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幸せの条件 共生と独歩

2015-11-28 12:10:25 | 
「幸せの条件」(誉田哲也)の本の帯には「人生も、自給自足」とあるが、まだまだ考えはそこへは至っていないので、「幸せの条件」シリーズは今日も続いている。

自給自足の人生を考えろ、という本だけあって、綺麗事だけを並べている内容ではなく、長い物に巻かれねば上手くやっていけない時があることも、必要悪との向き合い方も考えさせられるが、本書の中核である農政の分野は待ったなしだと思わせるニュースが配信されている。

<農業人口>5年で51万人減 200万人割れ目前  毎日新聞 11月27日(金)15時1分配信より一部引用
農林水産省が27日発表した2015年の農林業センサス(速報値)によると、日本の農業就業人口は10年の前回調査から51万6000人減少して209万人になった。減少率は19.8%で過去最大だった前回の22.3%とほぼ同水準となった。平均年齢は66.3歳で、前回調査の65.8歳よりも高齢化が進行した。
高齢化で農業をやめる人が多い一方、若者の新規就農は伸び悩んでおり、農業の体質強化を急ぐ必要性が明確になった。
東日本大震災の被災地である岩手、宮城、福島の3県では農業経営体が22.6%減の13万9000と全国平均より減少率が大きかった。

若手を取り込み収益をあげるという点では農地の大規模化は不可欠だが、以前も書いた通り、農水省が進める農地の大規模化は進んでいない。
「幸せの条件」でも、休耕田や荒れ農地の問題は書かれるが、それは農家の高齢化と後継者不足と減反政策の弊害だけでなく、農地が荒れ放題になろうとも「先祖代々受け継いだ土地は手放したくない」という意地と誇りが農地集約を阻んでいる実情も炙り出されている。

その一方で、仮に大規模化が実現すれば、こだわり農法とはいってはおれない問題として、農薬との関わり方がある。
農薬については、これまでも「時代に即した祈り」 「千に一つに不出来を恥じる」などで「無農薬や利潤の追求で極端に走ることの危険性と、安易に妥協する危険性」を書いてきたつもりだが、「幸せの条件」でも、無農薬米へのこだわる若手農家の健介と、その良さを認めながらも「農業はビジネス」と割り切りったうえで農業の可能性を広げようとする茂樹の葛藤が書かれている。

『俺は無農薬のすべてが悪いとはいわない。だが向き不向きは絶対にあるんだ。自分の田んぼにはどこから水が流れてきて、上流には誰の田んぼがあって、そこがどういう農法をしてるのか、きちんと管理できてるのか、そういうことだって米のデキには係ってくる。俺だって無農薬はやってる。でも周りは全部俺が管理してる田んぼだ。水や風向きといった、環境そのものをすべて自分で把握し、コントロールできる。そこまでお膳立てして、ようやくほんの少しだけ、無農薬米が作れるんだ。だからって、それがどこでも通用するとは思わない。俺は無農薬米が得意だ、なんて自惚れたりはしない』
『・・・・・下手な意地を張って、無農薬に拘る必要なんて、どこにもねぇんだ。いくら無農薬だって、不味くちゃ客は買ってくれない。一度は買っても、二度は買わない。必要なのは、安全で美味しい米だ。それさえ適正価格で提供できていれば、客は必ず続けて買ってくれる。決して無農薬は、安全の絶対条件じゃない。・・・健介も、頭じゃ分かってるんだろうけどな。若いんだろう。自分の負けが認められねぇんだ。儲からなかったら、潔く手を引く。諦める。そういうビジネス感覚も、農業には必要なんだ。』

農業への熱い情熱と冷静なビジネス感覚をもつ茂樹社長が、若手の健介を指導しつつ休耕田の再興を図っている、「幸せの条件」の農業法人「あぐもぐ」。
無農薬を認めつつも、農薬を利用しての安全性で利潤とのバランスをとる。農地の大規模化を求めつつも、強引な集積でなく(農村としての景観を守るために)休耕田をなくす方法を模索する。
それは、長い物に巻かれながら必要悪とも付き合いながら、本筋を守る生き方を模索する姿勢にも重なってくる。

しかし、ニュース記事でも書かれている被災地の農業経営の縮小は、その原因が原発事故である地域では更に深刻な問題であり、長きに巻かれっぱなしで良いのか?必要悪は本当に「必要」悪なのか?という根源的な問題を突き付けてくる。

「幸せの条件」でも、原発事故が福島の農家に及ぼした影響が書かれている。
茂樹には、福島で農家をしている従弟・誠がいるが、その誠のところが作付制限区域になる。
震災当日は、揺れたけれど箪笥が倒れたわけでも、窓ガラスが割れたわけでもない。外に出たら自転車は倒れていたが、機械類はびくともしていなかった。箱と米袋が崩れたくらいでトラクターもコンバインも何一つ壊れていなかった。
原発からは同じ福島県内とはいえ30キロ離れている。あれは俺達には関係ない、と思ってた誠。
震災前と今と、景色は何一つ変わっていない、それなのに・・・・・
『米、作っちゃいけないんだってさ。仮に作って出荷したら、罰則が与えられる可能性があるんだってさ・・・ひどいよね。俺たちが何したっていうの。原発で作った電気使ってたの、俺達じゃないじゃない。東京の人じゃない。東京の工場とか、大企業とかじゃない。俺達はさ、ガソリンだってできるだけ使わないようにして、地面とお天道様とで、仕事してきたんじゃない。なのに、なんでだよ。なんで俺たちが、田んぼ奪われなきゃなんないの』
『あとさ・・・・・たった300メートルなんだよ。あと300メートル、うちが西にずれてたら、作付制限受けなかったんだ・・・・・憎いよ。ほんと、原発が憎い。やってらんないよ・・・・・』
誠は頭を抱え込み、うなだれる。

「エネルギーも自給自足」が理想だと頭では分かっていても、キロ当たり400円でも売れるコメを、20円で卸さない限り採算があわないバイオエタノールに踏み出せないでいた茂樹たちを、福島の農家の涙が奮い立たせる。
『自分たちで使う燃料くらい、自分たちで作ろうじゃないか。まずは自給自足。それができない百姓に、一体誰を食わせられるというんだい』その思いが、農家のゴミを燃料にする装置を考え出させる。

長い物や必要悪の有用性を認めて共生を図りつつも、それに呑み込まれずに1人でもやっていける覚悟と準備をしておくことの重要性を教えられた・・・教えられて、頭では分かっても一歩が踏み出せない私は、茂樹のようなリーダーを求めてしまうが、これでは本書の副題である「人生も、自給自足」とはいかない。
そのあたりについては、つづく。

ところで、皇太子ご夫妻は被災地の農業にも強い関心をもっておられるのだと思う。
東日本大震災から2年後に宮城県を訪問された時、復興事業の味噌加工場をお見舞いされたが、そこでは地元産の大豆と米での製造を重視しているという。
震災から4年の今年も被災地を訪問されたが、選ばれたのは福島の農業生産法人のトマトハウスで、復興状況や風評被害についてお見舞いと励ましの言葉をかけられたという。
皇太子ご夫妻が大切だと思われることを信じ、その発展を祈っている。