今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

崇福山 安楽寺(長野県上田市別所温泉)

2017年11月12日 | 神社・仏閣
崇福山 護国院 安楽寺
国宝の三重塔を所有する寺院である
十数年前に一度訪れたことがあったが三重塔の拝観時間を過ぎていたため観ることができなかった

黒門
安楽寺境内の入口にあたる。扁額は山号の「崇福山」、寛政4年(1792)の建立
黒門の奥に無料駐車場がある



山門
石段を上がると山門が見える



鐘楼



境内の庭木に興味が無い私だが、見事に整備されている



本堂



扁額には寺名の「安楽禅寺」



お堂の内部の様子



経蔵



経本は寛政5年宇治の万福寺より購入した朱塗りの輪蔵に保管してある






傳芳堂(文化財収蔵庫)



木造惟仙和尚坐像(重文)と木造恵仁和尚坐像(重文)が安置されている



私の上半身が写っているが、前に立たなければガラスに反射して見えないのだ






水子地蔵尊



三重塔に近づくには更に石段を上がらなくてはならない



この塔は「八角三重塔」で写真では見たことがあったが、実物を見るのは今回が初めてになる









八角三重塔(国宝)
日本に現存する近世以前の八角塔としては唯一のものである



全高18.75メートル。構造形式は八角三重塔婆、初重裳階付、こけら葺である



四重塔にも見えるが一番下の屋根はひさしに相当する裳階である






この日は日差しが強く、周辺も確認したが、この場所以外での撮影は厳しかった



名残惜しかったが塔を後にした






山門に向かう、庭の好きな人はこの場所にいるだけでも楽しくなるだろう



全国に13ある国宝の三重塔。今回が11番目になる、残り2つとなった



撮影 平成29年5月21日
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一乗山 大法寺(長野県小県郡青木村当郷)

2017年11月11日 | 神社・仏閣
大法寺
国宝の三重塔を所有する大法寺。足取りが軽くなるはずだが、本堂から緩やかな坂道が少し続く

本堂
伝承によれば、奈良時代の大宝年間(701年 - 704年)に藤原鎌足の子の定恵が創建



観音堂
堂内には重要文化財である木造十一面観音立像と木造普賢菩薩立像が安置されている



大法寺観音堂厨子及び須弥檀も重要文化財に指定されている



「開運大悲閣」の扁額。拝観料200円で若い副住職から簡単な説明もある



三重塔(国宝)



小高い丘に三間四方の檜皮葺「三重塔」が優雅な姿をみせる



全国に13ある国宝の三重塔の一つだ



塔の初重(一階)が二重や三重に比べて大きいことで、塔全体の落ちついた感じや、優雅な印象を生んでいる



この日は天気が良く、午後の日差しが強すぎてデジカメには厳しい条件。副住職の話しによると午前11時頃がいいと
近くに道の駅と入浴施設があることも知っていたので出直すことにした。そして、翌日…



この三重塔はその美しさから、近くを通る東山道の旅人がふり返りふり返り塔を眺めたことから「見返りの塔」の名でも親しまれ、日本一美しい塔とされている






この塔は丘にあるため、自分の好みの高さから拝観することができる



私の車旅の大きな目的の一つがこの美しい塔巡りということも理解してもらえるのではないか






この塔は国宝では10番目に訪れた塔になる






羅漢石像
三重塔の入り口付近にある羅漢像



思わず笑ってしまうような石像






「見返りの塔」



撮影 平成29年5月20日・21日
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生島足島神社(長野県上田市下之郷)

