板書について今日は考えてみましょう。
駆け出しのころ,板書をするたびにドギマギしていました。
子どもたちを背にする不安感。
自分の字の形に自信がない。
今,板書している内容に自信がない。
力のない自分の,力のない板書が,どうも苦手でした。
授業の数をこなすうちに,経験からいろいろと学ぶうちに,そういったドギマギも少しずつなくなってはきましたが。
以前は,板書で字を書くスピードでさえ,どれくらいのスピードで書いたらよいのか分からず,不安定でした。
ゆっくり,きれいに書きたいけど,その時間に子どもがざわつきだしそうな…
素早く書いて授業を進めたいけど,そうすると,まぁ字が雑…
黒板に字を一つ書くのにしろ,難しいもんだと,実感するものでした。
でも,このことについては,ある先輩の研究授業から学びました。
結論
板書で字を書くスピードは,子どものノートのとり方と合わせて書く!
ということでした。
もちろん「板書」などとテーマをうった研究授業ではなく,私が勝手に自分の中で研究したものですが(笑)
基本,その先生は,ゆっくりと字を書きました。
とてもゆーっっくりでした。
まるで,子どもがじっくりと字の練習をするように。
そして,その字を書いている間,子どもたちはというと,じーっとその字に,書いている先生に見とれていました。
先生が背を向けているからといって騒ぎ出すようなレベルではありません。
板書にくぎ付けなのです。
その間,なにか心地よい落ち着いた雰囲気がクラスにはできます。
私には経験したことのない不思議な時間でした。
そして,先生がある程度書き進めると,先生の指示に合わせて,子どもたちもノートを写します。
言うまでもなく,先生と同じように,ゆっくりと,丁寧に。
子どもたちが見とれて,書き方まで真似をするような板書ができるようになるまで,これは相当な腕を磨く必要があると思いました。
そして授業は進み,今度はテンポよく子どもたちがどんどん発表するような場面になりました。
すると,今度は板書のスピードも上がりました。
先生は子どもたちの言葉を拾いながら,丁寧さよりも速さを重視して,どんどん板書していきます。
それに合わせて,子どもたちもどんどんノートをとっていきます。
さっきのゆっくりとした板書とは対照的です。
とてもおもしろいと感じました。
その先生が意図的にしているのか,無意識にしているのかは分かりませんでしたが,板書が授業のリズムをつくり,板書が子どもたちの見本となっていました。
子どもたちに,その字をどう見てもらいたいか。
その字をどうノートに写してもらいたいか。
もっと広く考えれば,今している板書は,今日の授業全体の中でどんな位置づけにあるのか。
それを先生がしっかりと認識した上で,板書しています。
それを受けて,書くスピードに変化が出てきます。
「先生が書く字は,みんなの手本だよ。先生が書くように,みんなもノートを書きなさい。」
そんな指導を浸透させた授業を,私もできるようになりたいです。