今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

多治見修道院(岐阜県多治見市緑ヶ丘)

2017年12月14日 | 教会
多治見修道院
キリスト教信者ではないが宗教建築物には興味がある
ここに訪れた目的は他にもあるのだが…それは後で



青空に白い雲、天気が良いと自然写真写りもよくなる



昭和5年(1930)カトリック神言修道会宣教師モール神父によって、修道生活と邦人会員の養成を目的に、日本管区の中央修道院として設立された



聖母子像
正門横に安置されている



案内板を見て「ルルドの洞窟のマリア像」に向かうが、その場所を探してもわからない
散歩に来たと思われる高齢の男性に「目」で来いと言われているような気がして、ついて行くとその場所だった



ルルドの洞窟のマリア像
洞窟とマリア像の前にベンチがある
老人が若い頃は別の場所にあり、若者の集いや憩いの場所であったことなどを語ってくれた



ルルドの地は、フランスの西南、スペインとの国境近くのピレネー山脈の奥地にある町
1858年に聖マリアが町外れた洞窟で少女の前に現れたという。
出現の証として湧き出した霊泉の水を飲み、或いはその水に浸した人たちの中で不治の病が完治するという奇跡が起こった



宗教に奇跡はつきものだが、国家間では宗教が戦争の大きな要因になっているのも、まさに奇跡だ
仏像拝観はいろいろ考えさせられるので好きだが、マリア像は自身の穢れた気持ちを浄化してくれるような気がする



やすらぎの小道
老人から修道院墓地に案内すると言われたが、足が不自由なようなので場所を聞いて一人で向かった



つきあたりの松がある場所で愛を告白したと話していたが、なるほど、そのような雰囲気になるような小道だ



修道院墓地
キリスト教の墓地は初めての経験で勝手がわからないので緊張した



日々の働きと生き方をもって、宣教師としての使命を全うされた数多くの神言会司祭、修道士の方々が永遠の憩いについている






墓地の中央に大きな十字架



修道院ワイン
ここを訪れたもう一つの目的は「修道院ワイン」の購入
修道院の地下にはワインの醸造、貯蔵設備がある
敷地内のブドウ畑で収穫されたブドウはここで醸造され「修道院ワイン」となる
太平洋戦争時の輸入ワイン不足の際、全国の教会にミサ用ワインとして供給されたという



礼拝堂内は撮影禁止。売店で「白ワイン」を1本購入。大学の同期会の土産にした









最後にマリア像



撮影 平成29年9月26日
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多治見市モザイクタイルミュージアム(岐阜県多治見市笠原町)

2017年12月13日 | 博物館・美術館・記念館
多治見市モザイクタイルミュージアム
道の駅「瀬戸しなの」に宿泊。いつもはコーヒーに菓子パンを食べながら行き先を決める
この日は珍しく寝床の中でスマホに向かって「最寄りの観光地」で検索
若い女の子のブログを見てここに行こうと決めた

この建物の形、面白いというか、驚いてしまう。建築家 藤森照信氏の作品



入口の案内がなければどこから入っていいのかわからない
真っ直ぐ行くと近いのに、遠回りをさせられるため、不思議な建物をじっくり見たり考えたりする時間を与えてくれる



4階建ての大きな建物だが、小さな入口が一つ
内部の様子がわからない上に、ドアの取っ手もなく不安になる
頼もうと言ったらいいのか、開けゴマと言ったらいいのか…、恐る恐るドアに近づくと何と自動で開いた



