日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

患者さん(の親御さん)とのトラブル

2007-08-06 12:26:29 | Weblog
 30年余小児科医をしていて、いろんな患者さん(の親御さん)と接触してきた。30年前から、既に、医療訴訟のことをいつも考えて医療をしてきている。
 大学を去る時、H教授が、「裁判沙汰になった時、大学で田原君が如何に患者さん思いのドクタ一であったかをちゃんと私が証明してあげるから」と言われた。それが私が去る時に言われた優しいH教授の言葉であった。その時、まだ経験の浅い私は、一生懸命に医療をすれば、どんな患者さん(の親御さん)も、絶対にわかってくれるものだと思っていた。しかし、現実はそうでなかった。
 H教授も、今まで、心臓病の手術を子どもの親に勧めて、手術で亡くなって親から罵倒された経験があることをよく知っていた。心臓病の子どもが亡くなった時、それに関わった患者さんの場合は、H教授自らよく葬儀に参列して合掌していた。
 郷里に帰った時にも、次の様なことがあった。
 お産前までずっと私の勤めていた病院にかかっていた患者さんであったのだが、出産直前に他の医療機関に代わり、不幸なことに、産まれた子どもさんが直ぐに亡くなっていた。亡くなった状態で私の所に子どもだけ父親が直ぐに連れてきて、どうも納得いかないので、どうして亡くなったのか調べて欲しいと言われた。
 私は、「生前の赤ちゃんを全く診ていないので、はっきりしたことが言えない」と言って一度は断ったが、話を聞くとそれなりに不自然に思えたのでレントゲンを撮らしてもらった。すると、右側の横隔膜ヘルニアであった。で、もしも手術しても極めて難しく、まず助からなかったでしょうと言って、充分に納得してもらった(昭和57年4月3日、来た時の親の顔を今でも忘れることが出来ない)。
 今の親御さん方は、時間内での掛かり付けの小児科、救急での掛かり付けの小児科(病院)、入院する時の掛かり付け病院と3つを上手に使いこなしている様です。


 常に心掛けていることは、(当たり前のことですが)決して親御さんの前では、前医の悪口を(状況が正確に把握できていないし、親御さんの立場でしか見れないので)親と一緒になって言ってはいけないことだと思っています。

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為になるかも知れない本(その170)

2007-08-06 07:28:52 | Weblog
○昭和53年9月25日(月)晴。
 ○○町立病院に行った。初めて行ったが、事務長さんがいなかった。とても忙しくて、腸重積も来た。今までこの整復をしたことがここではないと言われた。仕方なく、自分なりに出来る様に作ってしたら、上手く整復出来て嬉しかった。パパにもうすぐなるというのに、これくらい出来ないでどうするのかって感じでした。自分も、どこにいても何とか出来る一人前の医者になったのだなあと思った。S先生から電話があって、そろそろ産まれそうとのこと。
○昭和53年9月26日(火)晴。
 朝7時過ぎに、S先生から電話があって、「女の子だよ、母子共に元気だよ」との知らせがあった。とても嬉しくて、部屋をウロウロしていた。その後、H教授からもお祝いの電話があった。午前中、子どものことで頭が一杯で、ボ一っとした感じで診療していた。午後の回診は、早朝にしていたので、直ぐに帰った。まず、恵ちゃんの所に行った。元気そうでホットした。なかなか産まれなくて、顔に紫斑が出ていた。それから自分の子どもの所に行った。8人ベビ一がいる中で、一人だけクベ一スに入っている子、それが我が子であった(前もってクベ一スに入っているとは言われていなかった)。体重が標準よりも少なくて(体重も、聞かされていなかった)、色が少し黒くて、手足の先が白っぽくてかさかさで(やや胎盤機能不全症候群)、口をポカンと開けて眠っていた。ドキドキしながら心臓の音を聞いた。正常だった。ホッとした。口を閉じて写真を撮った。父親になったという実感がまだ充分になく、何かピントこない。
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20070806/1


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