日本の心・さいき

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採血下手で訴訟?!

2007-08-03 10:31:37 | Weblog
宮崎大側に2400万命令 採血原因の女児死亡で過失
(2007年7月31日)記事:共同通信社

 宮崎医大病院(現宮崎大病院)で2003年、研修医の未熟な採血の結果、心臓病の長女=当時(2)=が呼吸困難で死亡したとして、宮崎県清武町に住む父親(42)が、大学に損害賠償を求めた訴訟の判決で、宮崎地裁は30日、約2400万円の支払いを命じた。
 判決理由で高橋善久(たかはし・よしひさ)裁判長は「研修医に経験を積ませることよりも、呼吸困難を起こす危険性を低下させることを優先すべきだった」と指摘した上で「注射針を刺す回数を最小限に抑える義務を怠った」と病院側の過失を全面的に認めた。
 判決によると、長女は2003年9月12日、心臓病手術の輸血準備のため採血をされた際、研修医が2回失敗するなどして計4回の注射を受けた。長女は痛みや恐怖で号泣、その後も2回激しく泣いて呼吸困難に陥り、同日死亡した。
 高崎真弓(たかさき・まゆみ)病院長は「上訴などについては判決文の内容を検討して決定したい」とコメントした。

*採血トラブルは、小児科では、つきものです。新生児・未熟児に点滴をして、その痕跡がずっと残っている子ども、沢山いました。しかし、命を救う為には仕方のないことでした。
 心臓病の子で、採血していて、無酸素発作になった子どももいました。何度も点滴をしようとして、とうとう諦めたこと、何度もあります。血管が見えないし、触れないのを点滴すること多いし、状態の悪い子の場合、血管が収縮気味になっているので、尚更入りにくいです。
 亡くなられた親御さんには本当に気の毒だと思いますが、それを裁判で争うなんて、更には、その裁判で負けるなんて、信じられません。その判決が原因で小児科を目指す人が激減しないことを祈ります。

*この記事を読むと、もちろん患者さんには、大変気の毒に思いますが、いろんな状況で予期できない心臓の急変を知っているだけに、一生懸命に研修している研修医が気の毒でなりません。
実を言えば、私も、深夜0:00過ぎのけいれん重積(1時間以上の激しい全身性間代性けいれん)で来た子どもの点滴をして、どうしても入らずに、やむなく頭皮針で頭から点滴をして、やっとけいれんを止めて命を救いました。しかし、後でよく診ると、そこに血管腫があり、それが原因で皮膚が壊死を起こして、剥げた状態となり、弁護士を介して訴えられました。親御さんからは、命を救ってもらったことは感謝しているが、この傷が点滴が原因でなったことがはっきりしていると言われて、訴えられました。その時、私は30代の初めで、一番やる気のある時だっただけに、かなり落ち込みました。そのショックから立ち直るまで、かなり時間が要りました。25年程前のことですが。

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為になるかも知れない本(その167)

2007-08-03 07:25:40 | Weblog
○昭和53年8月16日(水)晴。(今から、29年前の日記です。51年春に国試に合格しています)
 4日間の第1日目であった。手足口病の患者さんがいなくなっていて、百日咳や麻疹があった。水痘やムンプスもある。こんな感じで、○○小児科で(代診で)4日間も続けて診ること何て初めてだ。○○小児科で宿泊することになっていたが、親戚の人が来たとの理由で、ホテルに泊まった(ホテル代は、○○小児科が全て払ってくれた)。
○昭和53年8月19日(土)晴。
 自家中毒症の子がいて、80mlをゆっくり静注して(点滴セットがない)、唇の色が良くなった所で近くの国立病院に送った。近くに国立病院があると言うのは、開業医にとって強いなあ。4日間の1日平均は、70人余だった。12万円も稼がせてもらった。
○昭和53年8月20日(日)晴。
 当直であった。疲れている。
○昭和53年8月21日(月)晴。
 当直明けであった。まだ、疲れている。○○小児科で4日間頑張ったせいだと思う。今日は、幸いに、外来が少なかった。早朝に、病棟の採血を沢山した。本当に疲れている。夏バテかな。今まで夏バテなんかしたことなかったのに。それにしても、夏休みって、疲れるなあ。白血球のアナリ一ゼも溜まっている。皆、雑用をしよとしない。自分がするしかない。
○昭和53年8月22日(火)晴。
 5月22日からちょうど3カ月経ったので、再び、3人の写真を撮り、8ミリも撮った。
○昭和53年8月23日(水)晴。
 外来の患者さんが多かった。当直明けだったので、きつかった。外来で忙しいのに、午後から心検があり、その後、○○小児科に書類を取りに行かされた。カゼを少し引いているのか、きつい。忍の一字でしかない。
○昭和53年8月25日(金)晴。
 ○○医院に行った。いつもの様に、7:30に出発した。小児科は少なかった。昼は例の如くスゴイステ一キが出された。「いい人(医者)はいないでしょうか?」と尋ねられた。兎に角、医者ならいいって感じで言われる。何となく話に付いて行けなかった。旅費代も含めて、33.000円ももらってしまった。
○昭和53年8月26日(土)晴。
 当直だった。百日咳の患者さんが小林から来た。典型的な百日咳の咳をしている。何となくファイトがわかない。体がダラッとしている。こんなことでは駄目だと思うが、どうにもならない。
*夏休みは、各人休みをそれなりに取って、他の主治医の患者さんの受け持ちを任されれる為に、普段よりも仕事量が多くなっていた。

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