日本の心・さいき

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為になるかも知れない本(その172)

2007-08-08 07:12:01 | Weblog
○昭和53年10月3日(火)晴。
 恵ちゃんのお母さんが来た。恵ちゃんは明日退院となったが、僕の子どもは2.800gになったら帰せるとのこと。鹿児島市立病院は、2.500gでも帰していたのになあ。体重が小さいだけで、週数は足りているからいいと思うのだが。
○昭和53年10月4日(水)晴。
 ○○町立病院に行った。30人ぐらいしか来なかった。マイペ一スで出来た。この病院、小児科医が病院にちゃんといないのに、小児科があり、入院まである。つなぎつなぎでは、患者さんがかわいそうだ。
○昭和53年10月7日(土)曇。
 昨日は、○○町立病院に行き、今日は当直であった。我が子をじっくりと見た。よく眠っている。目を開けた時は、とても可愛いとナ一スが言ってくれた。黄疸も少し軽くなり、飲みもいいし、体重のふとりもいい。総括が5つも溜まっているし、アナリ一ゼも溜まっているし、学生の教育もしないといけない。何となく体がだらしくて、眠たい。
○昭和53年10月9日(月)雨。
 飲み方があった。教授がアメリカに行くというので、皆が5.000円出しで、宮崎観光ホテルでした。美味しかった。直ぐに帰った。帰ると、路子(私が名付けた)ちゃんがいた。今からず一っと一緒なのだなあ。何か、不思議な感じだなあ。
○昭和53年10月10日(火)曇。
 路子ちゃんが泣いていたので、眠れなかった。それで、1日中、眠たかった。西○さんが、ベッドをもってきてくれた。皆にお礼しないといけないなあ。木曜日は、TA(三尖弁閉鎖)の入院がある。
○昭和53年10月12日(木)晴。
 路子ちゃんが元気にスクスクと育っている感じだ。とても可愛くなった。無事に大きくなってくれるといいが。スライドを見た。とてもきれいに撮れている。8ミリはどうしてもぼける。よく撮れる方法はないのかなあ。
○昭和53年10月13日(金)晴。
 朝からすごく働いた。外来あり、○○先生の心カテも手伝い、それに、自家中毒症の入院を受け持った。○○君(先天性完全房室ブロックの子で、ペ一スメ一カ一を入れていた)が大きくなっていた。月曜心カテの子の心電図を取った。来週は、白血病の○○君と残りの二人を退院させる。11月から、新生児室の担当になる。
○昭和53年10月14日(土)晴、6:30記載。
 当直明けで、朝5時に点滴をした。プロタノ一ルを入れているから、しない訳にはいかない。朝忙しく働いて、6:20過ぎに家に帰った。今から、○○小児科に行かないといけない。
○昭和53年10月15日(日)雨。
 教授がアメリカに行くというので、朝早く起きて、見送りに行った。日曜日というのに、来れる医局員(5人来てなかったが)は、皆来ていたかな。
*写真は、日齢5(昭和53年10月1日)

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