日本の心・さいき

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為になるかも知れない本(その193)

2007-08-29 07:24:31 | Weblog
○昭和54年12月2日(日)晴。
 ○○君の父親と○○ナ一スが言い合って、親が怒って、この日に退院なんて言い出して、どうしようもない状態になったとのことで、自分が言って、丸く収めた。だいたい、ナ一スの言い方がきついのだ。ナ一スの言い方がどうあるべきか、誰も教育しようとしない。医者以上に問題だ。患者側からあんな感じではっきりと言ってくると、少しは考えるだろう。
○昭和54年12月5日(水)晴。
 ボ一ナスをもらった。何と34万以上あって、驚いた。経験年数がだいたい同じ位のナ一スに聞いたら、30万ほどもらっているとのことで、更に驚いた。
○昭和54年12月20日(木)晴。
 午前中に、H教授に付いて2回目のCHDの講義をした。自分がバッチリ選んだ極めつけのスライドでした。学生さん、真剣に聴いてくれていた感じだ。これで、専門2年生への僕の講義も終わりだなあ。寂しいなあ。H教授には、大変感謝している。何故なら、自分を信じてくれ、自分の思う様に講義をさせてくれるからだ。
○昭和54年12月23日(日)晴。
 当直明けであった。大学って、自分の時間が作れない所だと思う。ナ一スの方が上って感じで、ドクタ一でなくても出来る雑用をドクタ一がしている。もっとドクタ一は、使うべき所で頭を使うべきだと思う。
○昭和54年12月24日(月)晴。
 9kgの○○君の心カテ、やっと入った。小さい子での穿刺は、やはり難しい。一瞬動脈に入ったかと思ったが、静脈であった。
○昭和54年12月25日(火)晴。
 今年最後の回診であった。形だけって感じがするなあ。いつも診ている主治医が一番よく知っていると思うが。大学は、書くことが多過ぎる。バイトも本心きつい。自分には、教育が一番疲れるが、一番楽しい。
○昭和54年12月26日(水)曇。
 当直であった。頻回に起こされた。この日、IRDSで未熟児が死亡した(自分は、もう、新生児を担当していなかった)。IRDSなのに、CPAPを使用していなかった。何故かなあ。自分は主治医でなかったので、分からない。新生児医療では、自分の目を信じ、ちょっとの変化を見逃さないことが大切だと思う。
○昭和54年12月27日(木)晴。
 点滴を7人し、ルンバ一ルを2人した。処置も沢山した。点滴も、何故か、スパスパ入る。家に帰ると、恵ちゃんがプリントゴッコで年賀状を書いていた。ミ一コの写真を入れて。
○昭和54年12月28日(金)晴。
 今日も当直をした。明日からの年末・年始、(佐伯の救急病院の)西田病院で1週間(院内泊まり込みで)診療をすることになっている。楽しみがいい。

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