訪問日 令和4年5月20日
誓法山 金前寺(こんぜんじ)
高野山真言宗の寺院
本尊:十一面観世音菩薩(袴掛観音)
「金崎宮」を訪れたのだが本堂の近い場所に「社号柱」があり間違ってしまった
途中で変だと思い気づいたのだが撮った写真は残していた
「金前寺寺歴」では歴史上の人物が次々と登場してくる
天平8年(736年)聖武天皇の勅願により泰澄が開山
弘仁2年(811年)弘法大師空海が訪れる
延元2年(1337年)金ヶ崎の戦いで金ヶ崎城が落城……
扁額には山号の「誓法山」
実はこの寺号札を見るまで「金前寺」とは知らずにいた
動揺し「金崎宮」は何処だと周囲を探したことを思い出す
本堂
金ヶ崎の戦い、織田信長による越前攻め、太平洋戦争敦賀空襲で三度も焼失
現在の本堂は平成元年(1989年)の建立
平成27年(2015年)『今昔物語集』にも由来が記されている本尊の「袴掛観音」が復元される
弘法大師像、聖観世音菩薩像、不動明王像が並ぶ
正式には「弘法大師御入定千百五十年御遠忌記念」
五重塔
私の大好きな塔だが違和感がある
相輪が無いのだ
平成17年(2005年)の建立
工事費は、平成12年~平成17年の寒修行托鉢による市民の尊い浄財積立金を充当
「水子地蔵尊」
楼鐘堂
平成11年(1999年)数多くの鐘楼堂再建寄進者の協力により再建
鐘楼堂側から本堂を眺める
芭蕉句碑(鐘塚)
元禄2年(1689年)8月14日夕、芭蕉と旧知等栽(とうさい)と敦賀に入り気比神宮に参拝
翌15日雨の中を天屋玄流らに案内されて金前寺を訪れた
延元の戦い、陣鐘の物語りを聞いて詠んだのが
「月いづこ 鐘は沈るうみのそこ」
歓喜天堂
納骨堂
建物は新しいがこの場所が日本史上でも重要な地点であることがわかった
近くには私が時々利用する敦賀港フェリーターミナルがある
撮影日 令和4年5月20日
誓法山 金前寺(こんぜんじ)
高野山真言宗の寺院
本尊:十一面観世音菩薩(袴掛観音)
「金崎宮」を訪れたのだが本堂の近い場所に「社号柱」があり間違ってしまった
途中で変だと思い気づいたのだが撮った写真は残していた
「金前寺寺歴」では歴史上の人物が次々と登場してくる
天平8年(736年)聖武天皇の勅願により泰澄が開山
弘仁2年(811年)弘法大師空海が訪れる
延元2年(1337年)金ヶ崎の戦いで金ヶ崎城が落城……
扁額には山号の「誓法山」
実はこの寺号札を見るまで「金前寺」とは知らずにいた
動揺し「金崎宮」は何処だと周囲を探したことを思い出す
本堂
金ヶ崎の戦い、織田信長による越前攻め、太平洋戦争敦賀空襲で三度も焼失
現在の本堂は平成元年(1989年)の建立
平成27年(2015年)『今昔物語集』にも由来が記されている本尊の「袴掛観音」が復元される
弘法大師像、聖観世音菩薩像、不動明王像が並ぶ
正式には「弘法大師御入定千百五十年御遠忌記念」
五重塔
私の大好きな塔だが違和感がある
相輪が無いのだ
平成17年(2005年)の建立
工事費は、平成12年~平成17年の寒修行托鉢による市民の尊い浄財積立金を充当
「水子地蔵尊」
楼鐘堂
平成11年(1999年)数多くの鐘楼堂再建寄進者の協力により再建
鐘楼堂側から本堂を眺める
芭蕉句碑(鐘塚)
元禄2年(1689年)8月14日夕、芭蕉と旧知等栽(とうさい)と敦賀に入り気比神宮に参拝
翌15日雨の中を天屋玄流らに案内されて金前寺を訪れた
延元の戦い、陣鐘の物語りを聞いて詠んだのが
「月いづこ 鐘は沈るうみのそこ」
歓喜天堂
納骨堂
建物は新しいがこの場所が日本史上でも重要な地点であることがわかった
近くには私が時々利用する敦賀港フェリーターミナルがある
撮影日 令和4年5月20日
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