入館料は300円。館内の撮影も一部を除いて問題なし
順路が決められていて階段で4階まで上がる



階段にも工夫があるらしい
天井が高い、照明と自然光の調和、展示品…が頭に浮かんだが…



2階階段の展示品。足にしか見えないが、色々考えたので「考える脚」に



3階・4階へと続く階段。他のブログによると手前を広く、奥を狭くしているそうだ



4階 展示室
床から天井まで白いタイルに覆われた空間になっている
建物の壁がこの部分のみ丸く、くり抜かれていて外気に接している



この日は快晴で問題ないが、雨や風の日、冬には雪なども入ってくる。この発想も凄い



4階では館長に話しかけられ熱のこもった説明を受けた(周囲に男は私一人だったためか)
プロのカメラマンも撮影に来ているそうだ。皇室の真子様も来館されたという

紐の部分に付着しているのは、もちろんモザイクタイル。見せ方もすばらしい



数多くの展示作品より、私の好きなものを少し



本当に魚が泳いでいるような感じがする









作品の展示の仕方も素晴らしい



安芸の宮島



松島



桜井の別れ






マリリン・モンロー









日本人の手にかかると、タイルも芸術品に変わる









建物の大きさを知ってもらうために人物を入れてみた
女性の姿が圧倒的に多い、というより男は私一人



部屋の中央に置かれている巨大な作品



竹をイメージしているようにも思えるが



雨露による壁の染みも年月の経過と共に作品になるよう設計されているという



3階・2階 展示室
3階の展示室は多治見のモザイクタイルの製造工程や歴史をたどるコレクション



多治見市はモザイクタイル生産量が日本一だということを館内で初めて知った






山内逸三
笠原のモザイクタイルの先駆者。若い女の子はこの横で記念撮影。いい男はモテる



係の男性の話では来場した若い女性のSNSの影響により、予想をはるかに上回る来場者に驚いているそうだ



HP開くと安全確保のため入場制限するという記載もある



階段を降り1階へ向かうが、新たな女性グループが4階を目指している



1階 ショップと体験工房
タイルを貼った車が展示されている






居心地が良く2時間も滞在。外へ出るとカメラを構えている男性がいたので声をかけた
作品を作成中で、建物にふさわしい女性を待っているようだ



撮影 平成29年9月26日
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松洞山 龍泉寺(愛知県名古屋市守山区竜泉寺)

2017年12月12日 | 神社・仏閣
龍泉寺
フェリー内で重文の建築物がある、駐車場があるなどの条件を満たすということで選んだ寺である
初めて訪れる寺だと思っていたが、見覚えのある光景が広がっていた

仁王門(重要文化財)
慶長12年(1607年)建立。入母屋造杮葺きの楼門



扁額には山号の「松洞山」




仁王像






神馬
競馬好きで不謹慎ではあるが、馬券が当たりますようにと、いつも手を合わせる



手水舎
龍泉寺だけに「龍」なのか… ゴジラに見えるが…



本堂
最澄が熱田神宮参籠中に龍神のお告げを受け、多々羅池畔で経文を唱えると、池から龍が昇天すると同時に馬頭観音が出現、これを本尊として祀ったのが開基



空海も、熱田神宮参籠中に熱田の八剣のうち三剣をこの龍泉寺に埋納したといわれ、熱田の奥の院とされてきた
最澄と空海、華々しい歴史をもっている



明治39年放火により焼失後、焼跡から慶長小判百枚が掘り出された為、それを基金として明治44年現在の本堂が再建された
本尊は「馬頭観音」



扁額には「観世音」



額に描かれた画の船首像はペガサスか… 



本堂主瓦
約百十年もの間、本堂の頂で龍泉寺を護ってきた主瓦。



多宝塔
大日如来像を祀っていたが長久手合戦の際焼失
慶長3年から復興され、更に明治年間に大修理



阿弥陀如来を安置



鐘楼堂
明治40年に再建、鐘は第2次大戦中供出、以後昭和34年「平和の鐘」として近郷の有志の方々によって寄進された



書院



龍泉辨財天



境内に龍泉寺城があり、宝物館として展示(開館は日曜のみ)している
旅は二度目が良いと聞くが、新しい発見があるものだ



本堂に貼ってあった紙。この日は秋の旅、初日。元気が出る



撮影 平成29年9月25日
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八事山 興正寺(愛知県名古屋市昭和区八事本町)

2017年12月11日 | 神社・仏閣
興正寺
重要文化財の五重塔があると云うことを知り、数年前に訪れたことがあったが、生憎のどしゃ降りで軒下から眺めるだけ
また、大仏を鋳造し完成間近ということも、その時に聞いていたので機会があったら訪れようと考えていた
専用の立体駐車場があるが、私の車は高さがあるため特別許可をもらい、中門前に駐めた

