○昭和52年3月2日(水)曇。
ルンバ一ルが3回目で入った。自信が少し付いた。県の予算が降りなくて、来年も研修医の給料は今と一緒とのこと。それなら、今度は必ず上がるからなんて前もって期待を持たせることなんか言わなければいいのに。(恵ちゃんの3桁の万の貯金は、もう、2桁の半分位になっていた)
○昭和52年3月4日(金)晴時々曇。
献血車に乗った。150人程いて、とても忙しかったが、生活がかかっているから仕方がない。偶然、高校の時の進路指導の数学の渡辺清一郎先生に会った。僕のことに付いてもいろいろ聞いてきた(ある時、先生の数学の授業の時間に、僕の話をしたと後輩から聞いた)。僕の将来をいつも見守ってくれている人がいるんだなあと思い、いつまでも純粋な気持ちで医療に取り組んでいかなければいけないと思った。
○昭和52年3月9日(水)晴。
ルンバ一ルが1回で入った。もう、上の人とそんなにルンバ一ルのテクニックでは差がないと思った。習うより慣れろだ。3月は当番が8回もある。インフルエンザの時にしなかった分が回ってきたのだ。とくかくこんなに忙しかったら、いい診療が出来ないよ。それに、僕の体にも、限界がある。
患者さんを大切にしないといけない。いつも患者さんの立場になって診させてもらうって感じでないといけない。この髄膜炎の患者さんのおかげで、ルンバ一ルのテクニックの勉強、芯からさせて頂いた。何か哲学めいたものを若い時に読んでおくべきだったなあ。医療は、チ一ムワ一ク、同じ職場の人と仲良くして行かなければいけない。0時過ぎまで掛かって、蒲生逸夫著の小児科学をやっと読み上げた。
ルンバ一ルが3回目で入った。自信が少し付いた。県の予算が降りなくて、来年も研修医の給料は今と一緒とのこと。それなら、今度は必ず上がるからなんて前もって期待を持たせることなんか言わなければいいのに。(恵ちゃんの3桁の万の貯金は、もう、2桁の半分位になっていた)
○昭和52年3月4日(金)晴時々曇。
献血車に乗った。150人程いて、とても忙しかったが、生活がかかっているから仕方がない。偶然、高校の時の進路指導の数学の渡辺清一郎先生に会った。僕のことに付いてもいろいろ聞いてきた(ある時、先生の数学の授業の時間に、僕の話をしたと後輩から聞いた)。僕の将来をいつも見守ってくれている人がいるんだなあと思い、いつまでも純粋な気持ちで医療に取り組んでいかなければいけないと思った。
○昭和52年3月9日(水)晴。
ルンバ一ルが1回で入った。もう、上の人とそんなにルンバ一ルのテクニックでは差がないと思った。習うより慣れろだ。3月は当番が8回もある。インフルエンザの時にしなかった分が回ってきたのだ。とくかくこんなに忙しかったら、いい診療が出来ないよ。それに、僕の体にも、限界がある。
患者さんを大切にしないといけない。いつも患者さんの立場になって診させてもらうって感じでないといけない。この髄膜炎の患者さんのおかげで、ルンバ一ルのテクニックの勉強、芯からさせて頂いた。何か哲学めいたものを若い時に読んでおくべきだったなあ。医療は、チ一ムワ一ク、同じ職場の人と仲良くして行かなければいけない。0時過ぎまで掛かって、蒲生逸夫著の小児科学をやっと読み上げた。