日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

市民盆踊り大会

2007-08-11 23:59:51 | Weblog
 佐伯市での最大のイベントの花火大会が20:00よりあり、その前の恒例の市民総盆踊り大会で、やぐらの上で盆踊り太鼓を打った。3人で打って、自分が一番初めに打った。緊張することもなく、とても楽しく打てた。佐伯音頭は5番まで、佐伯小唄は4番まであり、皆、違った感じで打った。他の二人も面白かったと言われた。すごい人で、軽く1万人を越えていると思った。でも、その人たちの大部分は、花火が見たくて来ている訳で、太鼓や盆踊りをどうしても見たいっていう人は、残念だが、ちょっとしかないと思う。
 今日の朝、復習をした。音楽を聴いて、何番目が流れているかを確かめた。と言うのは、曲の2番と3番の間に少し長い間奏があり、それにいきなり2番から行くので、前もって知っていないと間に合わなくて上手く打てないからだ。それと、最後の曲をちゃんと知っていないと、次の人にバトンタッチが出来ない。
 バトンタッチは、3人共、上手く出来た。雨が17時半から降って、どうなるかと心配したが、幸いに直前に全く降らなくなり、それに雨が降ってくれたおかげでとても涼しかった。昨日も一昨日も、めちゃくちゃ暑かったのだが。しかも、風があり、その風向きも観客側と全く反対で,花火の煙が来ることが全くなかった。
 花火を見ていると何か自分の今までの58年間が、この花火の姿に集約されている様な感じがしてならなかった。
 とてもいい日だった。

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為になるかも知れない本(その175)

2007-08-11 06:42:09 | Weblog
○昭和53年11月21日(火)晴。
 僕が一生懸命にした為か、5人の新生児、皆元気になった感じだ。ちょっとの変化も見逃さずに、先へ先へと治療して行けば、上手く行く感じだ。落ち込んでしまうと、元に戻るのに大変だ。僕としては、3カ月までに、死亡をどんなに多くても3人までにしたい。出来たら1人までにしたいけど、無理だろうなあ。自分って、何でこんなに未熟児医療が好きなのかなあ?!
○昭和53年11月22日(水)晴。
 とてもショックだった。他の受け持ちの患者さんのことで。心臓病の子に自分が採血した子の左鼠径部からの出血で(元々出血傾向あり)、出血性ショックを起こした感じになり、その後、持ち直したのだが、結局状態が回復せずに死亡してしまった。ちょうどその時に防火訓練中であったことも不運だった。○○先生の受け持ちの子も、2人死亡して、○○先生もガックリしていた。死と生が背中合わせにある。
○昭和53年11月23日(木)晴。
 当直明けであった。○○先生が代わって欲しいと言われて、代わったのだ。今度の土曜も当直だ。この日は、勤労感謝の日で休みというのに、夕方6時に再び病院に行って診た。
○昭和53年11月25日(土)晴。
 ○成君が○○町立病院に行き、残りは皆、学会に行ったので、午前中は、小児科には自分しかいなかった。教授がいつもする様に、サッと全員の回診をして、自分なりにカルテに書き込んでいった。他の人のカルテを見ると、勉強になるが、主治医みたいに把握できない。皆それぞれが自分なりに治療している感じだ。
○昭和53年11月26日(日)晴。
 教授から言われていた資料を集めた。負荷心電図で明らかに変化したデ一タを沢山集めたのだ。不思議にこの日で終わってしまった。1週間、ずっと気になっていたのだ。
○昭和53年11月27日(月)晴。
 心カテ、初めて自分1人で最後まで出来た。とても嬉しかった。VSDの1型で、オペの適応あり。今日から又新しい学生が来た。
○昭和53年11月30日(木)晴。
 小野先生の開業祝いがあった。すごい人だった。小野先生は、忍の一字の人でスゴク人間的だ。農学部出身で医学部に入っている。苦労が実を結び、これからは、もっともっと花が咲くに違いない。
○昭和53年12月1日(金)晴。
 循環器のコンパがあった。食事の後に学生と偶然にかち合ってしまった。僕は、道路で、学生達から胴上げをされてしまった。嬉しかった。自分の生きる道は、やはり教育だと思った。自分の教育の価値を学生は充分に理解してくれていると確信した。ホントに嬉しかった。今まで頑張ってきた甲斐があったなあと思った。
○昭和53年12月2日(土)晴。
 2日も飲み方が続いたので、少しフラフラしていた。しかし今日は当直なのだ。白い巨頭をテレビで見た。今の僕にとっては、これを見ることがとても面白い。正に、今もこれと大同小異だ。里見先生の様な人は、大学人向きではない。大学と世間とのズレ、大きいなあ。財前五郎と違って、H教授はとても頭が低いなあ。
○昭和53年12月3日(日)晴。
 日曜だというのにとても忙しく働いた。火曜日の抄読会の準備が終わった。○○先生から言われた3000~6000までの心疾患のリスト作成も、もうすぐ終わりそうだ。教授から言われている2つの心不全の症例、あとは文章でまとめるだけになった。近頃、病棟のクランケをあまり診ていない気がする。総括が4つも溜まっている。

*写真は、1月15日(3カ月)に撮ったもの。




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