蔵のまち喜多方から
晴れ間の多い穏やか天候でした。
週末は、又雪のマークが出てます年末に向かい降り出しそうです。
本日の画像は先日も挿入してありますが、会津若松市河東町 会津高野山 八葉寺です。
空也上人は巡錫中、会津の野辺たる当地に至り、こここそが探していた紫雲たなびく聖地と思い定め
近隣の野ざらしにされた遺骸を集め、丁寧に埋葬して供養された、いつしか当地が精霊の集まる地として会津一円の
人々はこれに習い、毎年八月一日から七日までの間に一族揃って盆迎えのために参詣し、先亡精霊が無事に里帰りできるようにと
祈って カナガラボトケを納めた、室町時代から続く風習で現在も続いています。
琵琶曲 会津平家物語 作 福岡 九州男
慧日寺に咲く慈悲の花(徳一大師の生涯)・・・その3
その間 近郷近在の里人は 噂を聞きて集まれり
塔寺の大檀那の家に止まりて 恵隆寺の復元に力を与えたり
その折に青岩の遺せる芍薬の奇薬につきても語りたれば
里人これに肯けり 徳一は四日目に暁天に
東の空に聳える磐梯山に紫雲たなびくを見て
これこそは瑞兆なりと意を決し 御神楽 山都 飯豊の麓をば
西より東に向かって旅立てり 誘い来る先達により
漸くにして磐梯に着く 徳一は葦原の彼方に浮かぶ磐梯山こそは
会津野の北東に在り 表鬼門にあると知り ここに仏の都
営まんと誓いたり
仏都京都を守るは比叡山 慧日寺は東の仏都 会津の比叡山
似たりと思いし 徳一は この磐梯山こそが、 仏の示す地なりとて
ここに堂宇建立を思い立ち 折よくも此の時 東夷鎮撫の宣旨
密かに受けし空海は 独り行脚を続け居たり
徳一は図らずも空海と会津の空の下にて相まみえ これこそは
仏の導きなりと喜びて 共に両人相語る
空海は三一論争の三乗論を説く さすれば徳一の思いはより深く
忽ちにして意を通ず・・・