「不苦者有知」からのつづき
今年は、お茶の花が綺麗に咲いた。
これが、長年読みたいと思いながらそのままにしていた「日々是好日」(森下典子)を読むきっかけとなった。
我が家は皆食いしん坊なので、生垣のカナメの木が古くなったとき「何か美味しいものがなる木はないか?」と相談したところ、植木屋さんに勧められたのがブルーベリーとお茶の木であった。
例年ならば水やりの途中に摘んで食べる程度しか実がならなかったブルーベリーが今年は大豊作で、3本の木から収穫した3キロの実で作ったジャムが、今も食パンにヨーグルトにと食卓を潤してくれている。
こうなると欲がでてくるのが食いしん坊の性で、今まで忘れていたお茶の木も観察対象となったのだが、そのお茶の木に花が咲いているのを10月半ばに見つけた。
白く品の良い椿のような花は、可憐だがどこか侘しげな佇まいでもある。
そこで思い出したのが、「日々是好日」なのだ。
作者が大学時代に習い始めた茶道の世界が、就職・結婚と人生の節目節目に悩む心に如何に作用してきたかを、飾らぬ筆致で書く「日々是好日」。
茶道の先生は作者の母の知人でもあり、作者が人生の節目の度に厳しい局面に立たされているのを知ってはいるが、起ってくる事態について深くは立ち入らず、淡々とお点前だけを教えている。お茶の世界のある種の淡白さを有難いと思うと同時に物足りなく感じていた作者だが、先生が掛け軸にかける思いを知り、掛け軸そのものへの見方を変える日がくる。
出版会社に勤めることを希望する作者は、何年も出版関係の会社の入社試験を受け続ける。
何度目かの試験を翌日に控え「お稽古を休む」と先生に連絡したものの、結局何も手に付かない作者がぶらりと訪問した茶室で見た掛け軸が、達磨だったのだ。
先生は、休むと伝えてきた生徒のために(その生徒が見ることはないと分かっていながらも)「七転び八起き」「開運」という意味のある「達磨」の掛け軸をかけてくれていたのだ。
それを知った作者は、喉に熱いものが詰まり、目の前も涙でくもりそうになる。
作者は思う。
『かけじくは、今の季節を表現する。けれど季節は、春夏秋冬だけではなかった。
人生にも、季節はあるのだった。
先生はその日、私の「正念場」の季節に合わせて、かけじくをかけてくれたのだった。』
この日を境に作者自身の感性が研ぎ澄まされていき、五感で季節とつながる喜びを知るようになるが、相変わらず先生は「心を入れて」掛け軸や茶花を選びながらも、それを生徒に説くことはせず淡々とお点前の作法のみを教え続ける。
作者は長いモラトリアムの時代や結婚の選択など人生の方向性などに迷うたびに、お茶の世界に疑問を持ち、しかし最後にはお茶の世界で救われるのだ。
南側に向かって茶室が開け放たれる夏には開放的な気分となり、その反対に、茶室の障子が閉じられ炉を囲み燃える炭を見つめる冬になれば内省的になっていく。
そんな茶室の空間からも作者は学ぶ。
『世の中は、前向きで明るいことばかりに価値をおく。
けれど、そもそも反対のことがなければ、「明るさ」も存在しない。
どちらも存在して初めて、奥行きが生まれるのだ。
どちらが良く、どちらが悪いというのではなく、それぞれがよい。
人間には、その両方が必要なのだ。』
自分だけ人生が始まらないという焦りや、大切なものを失う喪失感と絶望から、自分の居場所が分からなくなっていた時も、ある雨の日の忘れられない経験により作者は救われるのだ。
家中が雨に包まれるような大雨に、一心に耳をすましていると、作者の心が突然自由になる。
自由な心に飛び込んできた「雨聴」の掛け軸。
それまでも、作者はその掛け軸を見たことはあったが「雨が降ってるから、雨の掛け軸なんでしょ」としか思わなかった。が、解き放たれた心で一心に雨の音を聴くと、分かったのだ。
『雨の日は、雨を聴きなさい。心も体も、ここにいなさい。
あなたの五感を使って、今を一心に味わいなさい。そうすれば分かるはずだ。
自由になる道は、いつでも今ここにある』
『過去や未来を思う限り、安心して生きることはできない。
道は一つしかない。今を味わうことだ。
過去も未来もなく、ただこの一瞬に没頭できた時、人間は自分がさえぎるもののない自由の中で生きている
ことに気づくのだ・・・・・。』
『・・・どんな日も、その日を思う存分味わう。中略~そうやって生きれば、
人間はたとえ、まわりが「苦境」と呼ぶような事態に遭遇したとしても、
その状況を楽しんでい生きていけるかもしれないのだ。』
