「新しい朝をともにするもの」からのつづき
京都御所は当然のことながら土足厳禁だが、千日回峰行を満行した者のみ御所への土足参内が許されるそうだ。
京都御所といえば、ここ数年は毎年秋ごろに皇太子様がご訪問されている。ご視察ということだが、皇室の長い歴史のほとんどが京の都とともにあったことを思えば、年に一度でも京都御所で過ごす時間を持たれることは重要なことかもしれない。
千日回峰行を満行した者のみが土足参内できるという場所に住まわれる方の精神性という視点でみれば、畏れながら申し上げると、皇太子ご夫妻の御顔は私の眼には慈悲に満ちて感じられる。
東日本大震災直後から皇太子ご夫妻も被災者をお見舞いされたが、被災者と膝づめで話をされる皇太子ご夫妻、とりわけ雅子妃殿下の眼差しに心を打たれた。
皇太子ご夫妻の真剣に被災者の声に耳を傾けておられる御姿と微かに潤む目の優しさをテレビ画面越しに見た時、思わず浮かんだのが、五木寛之氏が繰り返し書く「慈悲」の言葉だった。
「蓮如」についての作品もある五木氏は仏教の造詣も深く、多くの作品のなかで「慈悲」について書いている。
「大河の一滴」(五木寛之)より部分引用
『人間の疵を癒す言葉には二つあります。一つは<励まし>であり、一つは<慰め>です。
人間はまだ立ち上がれる余力と気力があるときに励まされると再び強く立ち上がることが出来る。ところが、
もう立ち上がれない、自分はもうだめだと覚悟してしまった人間には、励ましの言葉など上滑りしていくだ
けです。
~中略~
頑張れと言われれば言われるほど辛くなる状況もある。その時に大事なことは何か。それは<励まし>では
なく<慰め>であり、もっといえば、慈悲の<悲>という言葉です。
<悲>はサンスクリット語で<カルナー>といい、溜め息、呻き声のことです。他人の痛みが自分の痛みの
ように感じられるにもかかわらず、その人の痛みを自分の力ではどうしても癒すことができない。その人に
なりかわることができない。そのことが辛くて、思わず体の底から「ああー」と呻き声を発する。その呻き
声がカルナ―です。それを中国人は<悲>と訳しました。~中略~
孤立した悲しみや苦痛を激励で癒すことはできない。そういうときにどうするか。そばに行って無言でいる
だけでもいいのではないか。その人の手に手を重ねて涙をこぼす。それだけでもいい。
~中略~
仮にオウム事件のようなことがあって、息子が刑に服することになったとしましょう。
慈愛に満ちた父親であれば「がんばれ!自分の罪を償って再起して社会に帰ってこい。私達はいつまでも待っ
てるぞ。一緒に手を携えて新しい未来に向かって歩いていこうじゃないか」と励ますかもしれない。
では、古風な母親であったらどうするか。「なぜこんなことになったの?これからどうするの?」などと問い
詰めるようなことは一切言わないだろう。ただ黙ってそばで涙を流して息子の顔を見つめているだけかもしれ
ない。お前が地獄に堕ちていくんだったら自分も一緒についていくよ、という気持ちで手を重ねて項垂れてい
るかもしれない。
実はこうしたことが人間の心の奥底に届くのです。
頑張れと言っても効かないギリギリの立場の人間は、それでしか救われない。それを<悲>といいます。』
愛の鞭という言葉があるが、慈愛でもって励ますのではなく、ただ傍らにいて共に項垂れる慈悲。
「大河の一滴」のオウム真理教の例がしっくり来ない場合でも「今を生きる」(五木寛之)の例なら伝わりやすいかもしれない。
『ガンの末期患者に「励まし」は酷で、そばに 座ってその人の顔を見つめ、その人の手の上に自分の手を重ね
ただ黙って一緒に涙をこぼしているだけ。それくらいしかできません。そしてそういうこともまた大事なこと
だと思うのです。
何も言わない、黙っている、ただうなづきながら相手の言葉を聞くだけ。そして一緒に大きなため息をつき、
どうすることもできないおのれの無力さに思わず深いうめき声を発する。そういう無言の感情が「悲」という
ものではないか。人は「慈」によって励まされると同時に、また「悲」によって慰められるものである。』
皇太子様が公務をともにされる世界の水関係者は「皇太子様は大変聞き上手で、殿下に接見賜ると普段寡黙な人まで饒舌になる(例えばエジプトの水資源大臣アブザイド氏)。殿下とお話しさせて頂くなかで、皆の胸中にある意欲や想いがかき立てられていくという感じなんです」(「皇太子殿下」(明星社))と書いていたが、雅子妃殿下の東大時代の友人も「雅子さんは、いつも笑顔で人の話を聞いてくれる聞き上手」と書いていたと記憶している。
共に聞き上手な皇太子御夫妻が、膝づめで被災者の話に耳を傾けられておられる映像の最後には、被災者の顔にほのかに笑顔が戻っていたのが印象的だった。
