蔵の街・喜多方から、昨日喜多方プラザ(小)ホールに於いて教育講演会・「日本一の蔵めぐり」講師 須磨 章 氏が開催されました、喜多方市学校教育課の主催です。地域の先生方、300余名で満席でした、私も一般人として参加し聴講してきました。一般の方は数える程しかいませんでした。
1975年7月7日にNHK総合テレビで放送された「新日本紀行」蔵ずまいの町を、大きなスクリーンで、VTR観ながらです。私は昨年の講演会の時に観ましたが何回観ても良いテレビ番組だと思います。何度か再放送されているそうです。
その番組をプロデュースしたのが、当時NHKへまだ入局して何年もたってない須磨氏が福島県郡山放送局に勤務していた時に制作した番組です。
以来、須磨氏は蔵の街喜多方と35年のお付き合いなそうです。私がブログで何度か書いてますが、ローカル新聞の片隅に蔵の写真展の記事を見つけたそうです、でもその時は写真展に来る事は出来なかったそうですが、その後蔵の街が番組になるかどうかと言うことで、何度か足を運びます。番組の下調査・リサーチと呼んでいるそうです。そこでいよいよ須磨氏は蔵の街・喜多方にのめり込むのです。
まづ第一に、蔵に人が住むと言うことにビックリしたそうです。
そして、蔵の豪華さ、 蔵とは倉とばかりおもっていたのが、
つぎに蔵に住む人々の豊かな教養に驚き、蔵を守る大奥様達の気品に惚れたと言ってます。
そして忘れてならないのが、蔵の写真の写真荘の頑固親父・金田 実 先生ですと。蔵の街の生みの親は間違いなく金田実先生です。金田先生なくして蔵の街は無かったと言う事でした。
須磨さんの講演をはじめて聴く先生方も多かった様ですし大変素晴らしい講演会だったと思います。学校教育課さん、これは素晴らしい企画でしたね。
須磨氏は、喜多方のふるさと大使を務めています。我が国の世界遺産の事務局の責任者でもあります。我が国で世界遺産に申請したいと言う物件は数百件もあるそうですが勿論殆ど通らないそうですが、各地域でその土地で地域遺産を選びそれらを大切に守り保存していく事も大切な事とゆうことです。我が喜多方ではやはり蔵です。どうしても残していかなければならない蔵が数軒あります。本日は長くなってきたので、終わります。
本日の画像は「ひなの蔵めぐり」参加店ではありませんが、立派なお雛様を二組店内に展示してます。上町の五十嵐六七八商店の享保雛です。
1975年7月7日にNHK総合テレビで放送された「新日本紀行」蔵ずまいの町を、大きなスクリーンで、VTR観ながらです。私は昨年の講演会の時に観ましたが何回観ても良いテレビ番組だと思います。何度か再放送されているそうです。
その番組をプロデュースしたのが、当時NHKへまだ入局して何年もたってない須磨氏が福島県郡山放送局に勤務していた時に制作した番組です。
以来、須磨氏は蔵の街喜多方と35年のお付き合いなそうです。私がブログで何度か書いてますが、ローカル新聞の片隅に蔵の写真展の記事を見つけたそうです、でもその時は写真展に来る事は出来なかったそうですが、その後蔵の街が番組になるかどうかと言うことで、何度か足を運びます。番組の下調査・リサーチと呼んでいるそうです。そこでいよいよ須磨氏は蔵の街・喜多方にのめり込むのです。
まづ第一に、蔵に人が住むと言うことにビックリしたそうです。
そして、蔵の豪華さ、 蔵とは倉とばかりおもっていたのが、
つぎに蔵に住む人々の豊かな教養に驚き、蔵を守る大奥様達の気品に惚れたと言ってます。
そして忘れてならないのが、蔵の写真の写真荘の頑固親父・金田 実 先生ですと。蔵の街の生みの親は間違いなく金田実先生です。金田先生なくして蔵の街は無かったと言う事でした。
須磨さんの講演をはじめて聴く先生方も多かった様ですし大変素晴らしい講演会だったと思います。学校教育課さん、これは素晴らしい企画でしたね。
須磨氏は、喜多方のふるさと大使を務めています。我が国の世界遺産の事務局の責任者でもあります。我が国で世界遺産に申請したいと言う物件は数百件もあるそうですが勿論殆ど通らないそうですが、各地域でその土地で地域遺産を選びそれらを大切に守り保存していく事も大切な事とゆうことです。我が喜多方ではやはり蔵です。どうしても残していかなければならない蔵が数軒あります。本日は長くなってきたので、終わります。
本日の画像は「ひなの蔵めぐり」参加店ではありませんが、立派なお雛様を二組店内に展示してます。上町の五十嵐六七八商店の享保雛です。