中門
かつては「女人門」と呼ばれ、修行の場である東山と西山の境に建ち女人禁制を守っていた
昭和29年、「中門」として現在の五重塔前に移築された



釈迦牟尼大仏(平成大仏)
中門越しに見えるは大仏だ。「えっ、この場所に」が最初にでた言葉



平成26年9月に「国家安穏」の祈りを込めてこの地に安置された
楽しみにしていた「大仏と五重塔」だが、その楽しみが一瞬で終わってしまった…



高さ約7m、重さ約6t、青銅鋳造に漆塗り仕上げ。顔立ちも美しい






手水舎



五重塔(重要文化財)
塔を撮るベストポジションが消えてしまったことは残念だ



文化5年(1808年)に建立、高さは30m。
高さがあるため全体を撮れる場所は2か所、大仏が安置されたこともありそれが1か所になった



塔そのものを本尊を見たて、中心柱に大日如来を配し、その四方に、 阿閦如来(東)、宝生如来(南)、阿弥陀如来(西)、不空成就如来(北)が安置されている






八事山の霊水



西山本堂
寛延3年(1750年)五世諦忍和尚が西山阿弥陀堂として建立



本尊の阿弥陀如来をはじめ、弘法大師、大隨求明王、不動明王などが祀られている



能満堂
亨保2年(1717年)尾張徳川家六代藩主継友公の寄進。本尊は虚空蔵菩薩(秘仏)



不動明王の石仏



歴代墓所



大日堂と鎮守社
八事山内で最も高い所にある建物



元禄10年(1697年)尾張徳川家二代藩主光友公が、母の供養のために鋳造させた高さ約3.3mの大日如来像が総本尊






弘法堂(開山堂)
弘法大師、開山天瑞圓照和尚、興正菩薩叡尊の三祖を祀る



この辺りで若者を多く見かけるので尋ねると、中京大学の学生だという。側に大きな建物があったのが大学だった
さらに「奥の院」へと歩を進めると、お堂が見えてくる



不動護摩堂
覚鑁上人作といわれる不動明王を祀る



お堂前にある不動明王の石仏



東山本堂
本尊は阿弥陀如来。歴代先師位牌を祀る






元の場所に戻ろうとしたが一般墓地に迷い込んでしまった。方向音痴は辛い…



圓照堂
永代供養や納骨堂の施設



観音像の姿が美しい



境内のお堂の中では一番存在感がある






1時間近く歩き、やっと本堂に戻ってきた



観音堂
開山天瑞園照和尚が建立。本尊は正観世音菩薩(秘仏)



鐘楼



念願が叶って晴れた日の「五重塔」と美しい「釈迦牟尼大仏」を拝観することができた



撮影 平成29年9月25日
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覚王山 日泰寺(愛知県名古屋市千種区法王町)

2017年12月09日 | 神社・仏閣
日泰寺
H29年秋の車旅の最初に選んだ寺である
日本で唯一のいずれの宗派にも属さない日本の全仏教徒のための寺院であることと私の母校と似た寺名であることに心が動いた






名古屋市内ということで駐車場の不安はあったが、ネットの情報とは違い、山門横に無料の大きな駐車場所があった



山門



日本の山門では仁王像に睨みつけられるのが普通だが、この寺では僧侶の像(高さ4.5m、楠一木造り)が穏やかに迎えてくれる

阿難尊者(釈尊の弟子で晩年侍者として仕えて最後を看取った)



迦葉尊者(仏弟子の最長老で釈尊滅後の仏教教団を率いて二祖となった)



五重塔
この寺に五重塔があることは知らず、境内に入って驚いてしまった



塔が好きでたくさんの枚数を撮ってきたが、このように「青空に白い雲」という好条件で撮った記憶がない



1997年(平成9年)完成。高さが30m、中には写経が納められている



塔の周辺を歩き回り、いろいろな角度から撮ることにしている



塔の構造などには興味も知識もない。ただ眺めているのが好きで、塔がある寺では滞在時間の7割はその周辺にいる



鐘楼
1985年(昭和60年)完成









手水舎






本堂
昭和59年に落成。内部中央には明治33年に真舎利と共にタイ政府より贈られた釈迦金銅仏が本尊として安置されている



扁額には山号の「覚王山」 覚王とは、釈迦の別名



また寺名の「日泰」とは、日本とタイ王国を表している。額の「轉法輪」は仏の教法を説く意



タイ国側から本堂を見る



タイ国チュラロンコン国王の立像



参拝者が誰もいないように見えるが、実際はかなりの人数が…



タイ王国から寄贈された真舎利(遺骨)は、本堂のある境内からやや離れた「奉安塔」の中に安置されている
塔の周辺をふらついているうちに、そのことをすっかり忘れてしまった

撮影 平成29年9月25日
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諸岳山 總持寺祖院(石川県輪島市門前町門前)

2017年12月07日 | 神社・仏閣
總持寺祖院
H27年春の放浪の旅も總持寺祖院が最後になる
かつては曹洞宗の大本山「總持寺」であったが、災禍を機に本山の機能が横浜市へ移転