今回、五木寛之の「慈悲」を調べていると、五木氏のこんな言葉を見つけた。
『滂沱と涙を流して泣いたことのある人だけが腹の底から笑うことができる』
皇太子ご夫妻が訪問されたのは震災から数か月しか経っておらず、もちろん腹の底から笑えるような時期ではなかったが、皇太子ご夫妻のお身舞の後の被災者は、ただ憐れまれ同情され慰められているだけの存在ではなく、わずかでも笑顔が戻っていたことが強く印象に残っている。
共に聞き上手な皇太子ご夫妻は、大震災から間もない被災者の方に、「頑張れ」などと慈愛に満ちた御言葉をおかけになったわけでないのかもしれない。ただ被災者の傍らに座り耳を傾けておられたのかもしれない。被災者の方は皇太子ご夫妻に、妃殿下の御体調へのお身舞や学校生活に不安がある敬宮様を気遣う言葉をかけたという。それを「被災者に気遣われる皇太子ご夫妻」とマスコミは揶揄したが、病気であれ災害であれ自身ではどうにもならない辛さを分かち合う心の連帯が生じたからこそ、被災者の方の前向きな笑顔に繋がったのではないだろうか。
それと同時に、被災者の方と心の交流をされる皇太子ご夫妻の慈悲に満ちた御顔に至られるまでの苦難の年月と、その苦難が未だに続いていることを思わずにはいられなかった。
これまで、どれほど滂沱と涙を流してこられたのだろう、今なお堪えておられる涙がどれほどあるのだろう。
慈悲の眼差しとなられるまでの涙を知っているのはワンコだけかもしれないと、酒井大阿闍梨の千日回峰行の御供がワンコであったことから思ったりしている。
雅子妃殿下は過去の御誕生日の会見で度々ワンコと過ごす喜びを語っておられる。
触れるだけでも心が安らぐワンコと共に歩けば更に心が安らいでも良いはずだが、ワンコと過ごす喜びを感じておられても尚、心が傷んでしまうほどの哀しい状況。男児を産まないかぎり存在価値を否定される哀しさ、心の病を公表してもなお責め苛まれる過酷な状況の涙をワンコだけは知っているのかもしれない。(参照 「犬と人の愛情物語」)
一刻も早く苦難の時が去ることを心から願うばかりだが、苦難から慈悲のお心を得られた皇太子ご夫妻の精神性が、自然災害や経済問題など来るべき困難の時に、国の大いなる慰めとなるのではないかとも思っている。
千日回峰行の御供も人生の御供もワンコなんだなと云いつつも、皇太子御一家には「人と人の間にいたがるから<人間ちゃん>」と敬宮様の名づけられたニャーコもいると記載しておく。
京都御所は当然のことながら土足厳禁だが、千日回峰行を満行した者のみ御所への土足参内が許されるそうだ。
京都御所といえば、ここ数年は毎年秋ごろに皇太子様がご訪問されている。ご視察ということだが、皇室の長い歴史のほとんどが京の都とともにあったことを思えば、年に一度でも京都御所で過ごす時間を持たれることは重要なことかもしれない。
千日回峰行を満行した者のみが土足参内できるという場所に住まわれる方の精神性という視点でみれば、畏れながら申し上げると、皇太子ご夫妻の御顔は私の眼には慈悲に満ちて感じられる。
東日本大震災直後から皇太子ご夫妻も被災者をお見舞いされたが、被災者と膝づめで話をされる皇太子ご夫妻、とりわけ雅子妃殿下の眼差しに心を打たれた。
皇太子ご夫妻の真剣に被災者の声に耳を傾けておられる御姿と微かに潤む目の優しさをテレビ画面越しに見た時、思わず浮かんだのが、五木寛之氏が繰り返し書く「慈悲」の言葉だった。
「蓮如」についての作品もある五木氏は仏教の造詣も深く、多くの作品のなかで「慈悲」について書いている。
「大河の一滴」(五木寛之)より部分引用
『人間の疵を癒す言葉には二つあります。一つは<励まし>であり、一つは<慰め>です。
人間はまだ立ち上がれる余力と気力があるときに励まされると再び強く立ち上がることが出来る。ところが、
もう立ち上がれない、自分はもうだめだと覚悟してしまった人間には、励ましの言葉など上滑りしていくだ
けです。
~中略~
頑張れと言われれば言われるほど辛くなる状況もある。その時に大事なことは何か。それは<励まし>では
なく<慰め>であり、もっといえば、慈悲の<悲>という言葉です。
<悲>はサンスクリット語で<カルナー>といい、溜め息、呻き声のことです。他人の痛みが自分の痛みの
ように感じられるにもかかわらず、その人の痛みを自分の力ではどうしても癒すことができない。その人に
なりかわることができない。そのことが辛くて、思わず体の底から「ああー」と呻き声を発する。その呻き
声がカルナ―です。それを中国人は<悲>と訳しました。~中略~
孤立した悲しみや苦痛を激励で癒すことはできない。そういうときにどうするか。そばに行って無言でいる
だけでもいいのではないか。その人の手に手を重ねて涙をこぼす。それだけでもいい。
~中略~
