五台山 金色院 竹林寺
四国八十八ケ所31番札所である
この日は高知城・土佐神社・善楽寺・桂浜を観光
まだ、雨が落ちて来なかったので勢いで竹林寺に
途中から、離合できないクネクネした細い道を走る
対向車がきたらお終いだとヒヤヒヤしていたら、上り専用の一方通行の道路であった
「弘法大師像」が迎えてくれる
山門
駐車場に着くと同時に雨が降ってきた
四国に入ってから毎日雨が降り、各施設で雨傘を4本紛失、残るは小さな折りたため傘しかない
趣のある、入母屋造楼門である
右によると、山号の「五臺山」と書かれた額が見える
「金剛力士像」
鐘楼
五台山ミニ八十八ケ所(第31番)
文政2年(1819)、四国八十八ケ所札所の御本尊を模刻した石仏が五台山中に安置されているという
日吉神社
手水舎
本堂<文殊堂>(重要文化財)
本堂周辺には、言語から中国人の集団。予想に反して静かに参拝している
無言の時間が長く続いたと思ったら、日本のお経とは違ったイントネーションで
終わりかと思ったらお堂の前で歌うように回りだした
空海が中国から持ち帰った真言宗の教えだが本場中国では廃れてしまっていると聞く
入母屋造、杮葺き。桁行・梁間とも5間
扉に桟唐戸を用い、垂木を扇垂木とし、組物は二手先の詰組とするなど、禅宗様建築の意匠が用いられている
内陣には本尊文殊菩薩像を安置する厨子
善財童子像
平成26年本尊開帳を記念し造られた
安倍文殊院の国宝の善財童子が有名だが、こちらも愛らしい
五智如来石像
子安地蔵尊
淡島明神
稲荷明神
大師堂
寛永21年(1644年)山内忠義によって建立
五重塔
もともと三重塔があったらしいが、明治32年の台風で倒壊、昭和55年(1980年)に五重塔として再建された
高さ31.2m、間口4.8m、総檜造。鎌倉時代初期の様式
高知県内唯一の五重塔のようだ
一言(ひとこと)地蔵
一つの願いを叶える地蔵
前に立ち考えてみると、叶えたい願いがありすぎるということがわかった
よさこい節の「土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た よさこい よさこい」
竹林寺の僧・純信と鋳掛屋お馬の悲恋物語だという
宝物館には藤原時代から鎌倉時代にかけての国指定重要文化財の仏像17躰が収蔵されている
夢窓疎石の作庭と伝わる池泉観賞式庭園(史跡)もある
撮影 平成29年10月18日
四国八十八ケ所31番札所である
この日は高知城・土佐神社・善楽寺・桂浜を観光
まだ、雨が落ちて来なかったので勢いで竹林寺に
途中から、離合できないクネクネした細い道を走る
対向車がきたらお終いだとヒヤヒヤしていたら、上り専用の一方通行の道路であった
「弘法大師像」が迎えてくれる
山門
駐車場に着くと同時に雨が降ってきた
四国に入ってから毎日雨が降り、各施設で雨傘を4本紛失、残るは小さな折りたため傘しかない
趣のある、入母屋造楼門である
右によると、山号の「五臺山」と書かれた額が見える
「金剛力士像」
鐘楼
五台山ミニ八十八ケ所(第31番)
文政2年(1819)、四国八十八ケ所札所の御本尊を模刻した石仏が五台山中に安置されているという
日吉神社
手水舎
本堂<文殊堂>(重要文化財)
本堂周辺には、言語から中国人の集団。予想に反して静かに参拝している
無言の時間が長く続いたと思ったら、日本のお経とは違ったイントネーションで
終わりかと思ったらお堂の前で歌うように回りだした
空海が中国から持ち帰った真言宗の教えだが本場中国では廃れてしまっていると聞く
入母屋造、杮葺き。桁行・梁間とも5間
扉に桟唐戸を用い、垂木を扇垂木とし、組物は二手先の詰組とするなど、禅宗様建築の意匠が用いられている
内陣には本尊文殊菩薩像を安置する厨子
善財童子像
平成26年本尊開帳を記念し造られた
安倍文殊院の国宝の善財童子が有名だが、こちらも愛らしい
五智如来石像
子安地蔵尊
淡島明神
稲荷明神
大師堂
寛永21年(1644年)山内忠義によって建立
五重塔
もともと三重塔があったらしいが、明治32年の台風で倒壊、昭和55年(1980年)に五重塔として再建された
高さ31.2m、間口4.8m、総檜造。鎌倉時代初期の様式
高知県内唯一の五重塔のようだ
一言(ひとこと)地蔵
一つの願いを叶える地蔵
前に立ち考えてみると、叶えたい願いがありすぎるということがわかった
よさこい節の「土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た よさこい よさこい」
竹林寺の僧・純信と鋳掛屋お馬の悲恋物語だという
宝物館には藤原時代から鎌倉時代にかけての国指定重要文化財の仏像17躰が収蔵されている
夢窓疎石の作庭と伝わる池泉観賞式庭園(史跡)もある
撮影 平成29年10月18日
弘法大師像もいいですね。何処か悲哀な感があると思うのは私だけかも知れません。
全ての画がとても美しいです。中国人団体客には参ったことでしょう。私も京都で、セブ島でありました。他国では中国人は受け入れないという処もありました。とても静かでした。
一言地蔵…一つだけといわれると何日間も考えさせられます。やはり私は俗人というか野卑な人間なのでしょう。
「土佐の高知の…」は恋愛物とは思いませんでした。坊さん=禿頭だから簪買っても使えないだろうという冷やかしものばかり思っていました。
日本三大ビックリの一つ、はりまや橋。本当に驚きました。
はりまや橋を見た人は、札幌でいえば時計台のようなものだ。地元の人も首を横に振るしくさで返してきたので止めました。正解のようですね。
一言地蔵の前では、しばらく考えました。強欲なので沢山の願いが頭をよぎりましたが、一つに絞ることは結局できませんでした。
竹林寺は晴れていたら長居をしていただろうなと思うほど見るところがたくさんありました。ブログの本文には書いていませんが、本堂は文殊堂ともよばれ、日本三大文殊堂のひとつだそうです。