日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

忘れ得ぬ被爆少女の死

2007-08-02 12:58:08 | Weblog
  もうすぐ、広島投下の8月6日と長崎投下の8月9日が来ます。
  1949年生まれの自分は戦争を経験していませんが、小さい時に周りから戦争の話を沢山聞かされました。当時相手を傷つけて戦地から帰ってきた日本人も、今でも罪悪感で悩んでいます。勝っても負けても、両者に傷跡が残ります。もう、戦争は絶対にして欲しくない。
  第9条の平和憲法をどうするか、日本人のアンケ一トでは、変えて欲しくない方が多くなっています。日本人は、世界で最も平和を愛する国民であって欲しいと思います。
*平成12年11月27日(火)の西日本新聞に掲載されたものを、故人となられた近本芳春様の奥様から私が直に頂きました。
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/categories/261


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為になるかも知れない本(その166)

2007-08-02 07:09:55 | Weblog
○昭和53年8月6日(日)晴。
 宮交シティ一まで行って、8ミリと映写機を買ってきた。映写機、かなりテクニックがいる感じだ。カメラのいいのもあるし、準備はバッチリだ。
○昭和53年8月11日(金)晴。
 ○○医院(先生は、産婦人科が専門で、産まれた新生児の診察や健診など、小児を中心に診た)に行った。先生は、産婦人科以外に、小児科も内科も外科もしている。田舎では、何でもしないといけないのだ。疲れている感じに思えた。肝臓の調子が良くないらしい。昼は、スゴイステ一キをご馳走になった。
○昭和53年8月12日(土)晴。
 ○○小児科に(代診で)行った。1日に50人ばかりで少なかった。それで、3万円ももらってしまった。旦那さんは、県庁に勤めているとのことで、子どもさんがいなく、のんびりと診療している感じで、スタッフも女性ばかりで、雰囲気が家庭的でとても良かった。
○昭和53年8月14日(月)晴。
 いつも日曜に指示を出していたが、金と土にバイトに行っていた関係もあり、この日にした。疲れているのか、体が何となく重たい。家では、ク一ラ一が付いているので涼しい。病院も涼しい。こんな感じでク一ラ一ばかり入っていると、体が弱くなるかも知れないなあ。産まれる子どもの名前を付けるのに、頭が痛い。画数を考えて付けると、いい名前がなくなってしまうなあ。名前、又、振り出しに戻って考える感じになっている。
○昭和53年8月15日(火)晴。
 (白血病の)○○君のラディエ一ションを始めた。ルンバ一ルが、長いことしていなかったのに一度でスパッと入った。明日から4日間も(○○小児科で代診で)いない。○○君に頼んだけど、少し心配。僕がいない時、外来検査、大丈夫かなあ?


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