2017年11月10日 | 神社・仏閣
生島足島神社
利便地なだけに参拝者ばかりでなく、親子の散歩や駐車場では休息を取っている仕事人の姿も多い

東鳥居



鳥居には「生島足島神社」の額



家族欅
1本の根から4本の欅が生えている巨木。 家内安全、子孫繁栄の御神木



手水舎



東御門



御神橋



一般参拝者は渡ることができず、諏訪神が本社に遷座する時のみ開かれる



子安社



良縁子宝、安産子育、夫婦円満の神として崇敬され、 数多くの子安絵馬が奉納されている



磐座・磐境(いわくら・いわさか)
祭りに際して神が降臨する岩石もしくは石を築きめぐらした一定の場所のこと
社殿建築以前の古代祭祀における祭場という説もある



神池・神島・御本社
御本社は、池に浮かぶ小島の上に鎮座する「池心の宮」という古代的形態を採る



御本社(上宮)
生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、満足を与える「足島大神」の二神が祀られている



床は、内陣・外陣とも土間であり、内陣の土間すなわち「大地」が生島足島神社の神体とされている



御本社には撮影禁止の札がある



摂社 諏訪神社(下宮)
御本社と向かい合い、本殿と門が県宝
慶長15年(1610年)に上田藩主・真田信之の寄進によって再建



夫婦欅



神楽殿
諏訪神社の拝殿として建立。獅子舞・浦安の舞や結婚式が行なわれる



歌舞伎舞台(長野県宝)
武田信玄が必勝を祈った「願文」などの古文書が常設展示されている
生島足島神社文書 94通(古文書) が重要文化財に指定
武田家臣団が信玄への忠誠を誓約した起請文
武田家臣団の一部にあたる237名が誓約し、うち83通が現存している



撮影 平成29年5月20日
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仁科神明宮(長野県大町市大字社宮本)

2017年11月09日 | 神社・仏閣
仁科神明宮
平安の昔から鎮座する日本最古の神明造を持つ国宝の神社
安曇野の大王わさび農場から車で20分ほど、閑静な場所にある



三本杉
昭和54年の突風で一本が倒伏した。根本の部分を元の位置に復元保存している



手水舎






二の鳥居



社務所
DVD等を事前に視聴してからの参拝を勧める



三の鳥居
石段を上ると三の鳥居が見えてくる。



この鳥居は伊勢神宮の遷宮により下賜された資材で建立されている



境内の案内板。写真整理の手助けになっている



神門
石段を上がると鳥居の奥に徐々に神門の姿が見えてくる



神域に入る。やはり独特の緊張感がある



少し離れた場所から確認すると、神門・拝殿・中門・釣屋・本殿の並びになる



拝殿
奥に見える中門・釣屋・本殿が国宝に指定されている



中門・釣屋・本殿(国宝)
中門は四脚門、切妻造、檜皮葺。本殿は、桁行3間、梁間2間、神明造、檜皮葺
釣屋がこれらを連結している



ともに寛永13年(1636)の造営で、江戸時代初期の端整な建築である。神明造の建築物としては、わが国で唯一の国宝である
これほど近くに寄ることができるのは珍しく夢中で撮っていたら足を滑らせ転倒してしまった
若干の打撲と擦過傷を負ったがカメラは護った



式年遷宮については、伊勢の皇太神宮にならい20年に一度社殿の造営を行い遷宮祭を行ってきた
南北朝の永和2年(1376)から造営棟札(重要文化財)は、すべて保存
600年を超える長い間一度も欠かすことなく奉仕されその記録を遺してきたことは全国に例がない

神楽殿






歴史ある神社に加え、国宝の社殿を持つということで、多少身構えていたが…



宮司が参拝者に声を掛け説明するなど、良い雰囲気であった



撮影 平成29年5月20日
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大王わさび農場(長野県安曇野市穂高)

2017年11月08日 | 名所・旧跡
大王わさび農場
「安曇野ワイナリー」に勤務する複数の女性に勧められた場所である
わさびも美しい風景もそれほど興味はなかったが行ってみることにした