仮にオウム事件のようなことがあって、息子が刑に服することになったとしましょう。
慈愛に満ちた父親であれば「がんばれ!自分の罪を償って再起して社会に帰ってこい。私達はいつまでも待っ
てるぞ。一緒に手を携えて新しい未来に向かって歩いていこうじゃないか」と励ますかもしれない。
では、古風な母親であったらどうするか。「なぜこんなことになったの?これからどうするの?」などと問い
詰めるようなことは一切言わないだろう。ただ黙ってそばで涙を流して息子の顔を見つめているだけかもしれ
ない。お前が地獄に堕ちていくんだったら自分も一緒についていくよ、という気持ちで手を重ねて項垂れてい
るかもしれない。
実はこうしたことが人間の心の奥底に届くのです。
頑張れと言っても効かないギリギリの立場の人間は、それでしか救われない。それを<悲>といいます。』
愛の鞭という言葉があるが、慈愛でもって励ますのではなく、ただ傍らにいて共に項垂れる慈悲。
「大河の一滴」のオウム真理教の例がしっくり来ない場合でも「今を生きる」(五木寛之)の例なら伝わりやすいかもしれない。
『ガンの末期患者に「励まし」は酷で、そばに 座ってその人の顔を見つめ、その人の手の上に自分の手を重ね
ただ黙って一緒に涙をこぼしているだけ。それくらいしかできません。そしてそういうこともまた大事なこと
だと思うのです。
何も言わない、黙っている、ただうなづきながら相手の言葉を聞くだけ。そして一緒に大きなため息をつき、
どうすることもできないおのれの無力さに思わず深いうめき声を発する。そういう無言の感情が「悲」という
ものではないか。人は「慈」によって励まされると同時に、また「悲」によって慰められるものである。』
皇太子様が公務をともにされる世界の水関係者は「皇太子様は大変聞き上手で、殿下に接見賜ると普段寡黙な人まで饒舌になる(例えばエジプトの水資源大臣アブザイド氏)。殿下とお話しさせて頂くなかで、皆の胸中にある意欲や想いがかき立てられていくという感じなんです」(「皇太子殿下」(明星社))と書いていたが、雅子妃殿下の東大時代の友人も「雅子さんは、いつも笑顔で人の話を聞いてくれる聞き上手」と書いていたと記憶している。
共に聞き上手な皇太子御夫妻が、膝づめで被災者の話に耳を傾けられておられる映像の最後には、被災者の顔にほのかに笑顔が戻っていたのが印象的だった。
今回、五木寛之の「慈悲」を調べていると、五木氏のこんな言葉を見つけた。
『滂沱と涙を流して泣いたことのある人だけが腹の底から笑うことができる』
皇太子ご夫妻が訪問されたのは震災から数か月しか経っておらず、もちろん腹の底から笑えるような時期ではなかったが、皇太子ご夫妻のお身舞の後の被災者は、ただ憐れまれ同情され慰められているだけの存在ではなく、わずかでも笑顔が戻っていたことが強く印象に残っている。
共に聞き上手な皇太子ご夫妻は、大震災から間もない被災者の方に、「頑張れ」などと慈愛に満ちた御言葉をおかけになったわけでないのかもしれない。ただ被災者の傍らに座り耳を傾けておられたのかもしれない。被災者の方は皇太子ご夫妻に、妃殿下の御体調へのお身舞や学校生活に不安がある敬宮様を気遣う言葉をかけたという。それを「被災者に気遣われる皇太子ご夫妻」とマスコミは揶揄したが、病気であれ災害であれ自身ではどうにもならない辛さを分かち合う心の連帯が生じたからこそ、被災者の方の前向きな笑顔に繋がったのではないだろうか。
それと同時に、被災者の方と心の交流をされる皇太子ご夫妻の慈悲に満ちた御顔に至られるまでの苦難の年月と、その苦難が未だに続いていることを思わずにはいられなかった。
これまで、どれほど滂沱と涙を流してこられたのだろう、今なお堪えておられる涙がどれほどあるのだろう。
慈悲の眼差しとなられるまでの涙を知っているのはワンコだけかもしれないと、酒井大阿闍梨の千日回峰行の御供がワンコであったことから思ったりしている。
雅子妃殿下は過去の御誕生日の会見で度々ワンコと過ごす喜びを語っておられる。
触れるだけでも心が安らぐワンコと共に歩けば更に心が安らいでも良いはずだが、ワンコと過ごす喜びを感じておられても尚、心が傷んでしまうほどの哀しい状況。男児を産まないかぎり存在価値を否定される哀しさ、心の病を公表してもなお責め苛まれる過酷な状況の涙をワンコだけは知っているのかもしれない。(参照 「犬と人の愛情物語」)
一刻も早く苦難の時が去ることを心から願うばかりだが、苦難から慈悲のお心を得られた皇太子ご夫妻の精神性が、自然災害や経済問題など来るべき困難の時に、国の大いなる慰めとなるのではないかとも思っている。
千日回峰行の御供も人生の御供もワンコなんだなと云いつつも、皇太子御一家には「人と人の間にいたがるから<人間ちゃん>」と敬宮様の名づけられたニャーコもいると記載しておく。