日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

粘りの佐賀人!

2007-08-22 18:29:29 | Weblog
 県立佐賀北高校が、夏の甲子園を制覇した。公立高校が優勝なんて、11年振り?、しかも、最多の73イニング(過去に1大会で最も多いイニングを戦ったのは、昨年の早稲田実の69)、スゴイ根性だなあ。
 広陵のピッチャ一のコントロ一ルが良くて、4対0でずっと押され気味だった。それが、8回の裏に、押し出しで1点取った後に、満塁ホ一ムラが出て、4-5となり、9回表の広陵打線を封じ込めて、見事に優勝した。
 7回まで見ていて、もう勝ち目はないなと思って見なかった。どう見ても、負けに思えていたから。しかし、しかしである、次にチャンネルで見た時、百崎敏克監督(51)がインタビュ一していて、それも、勝った感じで、「信じられない。何が起こったのか、よく分からない」と言っている。ひょっとしたら奇跡の逆転優勝?、次に、主将が、「皆さんの応援で勝てた」と言い、本塁打を放った副島浩史三塁手(3年)は「次の打者につなぐことだけを考え打席に立った。本塁打になるなんて...。最高に幸せです」と話している。スゴイ、あれから粘りに粘って逆転優勝したのだ。ちょっとテレビを見ない内に、こんな風に思ってもみなかった結果になっていたこと、自民党が社会党と組んで、大臣の経験もない大分県の村山さんの総理が決まった時以来だ。
 高校野球は、何か、そこに純粋さを感じる。又、無欲の勝利の大切さも感じる。ただ、真夏の一番暑い時なので、出来れば、もっと先の「体育の日」前後に日程を変更したらいいと思う。

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日本と韓国

2007-08-22 07:46:11 | Weblog
昨日、13時半より、病院に隣接した老人施設で「夏祭り」があり、昨年同様に、オープニング演奏をした。子どもの運動会は、家族が沢山集まって見るが、お年寄りの催しの場合は、家族の姿はない。施設の関係者が出し物などをして、盛り上げていた。
 夜21時過ぎに、韓国の人から電話があった。今、セミナ一で福岡に来ているとのことで、自分に会いたかった様だった。以前、別府に来ていた時は、会いに行った。
 その人は、現在、忠清北道の教育長をしていて、その人(Ro先生)のお世話で、以前、韓国で演奏した。
 又、清州市に行って、演奏をしたい。今度行く時は、飛行機で行こうと思う。オ一クランドでしてきた様に、少し長くいて、アチコチ演奏してみたいと思っている。
 韓国の人は、上と下の人の関係がはっきりとしていて、歳上の人はそれなりに尊敬される。家族の絆は、極めて強固である。人との絆も、いい関係が出来ると、長く続く。日本が失ってしまったものが、そこにある。
 何か、日本と韓国の違いをはっきりと見た様な気がしてならなかった。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/6348/kankoku-1.htm


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為になるかも知れない本(その186)

2007-08-22 06:33:42 | Weblog
○昭和54年6月3日(日)晴。
 当直の日だった。○○町立病院に月~土まで行くと、その月は、大学で集中的に当直する感じになる。日曜もよく働いていると思う。大学の医者って、どこもこんな感じなのかなあ。忙しくなる原因は、自分の仕事でなくて他の仕事をいいつけられてそうなる。もっと自分のペ一スで毎日を送りたいなあ。
○昭和54年6月4日(月)曇。
 心カテして、僕の診断が一番近かった。VSDと外来診断が付いていたが、VSD+PS+PDAであった。近頃、診断がよく当たっているなあ。当直明けなのに、検査に付いての講義もして、1日がアッと言う間に終わった。
○昭和54年6月9日(土)晴。
 ○○先生受け持ちの(ポンペ病の)○○さんの状態が悪くて、昼過ぎからチアノ一ゼが出て、夕方心停止状態となり、21時30分になくなった。親御さんも今までよく頑張ってきたと思う挿管している○○さんも全く良くなっていないし、結核性髄膜炎の子も、DORVの子も、良くない。冷や冷やの当直であった。○○ちゃんが、腹痛を訴えている。(小児科入院の約3分の1は、心疾患で、急変することが多く、深夜起こされることが多くなっていた)
○昭和54年6月11日(月)雨。
 心カテを2人して、スム一ズに出来た。上手になったと思う。運も良かったのかも知れないが。例の右季肋部痛の子は、便が出てから症状がとれた。ウイルス性ではなかった様だ。
○昭和54年6月18日(月)雨。
 明日から(小児循環器学会で)青森行きだ。帰ると、アナリ一ゼと総括と論文書きが待っているなあ。6月30日に、医局長に自分の先々のことを言うつもりだ。
○昭和54年6月19日(火)曇。
 学会が9:00からあり、疲れた。付いて行けない。エコ一が出来ないと駄目だなあ。しかし、それが出来出すと、自分の場合、もう、心臓から抜け出れなくなると思う。熊本の日赤の部長さんと話した。立派な人だなあ。頭低いし、話しやすい。熊本の研修医には、月に17万も出しているとこと。宮崎が安過ぎるのだなあ。
○昭和54年6月20日(水)晴。
 十和田湖より三沢に行って、そこにあるホテルに泊まった(学会後からそのまま休暇をもらっていた)。そこで、家族と合流した。もう、こんなにゆっくりと出来ることは、今から10年間、ないのかも知れないなあ。佐伯での10年間は、救急で追われて、アッと言う間に過ぎるだろう。
○昭和54年6月21日(木)晴。
 札幌空港は、さすがに冷え冷えとしていた。支笏湖に行った。明日は、定山渓に行く。北海道は広くて、雄大だなあ。
○昭和54年6月22日(金)晴。
 定山渓は、予想以上に立派なホテルだった。明日は、宮崎に帰るのだなあ。佐伯で頑張れる気がしてきた。
○昭和54年6月23日(土)晴。
 飛行機は、トライスタ一だった。初めて乗った。とても良かった。沖縄やハワイやヨ一ロッパや東南アジアにも行ってみたいなあ。佐伯で10年以上頑張ったら、その後、アチコチ外国に行ってみたい。エジプトにも、行ってみたい。せっかく生まれてきたのだから、悔いが残らない様に生きたい。


*写真は、6月1日(8カ月目)に撮ったもの。

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