墓参りをした。笛が好きだろう父に、「竹の唄」「笛吹き童子」「青葉の笛」の3曲を吹いた。周囲には、朝早いこともあり、家内以外に誰もいなかった。
帰りに母の所に寄った。86歳の母は、(好きな)料理の話と昔の話しになると、別人の様に顔色が良くなって、ペラペラと話し出す。
大分県病院で外科のナ一スをしていて、自分の姉(夫は、満州鉄道の機関士)のお産の時に、オモニ一(母親のこと)の代わりに北朝鮮まで来る様に言われて、何と、20歳前に(満20歳で結婚している)、北朝鮮の羅津(らしん)まで一人で行っている。幸いに、県病に研修に来ていた開城医専の研修医が帰るというので、一緒に開城まで行き、そこから一人で(北朝鮮の東海岸にある)羅津まで行っている。そこで、姉のお産に立会い、又、姉の夫の上司の奥さんの出産にも立ち会って世話をしている。その時、冬でとても外は寒く(部屋の中はオンドルがあって、暖かい)、(大きな)トイレでは、用を足したのが氷柱(つらら)みたいに積み重なっていたとのこと。物売りが来て、外に出ることなく、小さな窓だけをちょっと開けて買っていたとのこと。
そこに数ヶ月いて、その後、(私が勤務していた)西田病院の産婦人科に勤務し、そこに入院してきた(今は亡き)父の世話をよくして結婚することになった。
北朝鮮、何か遠い存在に思えていたが、母の話を聞いていると、その存在が身近に思える様になってくる。その時の北朝鮮の現地の人の生活は、恐らく、今よりはいいのではとの母の意見であった。
帰りに母の所に寄った。86歳の母は、(好きな)料理の話と昔の話しになると、別人の様に顔色が良くなって、ペラペラと話し出す。
大分県病院で外科のナ一スをしていて、自分の姉(夫は、満州鉄道の機関士)のお産の時に、オモニ一(母親のこと)の代わりに北朝鮮まで来る様に言われて、何と、20歳前に(満20歳で結婚している)、北朝鮮の羅津(らしん)まで一人で行っている。幸いに、県病に研修に来ていた開城医専の研修医が帰るというので、一緒に開城まで行き、そこから一人で(北朝鮮の東海岸にある)羅津まで行っている。そこで、姉のお産に立会い、又、姉の夫の上司の奥さんの出産にも立ち会って世話をしている。その時、冬でとても外は寒く(部屋の中はオンドルがあって、暖かい)、(大きな)トイレでは、用を足したのが氷柱(つらら)みたいに積み重なっていたとのこと。物売りが来て、外に出ることなく、小さな窓だけをちょっと開けて買っていたとのこと。
そこに数ヶ月いて、その後、(私が勤務していた)西田病院の産婦人科に勤務し、そこに入院してきた(今は亡き)父の世話をよくして結婚することになった。
北朝鮮、何か遠い存在に思えていたが、母の話を聞いていると、その存在が身近に思える様になってくる。その時の北朝鮮の現地の人の生活は、恐らく、今よりはいいのではとの母の意見であった。