移転先が「大本山總持寺」となり、能登の「總持寺」は「總持寺祖院」と改称され別院扱いとなった



扁額「三樹松関」。この門のそばにあった3本の龍の形をした松に由来するといわれる



手水舎



稲荷堂






パワスポ「おそうじ小僧」



昔、パワースポットなどなかったのに



芳春院
加賀国の戦国大名・前田利家の正室「まつ」の菩提所



2男9女を産む。女性1人が産む子供の数が多かった戦国時代にあっても11人の実子がいる女性は稀有



賤ヶ岳の戦いで柴田勝家方に与した前田利家が敗走した際、越前府中で羽柴秀吉に会って和議を講じて利家の危機を救った
慶長4年(1599)に利家が病死すると出家し、芳春院と号する



経蔵(石川県指定文化財)
加賀6代藩主、吉徳公より寄進された



寛保3年(1743)年の建立






パワスポ「味噌摺り地蔵」
毎日味噌摺りを修行としていた小僧の唯一の念願が善光寺参り
境内にある地蔵に願掛けをして総持寺を抜け出したが、小僧の願をえて留守中身代わりになり、味噌を摺った



山門(登録有形文化財)
2007年の能登沖地震で土台の石積みが沈下し、200tある山門を持ち上げ、曳家(ひきや)工法により約20m後ろに移動させた



手前では土台の修復工事(この場所に山門が建っていた)、奥には移動した山門
立入禁止だが透明のアクリル板越しに工事の様子を見ることができた



昨年訪れた弘前城でも同じ工法で天守閣が移されていた
この山門、現在は元の場所に戻っている






香積台(登録有形文化財)
総受付、総持寺祖院運営の中枢部。大調理場、配膳、浴場、東司を付属する



仏殿
香積台から堂内に入る
曹洞宗の寺院は撮影に関しては寛容であるが、地震の痕跡から整理整頓されていない部分については撮影は禁止されている

釈迦牟尼仏を正面に、左に達磨大師を、右に大権修理菩薩を安置する書院風仏堂



本尊「釈迦牟尼如来」



法堂<大祖堂>(登録有形文化財)
総檜造りの大伽藍



正面唐破風の彫刻は素晴らしい



この場所だけは別世界で豪華絢爛(私は苦手だが)。何か行事があったのか修行僧が片付けに奔走している
話しかけると丁寧に対応してくれる



永平寺でも感じたことだが、曹洞宗の修行僧の行動ををみていると何故か気持ちがよくなる
将来、偉そうな僧ではなく、偉い僧になってもらいたいものだ



山岡鉄舟書
山岡鉄舟は、勝海舟、高橋泥舟(槍の達人)とともに幕末三舟といわれた一人であり、剣・禅・書の達人であった

「鉄樹枝を抽(ぬき)んじ石樹花を開く」

鉄樹  



抽枝  



石樹 



開花



以前、訪れたとき遠くから眺めたこの書が一番記憶に残っていた。今回は目の前でみることができとても嬉しい

10年前の地震の痕跡が…






鐘楼



僧堂
禅修行の中心の場。昭和5年(1930年)再建

選佛場



修行はもう嫌だが、座禅には少し興味がある
だが、脚が短く太いため、正しく組むことができない上に猫背…、やっぱり無理か



伝燈院
開祖 瑩山紹瑾の霊廟。元禄6年の建立






朝夕に厳かに僧侶の奉仕が為されている



パワスポ「白山殿(白山妙理大権現)」
仏法と修行生活の護り本尊



右手に経蔵を眺めながら歩く



駐車場に戻る道、県立門前高等学校の塀と門



お土産に輪島塗の器でもと気軽な気持ちで道の駅「輪島ふらっと訪夢」へ向かう
値札をみて吃驚、自分には購入するだけの器がないことを思い知らされた

翌朝、自宅に戻るため新日本海フェリー新潟港の電話番号をナビに入力
その番号が舞鶴港のだと気づいたころには、時すでに遅し、時間とお金を無駄にした

撮影 平成29年5月26日
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金栄山 妙成寺 その3(石川県羽咋市滝谷町)