NHK朝ドラ「おひさま」の舞台となった場所と聞いて俄然気持ちが動く
ドラマを見ていて「きれいな所だな」とずっと思っていたからだ



周辺を流れる川岸からの景色



この日は土曜日で開場40分前に着いていたが、すでに数十台の車が駐まっていた

百年記念館
『オモシロクテ、タメニナル』を基本コンセプトとして構成されている



わさびに関する知識もきれいな水が必要だ程度しかなく、歩いて見ることにした



畑の上には細長い黒い色のテントのようなもので覆われている
陸上競技場のトラックのような感じだ



下から覗いて見るとこのようになっている。畑の中を水がちょろちょろと流れている



人が多く集まっている場所がある



万水川と蓼川が合流する地点



開拓ゆかりの人
大王わさび農場を開墾し、現在の繁栄に導いた4人の胸像。左は開拓者初代深澤勇市



大王神社



大王わさび農場の守り神。「魏石鬼八面大王」が祀られている



大王窟
その昔、魏石鬼八面大王が安曇野を治めていた
全国統一を目指す中央政権は、東北に侵略し住民を苦しめまた
住民を守るべく立ちあがった大王は、坂上田村麻呂率いる軍勢とひけをとることなく戦い続けた
追い詰められた大王は、わずかばかりの部下をともない、有明山のふもとの岩屋にたてこもった。その場所を再現



開運洞






幸いのかけ橋
カップルで渡ると幸せになれるとか
「わさび」の花ことばは、「幸せを運ぶ花」「目覚め」「うれし涙」



涼風小道・ポプラ小道
心の底から癒してくれる自然の森。小鳥のさえずりが心地良い涼風の小道
大王わさび農場の中でも穴場的なスポットだそうだ



北アルプス連峰が遠くに






大王さまの見張り台と太陽の石






八面大王の御神水
左から「美人の水」「御神水」「知恵の水」



私が飲んだのは「知恵の水」



水車小屋
この水辺は、1989年黒澤映画「夢」の舞台として選ばれ、当時のままの風景を残している



水車小屋も撮したかったが、絵を描いている人がいてあきらめた



農園内には数々の石仏が安置されている。数点のブロンズ像も…



男女の子供がわさび畑を眺めている姿が安曇野の明るい未来を感じることができ、とても気に入った



美しい自然などに興味がないと自分で決めつけていたが、居心地が良くつい長居をしてしまった
お土産に「わさび」と「大根のわさび漬け」を購入したが、実に旨かった



撮影 平成29年5月20日
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日本浮世絵博物館 その2(長野県松本市島立小柴)

2017年11月07日 | 博物館・美術館・記念館
日本浮世絵博物館
約10万点(うち肉筆浮世絵が約千点)の収蔵品は質・量ともに日本でも有数の浮世絵博物館である
訪れた期間は、桜を描き込んだ歌麿、英泉、豊国、広重、芳年、年方、巴水、吉田博らの名所絵、美人絵、役者絵などを展示していた









来館者のなかには西洋の外国人の姿もあり、一枚一枚注視し、うなずきながらみている姿が印象的だった






私より熱心に写真を撮っている外国人も
浮世絵は特別なのかも知れない












この絵は上野の寛永寺を訪れたときに昔の風景という内容で写真が掲載されていた
上野寛永寺(清水観音堂)












撮影 平成28年5月19日
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日本浮世絵博物館 その1(長野県松本市島立小柴)

2017年11月06日 | 博物館・美術館・記念館
日本浮世絵博物館
絵を描く知人の影響で、車旅期間中の雨の日などは美術館や博物館に行くことが多くなった
その中でも浮世絵や墨絵などを好んでみる。この日は晴天であったが自然足が向いた



調べてみると、収蔵品は江戸時代松本の豪商であった酒井家5代200年にわたる「酒井コレクション」が中心となっている
撮影禁止の文字やマークが無かったため係の女性に確認するとフラッシュ撮影以外は可能とのこと



展示室内部はこのようになっている。絵を保護している額のガラスに室内の照明が反射している作品も多い



博物館には、師宣、政信、春信、春章、文調、清長、写楽、歌麿など多岐にわたる所蔵品が展示されている
私が撮った作品はコントラストと彩度を上げているため、実際の色彩とは異なっている












