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祝号外 飛べニッポン号 (反省追記アリ)

2015-11-11 12:45:47 | ニュース
<MRJ初飛行>国産旅客機53年ぶり 産業復活に前進毎日新聞 11月11日(水)11時11分配信より一部引用
国産初の小型ジェット旅客機「MRJ」(三菱リージョナルジェット)は11日午前、初飛行に成功した。開発を担う三菱航空機は今後、2017年4月以降に予定する全日本空輸(ANA)への初納入に向けた準備作業を加速する。国産旅客機の初飛行は、プロペラ機「YS11」(日本航空機製造製)が実施した1962年8月以来53年ぶりで、日本の航空機産業の復活に向けた大きな前進となる。リージョナルジェットは米国などの短距離の都市間での飛行を想定している。



ここは敬意を表して毎日新聞の記事から引用したい。
以前、本田ジェットについては書いたが、それは毎日新聞社が企画し、海軍と三菱重工による協力で製造された「ニッポン号」への憧れがあったからかもしれない。
(参照、「運が向いてきたぞ、夢」 「生きた夢と知恵を継ぐ」 「時空をかける夢」

ニッポン号とは、初めて世界一周をした純国産航空機の名であるが、それがなんと第二次世界大戦前の1939年というから驚きである。もっとも、それほどの技術を有する日本が、戦後は敗戦国ということもあり国産飛行機の分野から70年以上も遠ざかっていたことも驚きだが、70年以上前に「ニッポン号」を製造した三菱重工の系列である三菱航空機が新たな時代を築いてくれたことに興奮している。

この一連の経緯については「翼をください」(原田マハ)に詳しいが、何年も前に図書館で借りて読んだ本なので、正確なことを今記すことは出来ないのが残念だが、これから本田ジェットも世界の空を飛ぶことだと思うので、再度「翼をください」を読みたいと思っている。
その日まで、「翼をください」の主人公である女性パイロットの言葉を胸に、日本の航空機産業の発展を応援したいと思っている、

私は飛ぶ。
より高く、もっと早く、ずっと遠くへ。
そして、必ず帰ってくる。

飛べニッポン号!!!

こっそり訂正
ニュースの見出しに<53年ぶり>の文字があるのに、「国産航空機の分野から70年以上も遠ざかっていた」と書いたのは不正確というよりは間違い。
毎日新聞の記事にもあるように、1962年に戦後初の国産プロペラ旅客機YS-11が製造されたが、360億円の赤字を出し、たった11年で生産が終了しているし、これを手掛けたメーカーが三菱ではなかったことから、三菱の航空機という観点では「70年ぶり」と書いてしまった。
それは、戦前世界一を誇った日本の航空機ゼロ戦を手掛けたのが三菱重工であったため、その三菱の航空機部門が復活したことに興奮したからだが、今あれこれ検索していて、YS-11には三菱を含む多くの企業や東大の航空学科の頭脳と技術が活かされていたことを知った。複数企業による開発となったのは、各社の経営的思惑もあったのだろうが、戦後GHQに航空機製造を禁じられた日本が総がかりで日の丸航空機を復活させようとした、一つの形であったのだとも思われる。そのようなYS-11の存在をないもののように書くのは間違いだと思い、反省して訂正している。

思いも技術も受け継がれている
飛べニッポン号!!!