2017年12月06日 | 神社・仏閣
鐘楼(重要文化財)
寛永2年(1625)建立と伝える。奥に見えるのは重文の仁王門



桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、杮葺



祖師堂(重要文化財)
寛永元年(1624)建立と伝える。方五間、単層入母屋造、杮葺



左が重文の本堂、右が祖師堂



宗祖日蓮聖人の坐像の左右に、開山日像上人と日像上人の師である日朗上人の坐像を祀る
入口正面には、彩色を施した迦陵頻伽(仏に使える想像上の生き物)の欄間がある






書院庭園



池泉鑑賞式の庭園は、石川県指定名勝



十数年前に訪れたとき部屋にあがり殿様気分で庭や塔を眺めたが、立入禁止になっていた



花が綺麗だったので一枚



妙成寺がある地区は交通の要衝であり、軍事的にも重要な場所で、戦が絶えることのなく城砦のような機能があった



五重塔は、お城の天守閣としての役割がある
塔の上層階からは境内の脇わきを通る街道も見下ろせ、日本海も一望できる
さらに、塔の窓は殿様が滞在する書院の方角に開けてある
攻め入る外敵を見つけたら、いち早く殿様に連絡できるようになっていた



客殿



10棟の木造建築物が国の重要文化財に指定され、参拝順序を参考に注意深く歩いてきた
ところが写真を整理していて「庫裏(重文)」の写真がないことに気付いた。客殿を庫裏と勘違いしていた



外国人観光客(学生風)の集団がやってきて、建物周辺で説明を受けていた
誰もいない場所をさがしていると面白い模様になっている池があった






車旅で旅行中に実兄が交通事故で入院、重篤な状態との連絡が入った。旅の途中だが、自宅に戻ることにした
この日が旅行の最終日となり、この五重塔の美しい姿を観ておきたかった



撮影 平成29年5月26日
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金栄山 妙成寺 その2(石川県羽咋市滝谷町)

2017年12月05日 | 神社・仏閣
丈六堂(釈迦堂)
石川県文化財に指定
貞享3年(1686)建立。入母屋重層こけら葺。桁行5間、梁間4間半



「丈六堂」の額



一丈六尺(4.85m)の釈迦如来立像が安置されている



仏は身長が1丈6尺 (約 4.85m) あるといわれることから仏像も丈六を基準としている



羽咋市柴垣の海岸に像の頭だけが流れ着き、これに合わせて胴体が造られたという









焰魔堂



堂内の閻魔大王



三十番神堂(重要文化財)
慶長19年(1614年)建立。三間社流造、杮葺



加賀藩3代藩主利常が大坂冬の陣に出陣する際、戦勝祈願のために建てられたという



内部には毎日、交代して国を守る日本の神30体(三十番神)を祀っている



三十番神堂拝殿(県指定文化財)



三光堂(重要文化財)
元和9年(1623年)建立と伝える。方五間、単層入母屋造、杮葺



堂内に太陽を表す「日天」、月を表す「月天」、星を表す「明星天」の3光天像を安置している



本堂(重要文化財)
慶長19年(1614年)建立。桁行(正面)五間、梁間(側面)五間、入母屋造、杮葺



見たことのない字体、寺名の「妙成寺」



堂内の様子



桃山建築の粋が集められ、京都建仁寺流の流れを組む大工坂上又三郎により建立されたと伝わる



撮影 平成29年5月26日
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金栄山 妙成寺 その1(石川県羽咋市滝谷町)

2017年12月04日 | 神社・仏閣
妙成寺
日蓮の孫弟子に当たる日像が開祖。日蓮宗の北陸本山で、能登随一の大伽藍をもつ
本堂、五重塔、祖師堂、経堂など10棟が国の重要文化財に指定されている



参拝順路が示された案内板
寺にあまり興味を持っていない時期に一度訪れたことがある



さざれ石



浄行堂
浄行菩薩をまつる御堂
浄行菩薩は法華経に出現する菩薩で、水が、あかや、けがれを清めるように人間の煩悩の汚れを取り除いてくれる



妙成寺ではこのような説明書きが各場所にあるため理解しやすい



私も説明にあったように、柄杓に水を汲み…



足下にあった「たわし」で像をやさしく洗ってみた
ご利益は今も健康でいられていることかな



仁王門(重要文化財)
寛永2年(1625年)建立。三間一戸楼門、二階建入母屋造、棧瓦葺



案内板には「楼門」と記されている



加賀藩の書家・佐々木志津麿揮毫による「金榮山」の山号額



仁王像












五重塔(重要文化財)
底辺4.85m四方、高さ34.27m



惚れ惚れするような美しい塔だ



春の車旅最終日に、この寺のこの五重塔を観たかった



周辺を歩き回ってみたが、塔全体を撮れる場所は2か所のみ…



青空に白い雲は次回に期待しよう



日像上人の像



開山堂(石川県指定文化財)
開山堂は延宝5年(1677)に妙成寺十九世日遼が建立



堂内には開山日像上人や二世日乗をはじめとした歴代貫首の供養笠塔婆を安置



経堂(重要文化財)
寛文10年(1670)建立。桁行五間、梁間三間、一重寄棟造、棧瓦葺



堂内には「天海版一切経」と、北陸最古の「 応永22(1415)年版 妙法蓮華経8巻分の版木64枚」が納められている
天海版一切経は、徳川家康・秀忠・家光の3代の将軍に仕え、江戸に寛永寺を開いた天台宗の僧天海が木活字を使って開版した経典