作品に室内の照明が写り混まないようにして撮っているため、実際の作品の構図と大きく異なっている
























すでにお気づきだと思うが、今回は全て女性を描いたもの
























撮影 平成29年5月19日
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万治の石仏(長野県下諏訪町東山田字石仏)

2017年11月05日 | 名所・旧跡
万治の石仏
諏訪神社下社春宮から徒歩3分の場所にある



伝承によると、諏訪大社下社春宮に石の大鳥居を造る為にこの石仏を材料にしようとノミを入れた
傷口から血が出てきたため職人達は祟りをおそれ、石仏を阿弥陀如来として祀った



大まかな内容を把握して、大好きな石仏に近づいてみる



岡本太郎氏が絶賛したことにより注目されたそうだが、いかにもと云う感じがした



横から観てもこれまで出会ったことのない独創性に溢れた石仏だ



「南無阿弥陀仏」と刻まれている



高さ約2.7メートル、奥行き約4メートルの胴体の上に、高さ約60センチメートルの頭部が載っている



この時期、お願いしたい事があったので作法に則ってきちんとお参りした



小説家・新田次郎も万治の石仏を賞賛
万治の石仏がイースター島の石人の頭部が日本へもたらされたとする大胆に想定
この想定を基に小説「万治の石仏」を書いている



不思議な魅力を持つこの石仏、一度見たら一生忘れない

撮影 平成29年5月19日
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諏訪大社 下社 春宮(長野県諏訪郡下諏訪町)

2017年11月04日 | 神社・仏閣
諏訪大社 下社 春宮
諏訪大社は、諏訪湖の周辺に4か所にある神社。そのうち3か所訪れたことになる

鳥居



狛犬



参道の奥に神楽殿が見える



結びの杉
この杉の木は先で二股に分かれているが、根元で1つになっていることから縁結びの杉といわれている



神楽殿



神様に雅楽や舞を奉納したり、祈願を行う建物



上諏訪社



若宮社



春宮一の御柱
寅年と申年の7年に一度行われる御柱祭(式年造営御柱大祭)で社殿の四隅に建てられる樅の巨木



幣拝殿(重要文化財)



江戸時代、安永9年(1780年)落成。幣殿と拝殿が一体となった二重楼門造り



秋宮の宮大工と技を競い合ったというだけに、彫刻も見応えがある



春宮にも本殿がなく、杉の古木を御神体として祀っている



左右片拝殿(重要文化財)






春宮二の御柱
大きなもので長さ17m、重さ10t を超え、山中から人力のみで神社まで運ばれ、建て替えられる



子安社



筒粥殿
毎年1月14日の夜から15日の朝にかけて、神職がいろりを囲み、一晩中火釜に葦の筒と米と小豆の粥を入れて炊き込む
葦筒44本の内43本は作物の吉凶を、残りの1本は世の中を占う



この日は朝から本宮・秋宮・春宮と巡ってきた、残り一つ「前宮」があるが、気力が無くなってきたので止めることにした
諏訪大社に夢中になり、諏訪湖の湖面を一度も見ることはなかったのが残念



撮影 平成29年5月19日
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諏訪大社 下社 秋宮(長野県諏訪市中洲宮山)

2017年11月03日 | 神社・仏閣
諏訪大社 下社 秋宮
上社 本宮から法華寺に立ち寄り下社 秋宮に向かった

手水舎



鳥居
鳥居からの景色を見るだけで期待感が高まる



左右を木に囲まれた参道



根入りの杉
樹齢6~700年 丑三つ時になると枝先を下げて寝入りいびきが聞こえるという



宝物殿



神楽殿(重要文化財)
注連縄の長さ13m、出雲大社型では日本一の長さ



狛犬の高さ1.7m、青銅製では日本一の大きさ



江戸時代、天保6年(1835年)造営



神宮遙拝所
この方向に伊勢神宮があるということになる



鹿島社



子安社・賀茂上下社・八坂社



秋宮二の御柱



幣拝殿(重要文化財)
幣殿と拝殿が一体となった二重楼門造り。安永10年(1781年)落成



古くは秋宮・春宮間で建築の技が競われたという






神域を撮るには勇気がいるが一枚だけ



左右片拝殿(重要文化財)






