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幸せの条件 知足者富

2015-11-26 19:27:33 | 
「幸せの条件 お天道様」のつづき

自給自足というと、だし汁の水と薬味のネギ以外は国産ではないという海老の天ぷらうどんの例が、日本の食糧自給率の低さを語るうえで有名だが、「幸せの条件」(誉田哲也)で「あぐもぐ」社長・茂樹が力説するところによれば、数字と基点のマジックを取り払えば、悲観的な情報ばかりでもないらしい。

他国から食糧が一切入ってこない状況になり、国産で賄えるご飯と塩だけ食べれておれば自給率は100%になることからも分かるように、概して貧しい国々は自給率は高いそうだ。
つまり、自分の国にないものを輸入してまで食べることで、見かけ上の自給率を低下させているというのが、一点。これに付随し、畜産物の飼料の問題がある。
『国産の畜産物。牛、豚、鶏・・・・・これらはほとんど、自給食物にはカウントされない~略~
 牛豚鶏の食べてる飼料穀物が、ほとんど輸入に頼っているからだ。つまり日本で生まれ育っても、
 食べてるものが国産じゃなかったら、国産肉じゃないってことさ。
 この理屈でいくと、ハンバーガーばかり食べてる奴らの国籍をはく奪しなきゃならなくなるが・・・・・』

もう一点が、自給率をカロリーベースで語る愚という問題提起。
『(一般的自給率についての)今までの話は、実はすべてカロリーベースの話だ。
 ごく簡単にいうと、国内に流通したカロリーのうち、消費されたものの何割が国産だったか、というのを示す
 のが食糧自給率だ。よって、カロリーの低い野菜はほとんど、この食糧自給率にはカウントされない。
 野菜だって量を食べれば、腹は一杯になる。栄養だって摂れる。ベジタリアンってのがいるくらいだからな。
 それだって生きていけるんだ。だがそういうものはカウントしない。
 野菜は自給自足率から、長らく無視され続けているわけさ』

この二点を頭にいれ、茂樹が語る農業生産額を考慮すれば、日本は立派な農業国とも云えるらしい。
『日本の国内農業生産額はおよそ8兆円ある。2000年代に入って大体この辺りを推移している。
 これは一位の中国、二位にアメリカ、三位がインド、四位のブラジルに次いで、世界第五位だ。
 アメリカの国内農業生産額が17兆円。日本はその47%ということになるが、そもそも日本の人口は一億
 二千万強で、アメリカの4割しかいない。この40%の人口で47%の農業生産額をたたき出してるんだ。
 割合でいったらアメリカ以上といってもいい。どうだ、大した農業大国だとは思わないか』

だが、農政について門外漢の私からみても、この説には多少の無理があるように感じられる。
飢え死にしない程度の食事というのを最低ラインにすれば問題ないかもしれないが、今更天ぷらうどんのない昼食は考えにくい。エビ天は諦めろ、という意見もあるだろうが、そもそも出し汁の醤油はほぼ100%輸入に頼っている大豆が原材料だし、うどんの小麦粉も限りなく輸入に頼っている。
これを一気に国産で賄えるようにするのは無理だ、かといって、麺類が一切ない昼食も寂し過ぎる。

国産飼料を使った国産畜産物には賛成だが、これも価格という点で難しいのは、TPPの交渉で一番難航しているのがこの分野であることを見れば容易に分かる。

茂樹は「日本の農業生産額は世界5位」と胸をはるが、農業生産量と農業生産額とは違うわけで、それこそ数字のマジックに誤魔化されている感じもする。

しかし、一つ、たった今から誰でもが実践できることが書かれていた。
それは、残飯を出さないこと。
『贅沢に慣れきった日本人は、作りすぎて余ったり、食べ残したものを毎年、大量に廃棄している。その総量およそ1900万トン。日本の農作物輸入量が、およそ5500万トンだから、その約三割に相当する量を捨てていることになる。また世界でなされている食糧援助が、約600万トン。なんとその三倍以上を、日本人は口にすることなく、毎年捨てているんだ・・・・・』

残飯として捨てるものを輸入しなければ、それだけでも自給率は上がるし、何より食べ物を無駄にすることにならない。
情けないが、すぐには今の食生活を切り替える勇気がないので、せめて食べ残しなどで廃棄する食べ物をつくらないよう心がけようと思っている。

ところで、皇太子ご夫妻は農業にかかわる公務を大切にされている。
皇太子様は「時代に即した公務の在り方」について問題提起されているが、それは冬季国体が開催地選定の困難さと財政の問題から、開会式への皇族殿下の御臨席を拒む事態となった経緯や、御自身が臨席されていた農業青年交換大会もまた財政難で維持が困難だということを十分御存知であったからだと思われる。
その後、冬季国体への皇族殿下の御臨席はなくなったが、農業青年交換大会から形式をかえた「全国農業担い手サミット」に、皇太子殿下は毎年変わらず御臨席されている。
ここに皇太子ご夫妻の農業を大切に思われる御心が現れていると思うのだ。
何で読んだか記憶が曖昧だが、雅子妃殿下は全国障害者スポーツ大会と農業青年交換大会を大切な公務とされているが、それは他の式典での公務が一回きりの関係性になりがちなのに対して、この二つの式典公務では毎年同じ人々に会い、その人々が前回から更に頑張ってこられた姿やお話に接することができるからだ、と読んだ記憶がある。つまり雅子妃殿下は、障害を抱える人、あるいは日々農業に精進する人々の話に真剣に耳を傾け、その人々を応援し、更にはそういった人々を支える制度を重要だと考えておられるからこそ、これらの公務を大切にされているのだと思われる。
そして、その御心は敬宮様にも受け継がれていると思う。
敬宮様は、皇居にあがられるときには、赤坂御用地の庭で育てた花や野菜を持参されると伝えられている。
御自分が大切に世話をしてきた花や野菜を大切な人に届けたいという気持ちは、農業で一番大切なことであり、国を想ううえでも一番大切なことだと思われる。

国を想う時、原風景となる景色があるだろうが、「あぐもぐ」の茂樹社長は穂高村の景観を守るためにも、田畑を生かそうとする。
現在は穂高村は存在しないが、「幸せの条件」で『あの人は、とにかくこの穂高村の、農村としての景観を守りたいっていって、休耕田をなくすためにいろいろ手を尽くしているの。』というセリフを読んだとき、思い浮かべた風景があり、それは私にとっても大切な心の原風景でもある。


春 水田にうつる北アルプス




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