宮崎大側に2400万命令 採血原因の女児死亡で過失
(2007年7月31日)記事:共同通信社
宮崎医大病院(現宮崎大病院)で2003年、研修医の未熟な採血の結果、心臓病の長女=当時(2)=が呼吸困難で死亡したとして、宮崎県清武町に住む父親(42)が、大学に損害賠償を求めた訴訟の判決で、宮崎地裁は30日、約2400万円の支払いを命じた。
判決理由で高橋善久(たかはし・よしひさ)裁判長は「研修医に経験を積ませることよりも、呼吸困難を起こす危険性を低下させることを優先すべきだった」と指摘した上で「注射針を刺す回数を最小限に抑える義務を怠った」と病院側の過失を全面的に認めた。
判決によると、長女は2003年9月12日、心臓病手術の輸血準備のため採血をされた際、研修医が2回失敗するなどして計4回の注射を受けた。長女は痛みや恐怖で号泣、その後も2回激しく泣いて呼吸困難に陥り、同日死亡した。
高崎真弓(たかさき・まゆみ)病院長は「上訴などについては判決文の内容を検討して決定したい」とコメントした。
*採血トラブルは、小児科では、つきものです。新生児・未熟児に点滴をして、その痕跡がずっと残っている子ども、沢山いました。しかし、命を救う為には仕方のないことでした。
心臓病の子で、採血していて、無酸素発作になった子どももいました。何度も点滴をしようとして、とうとう諦めたこと、何度もあります。血管が見えないし、触れないのを点滴すること多いし、状態の悪い子の場合、血管が収縮気味になっているので、尚更入りにくいです。
亡くなられた親御さんには本当に気の毒だと思いますが、それを裁判で争うなんて、更には、その裁判で負けるなんて、信じられません。その判決が原因で小児科を目指す人が激減しないことを祈ります。
*この記事を読むと、もちろん患者さんには、大変気の毒に思いますが、いろんな状況で予期できない心臓の急変を知っているだけに、一生懸命に研修している研修医が気の毒でなりません。
実を言えば、私も、深夜0:00過ぎのけいれん重積(1時間以上の激しい全身性間代性けいれん)で来た子どもの点滴をして、どうしても入らずに、やむなく頭皮針で頭から点滴をして、やっとけいれんを止めて命を救いました。しかし、後でよく診ると、そこに血管腫があり、それが原因で皮膚が壊死を起こして、剥げた状態となり、弁護士を介して訴えられました。親御さんからは、命を救ってもらったことは感謝しているが、この傷が点滴が原因でなったことがはっきりしていると言われて、訴えられました。その時、私は30代の初めで、一番やる気のある時だっただけに、かなり落ち込みました。そのショックから立ち直るまで、かなり時間が要りました。25年程前のことですが。
(2007年7月31日)記事:共同通信社
宮崎医大病院(現宮崎大病院)で2003年、研修医の未熟な採血の結果、心臓病の長女=当時(2)=が呼吸困難で死亡したとして、宮崎県清武町に住む父親(42)が、大学に損害賠償を求めた訴訟の判決で、宮崎地裁は30日、約2400万円の支払いを命じた。
判決理由で高橋善久(たかはし・よしひさ)裁判長は「研修医に経験を積ませることよりも、呼吸困難を起こす危険性を低下させることを優先すべきだった」と指摘した上で「注射針を刺す回数を最小限に抑える義務を怠った」と病院側の過失を全面的に認めた。
判決によると、長女は2003年9月12日、心臓病手術の輸血準備のため採血をされた際、研修医が2回失敗するなどして計4回の注射を受けた。長女は痛みや恐怖で号泣、その後も2回激しく泣いて呼吸困難に陥り、同日死亡した。
高崎真弓(たかさき・まゆみ)病院長は「上訴などについては判決文の内容を検討して決定したい」とコメントした。
*採血トラブルは、小児科では、つきものです。新生児・未熟児に点滴をして、その痕跡がずっと残っている子ども、沢山いました。しかし、命を救う為には仕方のないことでした。
心臓病の子で、採血していて、無酸素発作になった子どももいました。何度も点滴をしようとして、とうとう諦めたこと、何度もあります。血管が見えないし、触れないのを点滴すること多いし、状態の悪い子の場合、血管が収縮気味になっているので、尚更入りにくいです。
亡くなられた親御さんには本当に気の毒だと思いますが、それを裁判で争うなんて、更には、その裁判で負けるなんて、信じられません。その判決が原因で小児科を目指す人が激減しないことを祈ります。
*この記事を読むと、もちろん患者さんには、大変気の毒に思いますが、いろんな状況で予期できない心臓の急変を知っているだけに、一生懸命に研修している研修医が気の毒でなりません。
実を言えば、私も、深夜0:00過ぎのけいれん重積(1時間以上の激しい全身性間代性けいれん)で来た子どもの点滴をして、どうしても入らずに、やむなく頭皮針で頭から点滴をして、やっとけいれんを止めて命を救いました。しかし、後でよく診ると、そこに血管腫があり、それが原因で皮膚が壊死を起こして、剥げた状態となり、弁護士を介して訴えられました。親御さんからは、命を救ってもらったことは感謝しているが、この傷が点滴が原因でなったことがはっきりしていると言われて、訴えられました。その時、私は30代の初めで、一番やる気のある時だっただけに、かなり落ち込みました。そのショックから立ち直るまで、かなり時間が要りました。25年程前のことですが。