この気付きが、どんな日も「いい日」「毎日がいい日」という思いに繋がり、初めてお茶のお稽古に通い始めた頃からかかっていた額の「日々是好日」の言葉の真意を理解することになる。
先生は作者の懊悩を知っていたのだろうが、何も言わずに淡々とお点前だけを教え続ける、そこにある「待つ」ということの大切さを理解した時に、作者は変わったのだと思う。
「待つ」ことの難しさ。
それは時間を長い目で見ない限り出来ないことかもしれない。
「不苦者有知」で書いたが、人生を十二周期のサイクルとでも見立てたうえで、遙か彼方から自分を見つめねばならないことがあるのだと思う。
お茶の道具には12年ごとに使われる干支の茶碗があるが、それも一年中いつでも使えるのではなく、その年の正月と、その年最後のお点前に限定されている。
十二年周期でしか巡り逢えない茶碗を前に、茶人は人生を考える。
『干支の茶碗を眺める時は、みんな、はるか彼方から自分の人生を見ている。
私は、この十二年周期のサイクルを、あと何週するだろう?』
『いろいろなことがあるけれど、気長に生きていきなさい。
じっくり自分を作っていきなさい。
人生は、長い目で、今この時を生きることだよ』
雅子妃殿下が12年ぶりに園遊会に出席されたため、本作の十二年周期のサイクルという言葉を思い出したが、実は「不苦者有知」という言葉こそ残しておきたかった。
「不苦者有知」と書いて「フクハウチ」と読ませる掛け軸の話が本作にはある。
節分のアレである。
鬼に向かって「鬼は外、福は内」と豆を投げつけるだけの単純なアレではない。
苦しみの無い者に知恵が宿るという意味でも、もちろんない。
苦しみを超越した者だけに、知恵が宿るという意味だそうだ。
この意味を知った時、12年ぶりに園遊会に御出席されるまでに御回復された雅子妃殿下の12年の年月と、その間の苦しみと、それを超越されつつあることが胸に迫り「雅子妃殿下 不苦者有知」と書きたくなったのだ。
御婚約から間もない頃、雅子妃殿下のお茶の先生の話を読んだ記憶がある。
「お礼にと届けられた茶花に、雅子さんが茶の心を理解されているのを感じた」というものだったと記憶している。
どうしようもなく苦しい季節を超えつつある雅子妃殿下に新たな季節が訪れようとしている、その人生と日本の季節の知恵が、敬宮様へ受け継がれていくことを願っている。
写真出展 ウィキペディア
今年は、お茶の花が綺麗に咲いた。
これが、長年読みたいと思いながらそのままにしていた「日々是好日」(森下典子)を読むきっかけとなった。
我が家は皆食いしん坊なので、生垣のカナメの木が古くなったとき「何か美味しいものがなる木はないか?」と相談したところ、植木屋さんに勧められたのがブルーベリーとお茶の木であった。
例年ならば水やりの途中に摘んで食べる程度しか実がならなかったブルーベリーが今年は大豊作で、3本の木から収穫した3キロの実で作ったジャムが、今も食パンにヨーグルトにと食卓を潤してくれている。
こうなると欲がでてくるのが食いしん坊の性で、今まで忘れていたお茶の木も観察対象となったのだが、そのお茶の木に花が咲いているのを10月半ばに見つけた。
白く品の良い椿のような花は、可憐だがどこか侘しげな佇まいでもある。
そこで思い出したのが、「日々是好日」なのだ。
作者が大学時代に習い始めた茶道の世界が、就職・結婚と人生の節目節目に悩む心に如何に作用してきたかを、飾らぬ筆致で書く「日々是好日」。
茶道の先生は作者の母の知人でもあり、作者が人生の節目の度に厳しい局面に立たされているのを知ってはいるが、起ってくる事態について深くは立ち入らず、淡々とお点前だけを教えている。お茶の世界のある種の淡白さを有難いと思うと同時に物足りなく感じていた作者だが、先生が掛け軸にかける思いを知り、掛け軸そのものへの見方を変える日がくる。
出版会社に勤めることを希望する作者は、何年も出版関係の会社の入社試験を受け続ける。
何度目かの試験を翌日に控え「お稽古を休む」と先生に連絡したものの、結局何も手に付かない作者がぶらりと訪問した茶室で見た掛け軸が、達磨だったのだ。
先生は、休むと伝えてきた生徒のために(その生徒が見ることはないと分かっていながらも)「七転び八起き」「開運」という意味のある「達磨」の掛け軸をかけてくれていたのだ。
それを知った作者は、喉に熱いものが詰まり、目の前も涙でくもりそうになる。
作者は思う。
『かけじくは、今の季節を表現する。けれど季節は、春夏秋冬だけではなかった。
人生にも、季節はあるのだった。
先生はその日、私の「正念場」の季節に合わせて、かけじくをかけてくれたのだった。』
