30年余小児科医をしていて、いろんな患者さん(の親御さん)と接触してきた。30年前から、既に、医療訴訟のことをいつも考えて医療をしてきている。
大学を去る時、H教授が、「裁判沙汰になった時、大学で田原君が如何に患者さん思いのドクタ一であったかをちゃんと私が証明してあげるから」と言われた。それが私が去る時に言われた優しいH教授の言葉であった。その時、まだ経験の浅い私は、一生懸命に医療をすれば、どんな患者さん(の親御さん)も、絶対にわかってくれるものだと思っていた。しかし、現実はそうでなかった。
H教授も、今まで、心臓病の手術を子どもの親に勧めて、手術で亡くなって親から罵倒された経験があることをよく知っていた。心臓病の子どもが亡くなった時、それに関わった患者さんの場合は、H教授自らよく葬儀に参列して合掌していた。
郷里に帰った時にも、次の様なことがあった。
お産前までずっと私の勤めていた病院にかかっていた患者さんであったのだが、出産直前に他の医療機関に代わり、不幸なことに、産まれた子どもさんが直ぐに亡くなっていた。亡くなった状態で私の所に子どもだけ父親が直ぐに連れてきて、どうも納得いかないので、どうして亡くなったのか調べて欲しいと言われた。
私は、「生前の赤ちゃんを全く診ていないので、はっきりしたことが言えない」と言って一度は断ったが、話を聞くとそれなりに不自然に思えたのでレントゲンを撮らしてもらった。すると、右側の横隔膜ヘルニアであった。で、もしも手術しても極めて難しく、まず助からなかったでしょうと言って、充分に納得してもらった(昭和57年4月3日、来た時の親の顔を今でも忘れることが出来ない)。
今の親御さん方は、時間内での掛かり付けの小児科、救急での掛かり付けの小児科(病院)、入院する時の掛かり付け病院と3つを上手に使いこなしている様です。
常に心掛けていることは、(当たり前のことですが)決して親御さんの前では、前医の悪口を(状況が正確に把握できていないし、親御さんの立場でしか見れないので)親と一緒になって言ってはいけないことだと思っています。
大学を去る時、H教授が、「裁判沙汰になった時、大学で田原君が如何に患者さん思いのドクタ一であったかをちゃんと私が証明してあげるから」と言われた。それが私が去る時に言われた優しいH教授の言葉であった。その時、まだ経験の浅い私は、一生懸命に医療をすれば、どんな患者さん(の親御さん)も、絶対にわかってくれるものだと思っていた。しかし、現実はそうでなかった。
H教授も、今まで、心臓病の手術を子どもの親に勧めて、手術で亡くなって親から罵倒された経験があることをよく知っていた。心臓病の子どもが亡くなった時、それに関わった患者さんの場合は、H教授自らよく葬儀に参列して合掌していた。
郷里に帰った時にも、次の様なことがあった。
お産前までずっと私の勤めていた病院にかかっていた患者さんであったのだが、出産直前に他の医療機関に代わり、不幸なことに、産まれた子どもさんが直ぐに亡くなっていた。亡くなった状態で私の所に子どもだけ父親が直ぐに連れてきて、どうも納得いかないので、どうして亡くなったのか調べて欲しいと言われた。
私は、「生前の赤ちゃんを全く診ていないので、はっきりしたことが言えない」と言って一度は断ったが、話を聞くとそれなりに不自然に思えたのでレントゲンを撮らしてもらった。すると、右側の横隔膜ヘルニアであった。で、もしも手術しても極めて難しく、まず助からなかったでしょうと言って、充分に納得してもらった(昭和57年4月3日、来た時の親の顔を今でも忘れることが出来ない)。
今の親御さん方は、時間内での掛かり付けの小児科、救急での掛かり付けの小児科(病院)、入院する時の掛かり付け病院と3つを上手に使いこなしている様です。
常に心掛けていることは、(当たり前のことですが)決して親御さんの前では、前医の悪口を(状況が正確に把握できていないし、親御さんの立場でしか見れないので)親と一緒になって言ってはいけないことだと思っています。