蔵のまち喜多方から 仏都会津。
昨日は恵隆寺と高寺下ろしについて記しましたが、本日は磐梯町慧日寺跡です。
先日投稿したように、平安時代の初めに南都法相宗の高僧 徳一によって開かれた寺院で
東北地方では開基の明らかな寺院としては最古のものとして知られています。
画像は復元金堂と中門です。この金堂に薬師如来座像が来年度から制作が始ります
慧日寺跡は広大な地域です、現在の恵日寺と山門が在り仁王門、薬師堂、徳一廟
そして、磐梯神社が在ります、 春になって、木ざし桜の咲く頃になったら訪れてみて下さい。
琵琶曲 会津平家物語 作 福岡 九州男
慧日寺に咲く慈悲の花 (徳一大師の生涯) 先日1ページ目を投稿してあるので2ページ目から紹介します
老いたる翁と媼ざして在り 共に並びて合掌し
小さき声にて経文口ずさむ 何れより来る人にや誰知らず
後にして 噂によるならば 高寺の堂守の末と聞く
時一刻にして多くの里人集まりて 徳一の声に和し称名を上ぐ
その声は大波の如く高なれば 木立の杉の風さえも たち騒ぐ
なかには涙声にてむせび泣く 徳一はここに集まり来し里人に
おもむろに一礼「愚僧は奈良の都より来るなり筑波の山の中禅寺
径て 漸くにここに着く 愚僧は仏に仕える者にして
薬師菩薩の御心を 身に帯びし沙門なり」と
その眼 菩薩の如くなり 徳一の言葉終わらぬその内に
足萎えて歩くことさえ儘ならぬ 一人の媼声あげ
「南無大慈薬師菩薩 南無大慈悲薬菩薩
この萎えし体仏の力もて癒し給え」と声を上げて訴える
徳一はその媼の細き足取りて 手にせる念珠もて祓いたれば
忽ちに立ち上がり 一歩二歩と歩みたり 徳一はその媼の身を支え
「仏の慈悲やここに現る」と告げたれば 多くの里人驚きて
流るる涙拭き合掌し「南無大慈悲薬師菩薩 南無大慈悲薬大師菩薩」
と 声を上ぐ 徳一はこの恵隆寺跡に三日三晩止まりてすごしたり・・・
本日は2ページまでにしておきます、