今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

歓喜踊躍山 浄土真宗興行寺<浄興寺>(新潟県上越市寺町2丁目)

2021年08月23日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年6月2日

歓喜踊躍山 浄土真宗興行寺<浄興寺>
初めてと思ってきたが、駐車場に駐めた瞬間、訪れた事のある寺院だと気付いた
山号は歓喜踊躍山(かんぎゆやくざん)正式寺号を浄土真宗興行寺という

山門
山門は駐車場の反対側にあり、近道もあるが遠回りしてみた
真宗浄興寺派本山の寺院で、山門に「本山浄興寺」の額



山門から本堂へ向かう境内の左右に9か寺の末寺が並んでいる



最盛期には越後・信濃・出羽の三国に約90か寺の末寺を従えたという



山門の正面に本堂が見えてくる






親鸞聖人像



浄興寺の開山は浄土真宗の開祖親鸞である



鐘楼



聖徳太子堂



堂内の聖徳太子像は親鸞が常陸の国稲田郷にいた時から日夜奉仕していたもの



経蔵






本堂(重要文化財)
延宝7年(1679年)頃建立
正面に三間の向拝を付けた一重、入母屋造り杮葺き



間口28.2m、奥行27.8mの大規模仏堂



創建は、建保2年(1214年)常陸笠間郡稲田郷(現在の茨城県笠間市)稲田草庵を開いた
以後、浄興寺は度重なる火災により各地を転々とした
永禄10年(1567年)に上杉謙信の招きにより越後春日山(現在の新潟県上越市)に移る



堂内に入る



扁額には寺号の「浄興寺」



極楽浄土をあらわす堂内の様子



本尊は「木造阿弥陀如来立像」
室町時代(15世紀)



欄間7枚のうちの一つ
黄金の雲の上で天楽をなす天女が飛翔



身舎部の柱はすべて円柱になっている



旧太子堂擬宝珠



豆穀太鼓



親鸞聖人本廟(上越市指定有形文化財)



拝堂



弘長2年(1262年)京都で亡くなった聖人の頂骨は、遺命により、当時、常陸国(茨城県)にあった浄興寺に納められた
本廟には、聖人のほかにも本願寺三世の覚如上人以降の本願寺歴代門主の分骨も納められている



西本願寺の懇望により文禄元年(1592年)に親鸞聖人の頭骨を分骨
万治3年(1660年)には親鸞聖人並びに本願寺歴代上人の頭骨を東本願寺に分骨している



本廟は、明治21年(1888年)に柏崎の名匠、篠田宗吉が棟梁となって6年の歳月を費やして完成させた



柱や妻飾りなどの細部にいたるまで、花鳥、動物などの精巧で美しい彫刻が施されている





















宝物館






撮影 令和3年6月2日

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