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○昭和52年2月26日(土)晴。(1.977年)
細菌性髄膜炎を受け持った。とうとう持つべき疾患を持ったって感じだ。2カ月の女児、診察も難しいが検査も難しい年齢だ。顕微鏡で菌が見えた。白血球の中に連なって見えた。水痘脳炎が同時に来て、それは、他の先生が受け持ってくれた。僕は、本心は、両方持ちたかった。脳炎しても細菌性髄膜炎にしても、急変する疾患だ。夜中にタバコ誤飲で嘔吐して真っ青な顔で来た子を入院させた。今、病棟は一杯だ。
○昭和52年2月26日(土)晴。
(母親自身が、この子が熱が上がる前に、喉がとても痛かったと言われたこともあり)溶レン菌だと思ったので(顕微鏡的に連鎖していた)ペニシリンG500万単位髄注した(梶原先生は、日本で初めてGMを髄注していた)。昨日は、ルンバ一ルの上手な梶原先生が(他の人がして初め失敗したら病名が付かなくなるというので自分等にはさせずに)して6回試みる上手くいかなく、野中医長がして何と不思議なことに1回で入った。今日は自分が4回して全て失敗し、小野先生が3回目にかろうじて入った。ルンバ一ルには、最近自信を持っていただけに、再び自信を失ってしまった。しかし、この子のルンバ一ルは、確かに難しい。脂肪が沢山付いているし、孔が小さいし、それに実によく動くなあ。
○昭和52年2月27日(日)晴。
4回挑戦したが入らず、山元先生がしたら、3回目に入った。やっぱり僕は駄目なのか。どこがおかしいのかなあ。心疾患の急患が入院して、自分が受け持ちたかったが、小野先生が受け持った。
○昭和52年2月28日(月)晴。
今日は、何と下手くそな僕が1回で入ってしまったのだ。しかし、これが実力だとは思わない。ルンバ一ルは、1に固定、2に針(当時は、磨いでいた)、3に腕と皆は言う。明日は当番、4日は献血、5日は抄読会(自分が発表)、とにかく頑張って今週を乗り切らなくてはいけない。
*その時に、自分が染色して検鏡したもの(学生の講義の時には、常に、このスライドを見せている。同時に、別の患児の細菌性髄膜炎での剖検所見で、大脳に膿がべったりと付いたスライドを見せ、如何に細菌性髄膜炎が怖い病気であるかを説明している)。白血球の中に、溶連菌が鎖の様に連なっているのが見える。細菌性髄膜炎では、何の菌かを出来るだけ早く決め、出来るだけ早くそれに合う抗生剤を使用することが大切と思われる。
*ルンバ一ルの時は、まず、眼底を見ていた。脳腫瘍の場合は、脳ヘルニアを起こすことがあるので(実際に、それで、裁判沙汰になったケ一スあり)、必ず、眼底を診たことをカルテに記載していた。する前に、皮膚から脊髄腔までの距離を頭に浮かべてし(新生児は、12.0mm、満1歳22.4mm、満2歳25.6mm、満3歳27.0mm、満4歳27.6mm、満5歳28.3mm、満6歳29.0mm、満8歳30.5mm、満10歳32.9mm、満12歳35.6mm、満14歳39.5mm)、黄靱帯、次に硬膜がプツンと切れる感じを体で覚えていった。
*この頃より、採血の難しい例には、(正式には、認められていないと思われるが)自分なりの方法で、時間が掛かるが沢山の量でも採血出来る方法を思い付いた。それは、ヘパリンで筒を濡らしてよく動く様にしておいて(当時は採血は全てガラスだった)、21Gの針で血管を刺し、無理に引こうとせずに針をしっかりと固定したままで血圧で自然に逆流させて採血する方法である。