蔵の街・喜多方から、まほろば街道-2です。本日は曇り空です、でも雨が降らなかったので周りの田んぼでは稲刈りが盛んに行われています。
会津まほろば街道は、会津盆地の西山沿いに熱塩加納から会津芦名家の祖といわれる佐原十郎義連(じゅうろうよしつら)の墓前を通り熊野神社本宮・新宮長床・坂下町へ入り宇内薬師・立木観音・中田観音・法用寺、美里町から昭和村へ向います。千数百年の歴史と文化が残るまほろばの里です。まほろば=真秀ま・ほ・ら・場所をさす、すぐれたよい所、国、なそうですが、今日では一般的にいにしえからのひとびとが住み着いて現在に至っている郷をまほろばと呼んでいるようです。昔から人が住んでいた郷です。里山が近くに在り、前方に川か沼が在り、そして前には耕地が開けている場所です。喜多方の西山沿いを南下すると会津の平野が一望できます。そして川が流れ阿賀川へ、川は昔から道でもあったので川のお陰で文化が入って来たのかも知れません。まほろば街道を少し歩いて見ましょう。本日の画像は熱塩加納に在る、伝佐原十郎義連の墓です。三浦一族で源頼朝より会津の地を与えられ領主になったといわれています。
会津まほろば街道は、会津盆地の西山沿いに熱塩加納から会津芦名家の祖といわれる佐原十郎義連(じゅうろうよしつら)の墓前を通り熊野神社本宮・新宮長床・坂下町へ入り宇内薬師・立木観音・中田観音・法用寺、美里町から昭和村へ向います。千数百年の歴史と文化が残るまほろばの里です。まほろば=真秀ま・ほ・ら・場所をさす、すぐれたよい所、国、なそうですが、今日では一般的にいにしえからのひとびとが住み着いて現在に至っている郷をまほろばと呼んでいるようです。昔から人が住んでいた郷です。里山が近くに在り、前方に川か沼が在り、そして前には耕地が開けている場所です。喜多方の西山沿いを南下すると会津の平野が一望できます。そして川が流れ阿賀川へ、川は昔から道でもあったので川のお陰で文化が入って来たのかも知れません。まほろば街道を少し歩いて見ましょう。本日の画像は熱塩加納に在る、伝佐原十郎義連の墓です。三浦一族で源頼朝より会津の地を与えられ領主になったといわれています。