今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

五台山 清凉寺(京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町)

2013年07月28日 | 神社・仏閣
偶然が重なり、奇跡的な再会を果たした友人とも別れ、当初の目的地であった清涼寺駐車場を目指す。
場所は大覚寺に来る途中に確認していたので探さずにすんだ。
駐車料金は少し高いと思われるが1日の料金なのでここに車を駐めて周囲を散策するには最適の場所であると、今朝、道の駅で話しかけられた函館市出身の庭師に勧められた。

京都に入ってから財布の中からお金がどんどん消えていく感じがする。
駐車料金に拝観料、さらに特別拝観料、気に入った寺では御朱印もいただく。一寺につき平均2,000円、記念品やおみやげを買うと金額がかさんでいく。
特に自家用車を利用する場合は事前に駐車場の確認は大切であると痛感した。
勧められた清涼寺の駐車場からは多くの人が耳にしたことのある神社仏閣が近くに8つもあることを知った。


清涼寺(別称:嵯峨釈迦堂)の歴史
清凉寺は、京都府京都市右京区嵯峨にある浄土宗の寺院。山号を五台山と称する。
嵯峨釈迦堂の名で知られ、中世以来「融通念仏の道場」としても知られている。
宗派は初め華厳宗、後に浄土宗となる。本尊は釈迦如来、開基(創立者)はちょう然、開山(初代住職)はその弟子の盛算である。

この寺の歴史には、阿弥陀三尊を本尊とする棲霞寺(せいかじ)と、釈迦如来を本尊とする清凉寺という2つの寺院が関係している。
この地には、もともと、嵯峨天皇の皇子・左大臣源融(みなもとのとおる、822年 - 895年)の別荘・栖霞観(せいかかん)があった。
源融の一周忌に当たる寛平8年(896)、融が生前に造立発願して果たせなかった阿弥陀三尊像を子息が造り、これを安置した阿弥陀堂を棲霞寺と号した。

棲霞寺草創から数十年後、宋に渡り、五台山(一名、清凉山)を巡礼した奝然(ちょうねん)(938-1016)という東大寺出身の僧がいた。
奝然は、宋へ渡航中の985年、台州の開元寺で現地の仏師に命じて1体の釈迦如来像を謹刻させた。
その釈迦像は、古代インドの優填王(うてんおう)が釈迦の在世中に栴檀(せんだん)の木で造らせたという由緒を持つ霊像を模刻したもので、「インド - 中国 - 日本」と伝来したことから「三国伝来の釈迦像」と呼ばれている。

奝然は、永延元年(987)日本に帰国後、京都の愛宕山を中国の五台山に見立て、愛宕山麓にこの釈迦像を安置する寺を建立しようとした。
三国伝来の釈迦像をこの嵯峨の地に安置することで、南都系の旧仏教の都における中心地としようとしたものと思われる。
すなわち、都の西北方にそびえる愛宕山麓の地に拠点となる清凉寺を建立することで、相対する都の東北方に位置する比叡山延暦寺と対抗しようとした、という意図が込められていたとされる。
しかし、その願いを達しないまま長和5年(1016)、奝然は没した。遺志を継いだ弟子の盛算が棲霞寺の境内に建立したのが、五台山清凉寺である。


仁王門
「五臺山(五台山)」と書かれた額が掲げられている門は安永6年(1776)に再建されたもので、楼上には十六羅漢が祀られている。
両脇の赤い阿形吽形一対の金剛力士像は室町後期のものと伝えられている。
















本堂(釈迦堂)
本堂は元禄十四年、将軍綱吉、その母桂昌院、大阪の豪商泉屋(住友)吉左衛門らの発起により再建された。
本堂は本尊釈迦如来立像(国宝)と十大弟子像、四天王像、文殊菩薩像、普賢菩薩像、地蔵立像(いずれも重要文化財)等がある。

古寺と和服を着た女性は写真を撮りたくなる。










木造釈迦如来立像(国宝)
像高160.0cmで、伝承では赤栴檀というインドの香木で造られたとされるが、実際には魏氏桜桃という中国産のサクラ材で作られているという。
縄目状の頭髪や同心円状の衣文の形式など、一見して日本の通例の仏像と異なる様式を示す。

本堂に入ると釈迦如来に対面することができるが今まで観たことのない仏像であり鮮明に脳に記憶されている。
仏像の顔もこれまでの常識を破るもので驚いたが、木目をこのように美しくうまく使っている仏像も観たことがない。こ
の地区では唯一の国宝の仏像だそうだが一見の価値はある。
本堂の若い僧侶が数分ごとに交代しながら仏像の歴史についてわかりやすく説明してもらえるのもうれしい。


阿弥陀堂
棲霞観跡(清涼寺)
嵯峨天皇皇子で皇族賜姓の源融(みなもとのとおる)が、九世紀後半に嵯峨に営んだ山荘。
融は晩年に写経や造仏に着手したが業なかばで他界したので、子供たちが完成させて棲(栖)霞寺とした。
かって棲霞寺にあった阿弥陀三尊像(国宝)は現在、清涼寺の霊宝館に安置されている。







多宝塔
元禄13年(1700)江戸護国寺での出開帳の際、江戸の老若貴賤の寄進によりなったもので、のち元禄16年、廻漕建立したものである。



一切経堂(輪蔵)






弁天堂







鐘楼



豊臣秀頼首塚
昭和55年に大阪城三の丸跡地の発掘現場から出土した首を納められたもの。



霊宝館
年に春と秋の2回特別公開される。
国宝 阿弥陀三尊座像は源氏物語のモデル「源融」が造らせた像で、自分の顔に似せてつくらせたという「光源氏写し顔」の伝説をもっている。
多くの参拝客が立ち止まって見つめるとほど美しい像であり、一見の価値有り。
その他にも国宝や重要文化財の仏像等も多く、特別公開期間をねらって拝観することを勧める。

今回も寺内は撮影禁止区域なので写真の数は少ないが、本堂並びに霊宝館にはすばらしい仏像が展示されていて感動した。
今朝、道の駅で初対面の人に勧められ来たが、旅先では人との出会いと人の言葉を素直に受け入れることの大切さを再確認することができた。

大覚寺のところで忘れていたことがあった。女ひとりの曲の三番に大覚寺が出てくる。
  京都 嵐山(ランザン) 大覚寺  恋に疲れた 女が一人
   塩沢がすりに 名古屋帯  耳を澄ませば 滝の音
    京都 嵐山 大覚寺  恋に疲れた 女が一人


撮影 平成25年5月25日

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