○昭和53年9月10日(日)晴。(今から29年前の出来事です)
朝の10:40分の飛行機に乗って先成君と血液の学会に行き、(浪人していた時に大変お世話になった)近本家に行って帰ってきた。近本の叔父さんの話は、いつもの戦争の話、特に、原爆が落とされた直後の話は、何度聞いても生々しい。福岡は断水で不便だった。その点、宮崎はいい。
○昭和53年9月11日(火)曇。
(○○先生の都合で代わって)当直明けであった。抄読会の準備で、1:30に寝たが、幸いに朝まで起こされなかった(病棟では、重症の心臓病の子どもが多くて、当直医がしばしば深夜に起こされることが多かった)。抄読会、バッチリ発表が出来た。少し涼しくなってきた。明日又当直だ。
○昭和53年9月17日(日)晴。
日・当直だった。実りの秋だ。1週間単位で、何をするか決めていこうかなあ。計画的にしないと、いつまで経っても足が地に着いていない感じになってしまう。総括は出来るだけ早く書くこと。夏休みでペ一スが狂ってしまった感じだ。
○昭和53年9月20日(水)雨のち曇。
心音図を学生さんにバッチリ教えてあげた。この心音図の僕の説明、とても為になる様だ。それにしても、一生懸命に学生に教え様としている文部教官、僕だけだなあ。こんなことで大学っていいのかなあ。ペ一パ一も、確かに大切には違いないのだろうけれども。
○昭和53年9月21日(木)曇のち晴。
○○小児科医に(代診で)行った。40人ぐらいしかいなくて、実にゆっくりって感じだった。この先生、薬がとても多い。咳があれば必ず咳止め、鼻水があれば抗ヒスタミン剤、下痢があれば下痢止めって感じで与えている。県病の(日本感染症学会の評議員の)梶原先生は、熱冷ましも余りあげないし(座薬は全くあげない)、咳止めもあげないし、喘息に抗ヒスタミン剤をあげることも決してなかった。お金をもらっているし、○○先生と患者さんとの間を裂く訳にはいかないから、トラブルを避ける為には、DO処方するしかない。僕の子どもいつ産まれるのかなあ?
○昭和53年9月23日(土)晴。
恵ちゃんがお腹を痛がっている。痛みの間隔がだんだん短くなっている感じだ。24か25か26のどれかに産まれそうだなあ。月曜と火曜、遠方の○○町立病院(小児科)に行かないといけない。
○昭和53年9月24日(日)晴。
お腹を痛がって苦しそうなので、(宮崎医科大学産婦人科に)夜の10時に入院となった。○野先生の話だと、まだ、直ぐには産まれないとのことであった。何か、出張している間に産まれそうだなあ。(産婦人科で仕事をしていた看護婦の)お袋さんが来てくれた。
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20070805/1
朝の10:40分の飛行機に乗って先成君と血液の学会に行き、(浪人していた時に大変お世話になった)近本家に行って帰ってきた。近本の叔父さんの話は、いつもの戦争の話、特に、原爆が落とされた直後の話は、何度聞いても生々しい。福岡は断水で不便だった。その点、宮崎はいい。
○昭和53年9月11日(火)曇。
(○○先生の都合で代わって)当直明けであった。抄読会の準備で、1:30に寝たが、幸いに朝まで起こされなかった(病棟では、重症の心臓病の子どもが多くて、当直医がしばしば深夜に起こされることが多かった)。抄読会、バッチリ発表が出来た。少し涼しくなってきた。明日又当直だ。
○昭和53年9月17日(日)晴。
日・当直だった。実りの秋だ。1週間単位で、何をするか決めていこうかなあ。計画的にしないと、いつまで経っても足が地に着いていない感じになってしまう。総括は出来るだけ早く書くこと。夏休みでペ一スが狂ってしまった感じだ。
○昭和53年9月20日(水)雨のち曇。
心音図を学生さんにバッチリ教えてあげた。この心音図の僕の説明、とても為になる様だ。それにしても、一生懸命に学生に教え様としている文部教官、僕だけだなあ。こんなことで大学っていいのかなあ。ペ一パ一も、確かに大切には違いないのだろうけれども。
○昭和53年9月21日(木)曇のち晴。
○○小児科医に(代診で)行った。40人ぐらいしかいなくて、実にゆっくりって感じだった。この先生、薬がとても多い。咳があれば必ず咳止め、鼻水があれば抗ヒスタミン剤、下痢があれば下痢止めって感じで与えている。県病の(日本感染症学会の評議員の)梶原先生は、熱冷ましも余りあげないし(座薬は全くあげない)、咳止めもあげないし、喘息に抗ヒスタミン剤をあげることも決してなかった。お金をもらっているし、○○先生と患者さんとの間を裂く訳にはいかないから、トラブルを避ける為には、DO処方するしかない。僕の子どもいつ産まれるのかなあ?
○昭和53年9月23日(土)晴。
恵ちゃんがお腹を痛がっている。痛みの間隔がだんだん短くなっている感じだ。24か25か26のどれかに産まれそうだなあ。月曜と火曜、遠方の○○町立病院(小児科)に行かないといけない。
○昭和53年9月24日(日)晴。
お腹を痛がって苦しそうなので、(宮崎医科大学産婦人科に)夜の10時に入院となった。○野先生の話だと、まだ、直ぐには産まれないとのことであった。何か、出張している間に産まれそうだなあ。(産婦人科で仕事をしていた看護婦の)お袋さんが来てくれた。
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