秋宮一の御柱



稲荷社



若宮社



皇大神宮社






さざれ石



御神湯



一通り廻ったので印象に残った場所にもう一度。「幣拝殿と神楽殿」



次は、春宮に向かう



撮影 平成29年5月19日
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鷲峰山 法華寺(長野県諏訪市中洲神宮寺)

2017年11月02日 | 神社・仏閣
鷲峰山 法華寺
諏訪大社本宮からの帰り道にふとした案内板が目に入った



愛知県の吉良町には、今回の旅で立ち寄ったこともあり興味もあった

山門
この法華寺、調べてみると本能寺の変のきっかけとなった事件が起こった場所であることがわかった
武田討伐のため高遠城を落とした織田信忠は諏訪に入り、武田家の守護神である諏訪大社上社本宮を焼き討ちした
織田信長は、諏訪大社に隣接した法華寺に滞在し、武田討伐に加わった多くの武将が謁見に、論功行賞もここで行った



扁額 山号「鷲峰山(しゅうぶせん)」
明智光秀の言葉に激怒した信長は居並ぶ諸将の前で、殴る、蹴る、欄干に頭を押し付けるといった、歴史上でも有名な行為に
この時の恨みが本能寺の変の原因の一つになった



明治維新前の境内図から大きな寺院だったことがわかる。



もう一つの忠臣蔵



本堂
平成11年の放火により本堂などが焼失、山門だけが残ったという



彫刻が好きなので撮ってみた






この時は歴史的背景も放火のことも知らず、薄緑に塗られた本堂前に違和感を覚えていた



吉良義周(よしちか)の墓
義周に対して幕府は「不届き」として、領地を召し上げ、諏訪高島藩にお預けの身となり、高島城南の丸に幽閉される



3年後に病気のために死去。断絶した吉良家に、義周の遺骸を引き取る者はなく、この法華寺に土葬された






忠臣蔵といえば、どうしても浅野家の方に肩入れしてしまうが…



名門吉良家最後の当主の墓に、今も真新しい花が手向けられている



訪れたときには歴史上重要な寺とは知らず、駆け足で戻ってしまった
時代は違うが信長、家康、光秀と同じ場所に立っていたことになる



撮影 平成29年5月19日
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諏訪大社 上社 本宮 その2(長野県諏訪市中洲宮山)

2017年11月01日 | 神社・仏閣
諏訪大社 上社 本宮
神楽殿(重要文化財)
文政10年(1827年)造営。殿内に大太鼓






太鼓の皮は一枚皮が使われ日本一といわれる



この大太鼓は元旦の朝にのみ打たれる



天流水舎(重要文化財)



どんな晴天の日でも雫が三滴屋根上の穴から降り落ちるという(諏訪七不思議)



五穀の種池



この境内案内図を参考に記憶をたどっている。



雷電為右衛門の像
モデルは横綱柏戸、佐田の山及び富士錦の記載あり



雷電の手形と比較してみる



明神湯
何とお湯だ出てくる



本宮一の御柱



北参道鳥居
境内図によると参拝順序はここからとの記載がある



手水舎



社務所



高島神社



塀重門(重要文化財)



参拝所



拝殿・左右片拝殿(重要文化財)




神域で写真を撮るのは気の小さな私にはかなり勇気のいることだが、特にこの神社には無言の圧力を感じた



諏訪大社には本殿が設けられていない。本宮は拝殿後背の守屋山



祈願絵馬



勅願殿(祈祷所)
元禄3年(1690年)建立。神霊の宿る守屋山に向かって祈願するための建物



宝物殿



名残はあるが次の場所に移動しなければならない



撮影 平成29年5月19日
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