何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

祝号外 通過点としての偉業

2016-06-16 12:55:51 | ニュース
イチローの偉業達成間近と知ってか、学校から借りてきたらしきイチロー本が置いてある。置いてあるだけで読んで無さそうなところが筋肉頭らしいが、せっかくなので私が読んでみた。

「Ichiro イチロ― 努力の天才バッター」(高橋寿夫)
本書は旺文社の「素顔の勇者たちシリーズ」の一冊のようで対象年齢は、小学校中学年といったところか。
初版の年が記されていないので正確なところは分からないが、「この本に出てくる所属チーム名およびデータ等は、2000年7月現在のものです」とあるので、200本安打をたたき出し7年連続首位打者を守っていたイチローのシアトル・マリナーズへの移籍(2000年11月)決定を機に出版されたものだと思われる。

「甲子園に二回出場したものの一回戦で敗れたために、あまり注目されていなかった頃から応援している。高校球児だったイチローが載っている当時の雑誌の切り抜きも持っている」と自慢する甲子園ウォッチャーの友人がいるが、一般的には甲子園で活躍するイチローの姿も、ドラフトで指名され喜ぶ姿もあまり知られてはいない。
それが、偉業を成し遂げたにもかかわらず淡々としている今のイチローの想いにも繋がっているのかもしれない。

イチロー最多安打>悔しさが挑戦の原点「人に笑われて」> 毎日新聞 6月16日(木)12時16分配信より一部引用
42歳のベテランが新たな勲章を手にした。米大リーグ、マーリンズのイチロー外野手(本名・鈴木一朗)が15日、パドレス戦の九回に二塁打を放って、ピート・ローズ氏が持つ大リーグ記録の通算4256安打を日米通算で上回った。球場の大型ビジョンで記録更新が紹介され、観衆やチームメートから拍手や歓声を浴びると、イチロー選手は二塁後方に立ち、表情は緩めなかったがヘルメットを脱いで祝福に応えた。
「日米合わせた数字ということで、どうしたってケチがつくのは分かっていた」とイチロー選手。数日前、米メディアが、ローズ氏がイチロー選手の日米通算安打について「日本では私を安打の(キングから)クイーンにしようとしている」と発言したと報道。それをイチロー選手も知っていたようで、「ローズが喜んでくれていたら全然違うんですよ。でもそうじゃないというふうに聞いているので、だから僕も興味がないというか」と語った。
華々しい記録がクローズアップされるイチロー選手だが、「子どもの頃から人に笑われてきたことを常に達成しているという自負がある」と明かす。小学生の頃、プロ野球選手になる夢を抱き、毎日コツコツ練習を重ねてきたが、周囲からは「あいつ、プロ野球選手になるのか」と笑われたという。それでも愛知・愛工大名電高で甲子園に出場し、1991年にドラフト4位でオリックスから指名を受けると、94年にプロ野球史上初のシーズン200安打以上を達成するなど一気にスターの座に駆け上がった。
2001年に大リーグへ移った時は「首位打者になってみたい」と目標を掲げたが、周りで真に受ける人は誰もいなかったと感じた。そこからメジャー1年目で首位打者を獲得。04年には262安打を放ちシーズン最多安打を84年ぶりに更新と、活躍を続けてきた。
偉大な記録を達成した試合後に、大リーグだけで通算4256安打を超える可能性について問われた。すると「常に人に笑われてきた悔しい歴史が、僕の中にあるので。これからもそれをクリアしていきたいという思いはもちろん、あります」と語った。「50歳で現役」という高いハードルにも挑むことを公言しているイチロー選手。その言葉を、もう笑う者はいない。
http://mainichi.jp/articles/20160616/k00/00e/050/225000c

イチローという名が世に知られるようになった頃には、記録・偉業達成マシーンのような印象さえあったイチローからは、「常に人に笑われてきた悔しい歴史が、僕の中にあるので」という言葉がピンとこないので、そのあたりに注意して「イチロー努力の天才バッター」を読み返してみた。
(注、『  』「Ichiro イチロ― 努力の天才バッター」(高橋寿夫)より引用)

『イチローが生まれた日、1973年10月22日は、日本プロ野球史上に輝く大記録が達成された日だった。野球好きの大人なら、「ああ、あの日か」とニヤリとするに違いない』と本書にある。当のイチローは愛知県民らしくドラフトの際には中日を希望していたとも書かれているが、あの日とはつまり、巨人が9年連続のリーグ優勝「Ⅴ9」を成し遂げた日のことであり、それ故にイチローは「野球の申し子」と運命づけられていたのかもしれない、と高橋氏は書いている。
そんなイチローは三歳にして出会ったボールと赤い革グローブをどんなオモチャより気に入り、何処へ行くにも手放さないほどだったという。
小学校へあがる頃にはルールもすべて覚え地元の野球チームに入ったが、日曜だけの練習では物足りず、毎日三時間父と練習し続けた成果が実り小6では「全国スポーツ少年団軟式野球交流大会」に愛知県代表として出場しベスト8にまで進んだ、その頃にイチローが書いた作文に、今に至る軌跡が伺える。

『僕の夢は一流のプロ野球選手になることです。そのためには、中学、高校で全国大会へ出て、活躍しなければなりません。活躍できるようになるには練習が必要です。僕はその練習には自信があります。僕は三歳のときから練習を始めています。三年生の時から今までは、365日中360日は激しい練習をやっています。だから一週間中、友達と遊べる時間は5~6時間の間です。そんなに練習をやっているんだから必ずプロの選手になれると思います』
『そして僕が一流の選手になって試合に出られるようになったら、お世話になった人に招待券を配って応援してもらうのも夢の一つです。』

この作文だけを読めば、絶対の練習量に絶対の自信をもっている自信家の少年に思えるが、本書には「イチローは小柄で華奢な体格を気にして、嫌いな牛乳を毎日1リットル飲み続けていた」とも書かれている。大体において男子は誰でも背丈や体格をにするものだが、スポーツに打ち込む男子は特にそれに適した体格を持つことに強く拘ることを考えれば、イチローのいう「常に人に笑われてきた悔しい歴史」には、大柄な選手に交じりながらも努力を頼りに頑張っていた小柄で華奢な少年の日々の記憶もあるのかもしれない。

イチローはインタビューなどで「好きな言葉は?」と問われると、「継続は力なり」と答えるそうだが、小6にして「練習には自信があります」というほどの努力を継続し続けてきての数々の偉業だと知ると、その言葉は更に重みをましてくる。

この偉業をも通過点と捉えているイチローに倣って?、私のイチロー物語も続く・・・・・