日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

団塊世代と救急車

2007-08-25 20:27:51 | Weblog
 ○月24日(金)、19時過ぎから、山道を救急車に乗って、40分間余掛けて、11カ月の頭蓋内出血の子の搬送した。CTにて、出血の所見があり、一般状態も良くなかったので、途中でけいれんでも起きたらいけないと思い、自分が付いていった。
 嘔気がしてきつかったが、何とか。又、帰ってからも、気分がしばらく良くなかった。「救急車で40分以上とばして行くのって、この歳(58)になると、もうきついよ」とスタッフに言うと、「若い人でも、あの山、きついですよ」と返事が返ってきた。
 その年齢年齢で出来ることがあると思う。歳を取れば、それなりに適した仕事があるはずだが、田舎にくれば何から何までしないといけない状況になっている。
 田舎に医者が来ないと言うが、政府は、今までなかなか医師を増やそうとしなかった。来年から、年間最大245人医学部入学者を増やすとのことだが、その人達が稼働し出すまでに今から10年掛かる訳で、又、それだけの数で足りるとはとうてい思えない。多くの人の非難をよそに、医療費を抑え込み、入院ベッドを抑え込み、悪名高きス一パ一ロ一テ一トを維持しようとしている。医師の数が年間8000人増えても、医師が年間4000人亡くなっており、新しく医師になる人の3000人は、女性で、その女性がまともに家庭に入っていけば(医療をしなくて研究をする人も少なからずいる訳で)、この高度医療でどんどん割合的に必要とされるドクタ一が増えるべきことを考えると、むしろ、医師の数は殆ど増えてないになるどころか、減少傾向にあるかも知れない。現実に、アチコチの医者不足が益々多くなっているではないか。
 大学での外科系の入局者は、極端に少なくなっていて、訴訟も多くなり、場合によっては刑事事件にまでなるケ一スもあり、勤務医でうつ状態になっているケ一スも増加しているとのこと。
 この先の医療事情、暗いなあ。


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為になるかも知れない本(その189)

2007-08-25 07:11:15 | Weblog
○昭和54年8月7日(火)晴。
 西田病院に行った。院長が部屋を見せてくれた。8月一杯には、出来そうな気もした。小児科になる所は、まだ全く出来ていなくて、リハビリテ一ション室になっていた。その隣にCTスキャンを入れそうだ。この日、自分と一緒に来る予定の脳外科医の○屋先生が、脳外科専門医に合格したとのことで、院長も少し興奮気味であった。西田病院に小児科と脳外科があれば、これえで本当の一人前の救急病院だなあ。
○昭和54年8月19日(日)晴。
 昨日は当直で、○○先生のクランケのけいれんで3回も起こされてしまった。明日も当直だ。総括を書かないといけない。心臓の教材も作らないといけない。
○昭和54年8月22日(水)曇。
 今日の新聞を見ると、大分県は8人の外国人医師がいるとのこと。その内の4人が、へき地にいるとのこと。又、自治医大の学生がお金を返して、へき地に行きたがらなくなっているとのこと。地方の公的病院に帰って来て欲しい為に、奨学金を学生時代に出している市町村もある。医療砂漠の県南で、自分の様な生き方をすること、正解だと思う。
○昭和54年8月25日(土)晴。
 一昨日当直で、今日も当直。夏休みは、皆が休むので、普段よりも忙しい。外来は、何もないかなと思っていたら、ムンプスで髄膜炎になっている感じで入院した(翌日、よく診ると、膵臓炎だった)。かなり子どもがくたばっていた。心臓疾患も新生児も、慌てない自分になっている。しかし、脳外の疾患はどうも自信がない。西田に行って、脳外科医から教わろう(西田病院では、頭部打撲などの脳外科的疾患が多く、脳外の術前術後管理を、10例前後させてもらった)。

*写真は、6月20日(8カ月)の長女(旅したホテル内で泣いている)。


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