「法宝蔵」の額



大槻伝蔵の墓
残念ながら、この人物も加賀騒動も知らない






浩妙院殿墓
前田家三代 利常公長女



寿福院殿墓
前田家三代 利常公生母



撮影 平成29年5月26日
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気多大社(石川県羽咋市寺家町)

2017年12月03日 | 神社・仏閣
気多大社(けたたいしゃ)
正式には「氣多大社」と書く。能登国一宮
祭神の大己貴命は出雲から舟で能登に入り、国土を開拓したのち守護神としてこの地に鎮まったとされる

鳥居



手水舎



狛犬



神門(重要文化財)
安土桃山時代(社伝によれば天正12年(1584年))の造営。切妻造、四脚門で、檜皮葺






拝殿(重要文化財)
承応2年(1653)または承応3年に大工・山上善右衛門による造営とされる。入母屋造妻入で、檜皮葺
残念なことに中心となる拝殿・本殿がこのような状況になっていた



摂社白山神社本殿(重要文化財)



縁結の道
縁を結びたがっている人の多いのには驚く。私にはもう必要ない道だ…



神庫(宝蔵)
天明7年(1787年)の造営。方一間の校倉造檜皮葺



「入らずの森」(天然記念物)
原生林の社叢が広がっている。「入らずの森」として立入禁止



神輿堂









昭和天皇陛下御製碑



太玉神社






菅原神社



亀鶴蓬莱山 正覚院



山門
高野山真言宗の寺院



石造十三重塔



白寿(ぼけ封じ)観音
白寿は「百」という字から一を引いた数、99才になる



百までは無理だし、ぼけ封じもすでに始まっているので無駄だと思うが手を合わせた



護摩堂



本堂
気多大社の神宮寺の坊のひとつとして泰澄が開いたと伝えられる。



鐘楼






阿弥陀堂



弘法大師像






養老大黒像奉安殿



案内板には「幸運のだいこく像」と…



撮影 平成29年5月26日
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安国山 五智国分寺(新潟県上越市五智)

2017年12月01日 | 神社・仏閣
五智国分寺
5年前に訪れたときに三重塔の相輪が変形していたのが気になっていたので再び訪れた
地元の歴史愛好家に説明を受け、近隣を案内してもらったことを思い出す

山門



扁額には山号の「安国山」



仁王像は天保7年(1836)に製作されたが、平成6年に倒壊した為、3年をかけて修復した



像の前に金網などの障害物がないと、迫力が伝わってくる



経蔵
上越市最古の建物



本堂
聖武天皇の勅願によって建立された越後国分寺の所在地はわかっていない
永禄5年(1562)上杉謙信によって、現在の場所に再建された



本尊は、大日、薬師、宝生、阿弥陀、釈迦の五智如来



現在の本堂は昭和63年焼失後の平成9年に再建されたもの



親鸞聖人像
承元元年(1207)、専修念仏禁止の弾圧により、親鸞聖人は越後の国に流罪となった



竹之内草庵
国分寺住職は、聖人とは比叡山で同学の友で、国司に申し出て境内の五仏のそばに草庵を結ぶことになった



その草庵は、竹林に囲まれていたので竹之内草庵と呼ばれた



三重塔
山門から本堂に向かう際に「相輪が直っている」ことを確認



5年前には宝珠の部分が曲がっていた。



相輪あっての塔だけに、本来の美しさが戻ったといえる






高欄など未完成のようだが、シンプルな姿がいい



新緑に囲まれた美塔は心が和む。



境内には老人の話し声が響いている。老婆がお参りにやってきた



親鸞聖人上陸の地



石段が6段に区切られている。南無阿弥陀仏の6文字を意識しデザインしたと聞いている



朝からの雨もあがり、青空が見えてきた
親鸞が上陸したときの天気や波はどうだったのかなど考えていた



この日の夕方、道の駅「うみてらす名立」



旅先で見る落陽は感慨深いものがある



撮影 平成29年5月25日
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