた
願掛け太鼓
末社 熊野神社(旧本殿)
神楽殿・神輿庫(旧拝殿)
撫で大黒
草鞋絵馬掛所
小槌おみくじ
撫でウサギ
撮影 令和元年6月6日
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