この日を境に作者自身の感性が研ぎ澄まされていき、五感で季節とつながる喜びを知るようになるが、相変わらず先生は「心を入れて」掛け軸や茶花を選びながらも、それを生徒に説くことはせず淡々とお点前の作法のみを教え続ける。
作者は長いモラトリアムの時代や結婚の選択など人生の方向性などに迷うたびに、お茶の世界に疑問を持ち、しかし最後にはお茶の世界で救われるのだ。
南側に向かって茶室が開け放たれる夏には開放的な気分となり、その反対に、茶室の障子が閉じられ炉を囲み燃える炭を見つめる冬になれば内省的になっていく。
そんな茶室の空間からも作者は学ぶ。
『世の中は、前向きで明るいことばかりに価値をおく。
けれど、そもそも反対のことがなければ、「明るさ」も存在しない。
どちらも存在して初めて、奥行きが生まれるのだ。
どちらが良く、どちらが悪いというのではなく、それぞれがよい。
人間には、その両方が必要なのだ。』
自分だけ人生が始まらないという焦りや、大切なものを失う喪失感と絶望から、自分の居場所が分からなくなっていた時も、ある雨の日の忘れられない経験により作者は救われるのだ。
家中が雨に包まれるような大雨に、一心に耳をすましていると、作者の心が突然自由になる。
自由な心に飛び込んできた「雨聴」の掛け軸。
それまでも、作者はその掛け軸を見たことはあったが「雨が降ってるから、雨の掛け軸なんでしょ」としか思わなかった。が、解き放たれた心で一心に雨の音を聴くと、分かったのだ。
『雨の日は、雨を聴きなさい。心も体も、ここにいなさい。
あなたの五感を使って、今を一心に味わいなさい。そうすれば分かるはずだ。
自由になる道は、いつでも今ここにある』
『過去や未来を思う限り、安心して生きることはできない。
道は一つしかない。今を味わうことだ。
過去も未来もなく、ただこの一瞬に没頭できた時、人間は自分がさえぎるもののない自由の中で生きている
ことに気づくのだ・・・・・。』
『・・・どんな日も、その日を思う存分味わう。中略~そうやって生きれば、
人間はたとえ、まわりが「苦境」と呼ぶような事態に遭遇したとしても、
その状況を楽しんでい生きていけるかもしれないのだ。』
この気付きが、どんな日も「いい日」「毎日がいい日」という思いに繋がり、初めてお茶のお稽古に通い始めた頃からかかっていた額の「日々是好日」の言葉の真意を理解することになる。
先生は作者の懊悩を知っていたのだろうが、何も言わずに淡々とお点前だけを教え続ける、そこにある「待つ」ということの大切さを理解した時に、作者は変わったのだと思う。
「待つ」ことの難しさ。
それは時間を長い目で見ない限り出来ないことかもしれない。
「不苦者有知」で書いたが、人生を十二周期のサイクルとでも見立てたうえで、遙か彼方から自分を見つめねばならないことがあるのだと思う。
お茶の道具には12年ごとに使われる干支の茶碗があるが、それも一年中いつでも使えるのではなく、その年の正月と、その年最後のお点前に限定されている。
十二年周期でしか巡り逢えない茶碗を前に、茶人は人生を考える。
『干支の茶碗を眺める時は、みんな、はるか彼方から自分の人生を見ている。
私は、この十二年周期のサイクルを、あと何週するだろう?』
『いろいろなことがあるけれど、気長に生きていきなさい。
じっくり自分を作っていきなさい。
人生は、長い目で、今この時を生きることだよ』
雅子妃殿下が12年ぶりに園遊会に出席されたため、本作の十二年周期のサイクルという言葉を思い出したが、実は「不苦者有知」という言葉こそ残しておきたかった。
「不苦者有知」と書いて「フクハウチ」と読ませる掛け軸の話が本作にはある。
節分のアレである。
鬼に向かって「鬼は外、福は内」と豆を投げつけるだけの単純なアレではない。
苦しみの無い者に知恵が宿るという意味でも、もちろんない。
苦しみを超越した者だけに、知恵が宿るという意味だそうだ。
この意味を知った時、12年ぶりに園遊会に御出席されるまでに御回復された雅子妃殿下の12年の年月と、その間の苦しみと、それを超越されつつあることが胸に迫り「雅子妃殿下 不苦者有知」と書きたくなったのだ。
御婚約から間もない頃、雅子妃殿下のお茶の先生の話を読んだ記憶がある。
「お礼にと届けられた茶花に、雅子さんが茶の心を理解されているのを感じた」というものだったと記憶している。
どうしようもなく苦しい季節を超えつつある雅子妃殿下に新たな季節が訪れようとしている、その人生と日本の季節の知恵が、敬宮様へ受け継がれていくことを願っている。
雅子妃殿下 不苦者有知
写真出展 ウィキペディア