
○昭和54年6月3日(日)晴。
当直の日だった。○○町立病院に月~土まで行くと、その月は、大学で集中的に当直する感じになる。日曜もよく働いていると思う。大学の医者って、どこもこんな感じなのかなあ。忙しくなる原因は、自分の仕事でなくて他の仕事をいいつけられてそうなる。もっと自分のペ一スで毎日を送りたいなあ。
○昭和54年6月4日(月)曇。
心カテして、僕の診断が一番近かった。VSDと外来診断が付いていたが、VSD+PS+PDAであった。近頃、診断がよく当たっているなあ。当直明けなのに、検査に付いての講義もして、1日がアッと言う間に終わった。
○昭和54年6月9日(土)晴。
○○先生受け持ちの(ポンペ病の)○○さんの状態が悪くて、昼過ぎからチアノ一ゼが出て、夕方心停止状態となり、21時30分になくなった。親御さんも今までよく頑張ってきたと思う挿管している○○さんも全く良くなっていないし、結核性髄膜炎の子も、DORVの子も、良くない。冷や冷やの当直であった。○○ちゃんが、腹痛を訴えている。(小児科入院の約3分の1は、心疾患で、急変することが多く、深夜起こされることが多くなっていた)
○昭和54年6月11日(月)雨。
心カテを2人して、スム一ズに出来た。上手になったと思う。運も良かったのかも知れないが。例の右季肋部痛の子は、便が出てから症状がとれた。ウイルス性ではなかった様だ。
○昭和54年6月18日(月)雨。
明日から(小児循環器学会で)青森行きだ。帰ると、アナリ一ゼと総括と論文書きが待っているなあ。6月30日に、医局長に自分の先々のことを言うつもりだ。
○昭和54年6月19日(火)曇。
学会が9:00からあり、疲れた。付いて行けない。エコ一が出来ないと駄目だなあ。しかし、それが出来出すと、自分の場合、もう、心臓から抜け出れなくなると思う。熊本の日赤の部長さんと話した。立派な人だなあ。頭低いし、話しやすい。熊本の研修医には、月に17万も出しているとこと。宮崎が安過ぎるのだなあ。
○昭和54年6月20日(水)晴。
十和田湖より三沢に行って、そこにあるホテルに泊まった(学会後からそのまま休暇をもらっていた)。そこで、家族と合流した。もう、こんなにゆっくりと出来ることは、今から10年間、ないのかも知れないなあ。佐伯での10年間は、救急で追われて、アッと言う間に過ぎるだろう。
○昭和54年6月21日(木)晴。
札幌空港は、さすがに冷え冷えとしていた。支笏湖に行った。明日は、定山渓に行く。北海道は広くて、雄大だなあ。
○昭和54年6月22日(金)晴。
定山渓は、予想以上に立派なホテルだった。明日は、宮崎に帰るのだなあ。佐伯で頑張れる気がしてきた。
○昭和54年6月23日(土)晴。
飛行機は、トライスタ一だった。初めて乗った。とても良かった。沖縄やハワイやヨ一ロッパや東南アジアにも行ってみたいなあ。佐伯で10年以上頑張ったら、その後、アチコチ外国に行ってみたい。エジプトにも、行ってみたい。せっかく生まれてきたのだから、悔いが残らない様に生きたい。
*写真は、6月1日(8カ月目)に撮ったもの。