今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

文殊院 青龍寺(福島県大沼郡会津美里町字文珠西甲)

2016年09月05日 | 神社・仏閣
近くの神社を参拝するため駐車場をお借りした寺院だったが、今、調べてみて驚いた
日本三大文殊のひとつだそうだ



仁王像
以前「勝常寺」の腰蓑を着けた仁王像を初めて見たが……



この寺の仁王像は腰には着けてはいなかったが、頭部に着けている



東北地方独自の文化なのかよくわからないが、初めて見た



芸術性溢れる仁王像もいいが、この逞しい仁王像もすばらしい



清竜寺文殊院の文殊菩薩は「筆の文殊」として信仰を集め、「紙の文殊」(天の橋立て)、「硯墨の文殊」(大和桜井)と並び日本三文殊に数えられている



 


芭蕉翁袖塚碑
奥の細道への旅に出立するとき、右袖は筆のすさびには邪魔になるとしてたち切り、これを弟子の堀伊賀之助に与えた



それを高田村の俳人田中東昌(月歩)がもらいうけ、東昌は更に自分の弟子小林麻蔵に預けた
麻蔵は伊佐須美神社の薄墨桜の下に、この袖を埋めて「芭蕉翁袖塚」の碑を建立した



智鏡塚
智鏡上人は法幢寺の僧といわれ、文亀3年(1503年)に伊佐須美神社が火災にあい、贈爵綸旨を焼失したのを嘆き、天文20年(1551年)京都に赴き、後奈良天皇より再び正一位の綸旨を賜わった人物
この綸旨により伊佐須美神社は再興したと伝えられている



天文22年(1553)、智鏡上人は高田村に疫病が流行したとき、穴を掘り棺に入って生き埋めとなった
智鏡上人は墓の中から念仏を唱え、疫病から人々を救おうとした
21日間は地中より鐘を鳴らしながら唱える念仏が聞こえたが、その音もついに絶え、捨身往生を遂げたという
村人は塚に五輪塔を建て、供養したと伝えられている



やはり学問の仏様とは縁がないのか、この寺の歴史や価値も知らず、あまり写真も撮らずに去ってしまった
(他説あるが)三大文殊の他二つである奈良県桜井市の安倍文殊院、京都府の智恩寺も訪れたことがあるので制覇したことになる



撮影 平成28年5月21日

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 伊富貴山 観音護国寺<通称... | トップ | 伊佐須美神社(福島県大沼郡... »

コメントを投稿

神社・仏閣」カテゴリの最新記事