何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

睡蓮を頭にのせて尺八に酔う

2016-06-20 09:51:25 | ひとりごと
ここ数日、睡蓮の蕾がぷっくり膨らんできたので、今か今かと待っていたが、晴れ間が少ないからか気温が低いからか、なかなか咲かないでいた。
それが今朝、淡い桃色ながら鮮やかな色合いの花びらが見事に開いた。

ワンコの仕業だな。
ワンコが天使になって、五か月たった今朝、お釈迦様がお座りになる蓮ではないけれど、睡蓮が咲いた。
お釈迦様ならぬワンコは、蓮に座るというより、蓮華を頭にした不動明王ばりに睡蓮の花をチンと頭にのせて、家族が鬱々と悩まぬように見張ってくれているだろうな ワンコ

家族の誰かが毎週ワンコ聖地へお参りしているとはいえ、忙しさにかまけて二週間ほどお参りできてない私を許しておくれよ ワンコ

でも、つい最近読んだ本にもワンコを感じて、ワンコがうっとり聴いていた「巣鶴鈴慕」を久しぶりに聴いたよ。
「辛夷の花」(葉室麟)
この本の内容については、自分的に関連書籍と判断したものを何冊か読んだので、それらと併せていずれ書くことがあるかもしれないけれど、とにかく「辛夷の花」にワンコが好きだった「巣鶴鈴慕」がでてきたんだよ。

御大の尺八には、目(耳)もくれぬワンコが、人間国宝の山口五郎氏の「巣鶴鈴慕」と山口五郎氏と青木鈴慕氏の「鹿の遠音」はうっとりして聴いていたね。(参照、「ワンコの愛その2」
はっきり言って、御大は自分の未熟さをまざまざと突き付けられ、傷ついていたよ ワンコ
でも、ワンコのおかげで虚無僧と琴古流についての記載を注意して読んだため、若い頃に都山流を修めた御大が、虚無僧にこだわり琴古流を学びなおした理由も、少し分かった気がしたよ。

「家老たちの悪事を暴いた証文を江戸に届けよ」という主君の命を受け江戸に向かう武士が、刺客の目を逃れるために虚無僧に扮する場面があるんだよ。 (『 』「辛夷の花」より引用)
『虚無僧とは禅宗の一派である普化宗の僧のことだ。筒形の深網笠をかぶり袈裟をかけ、刀を帯した。尺八を吹き喜捨を請いながら諸国を行脚修行した有髪の僧だ。
罪を犯した武士は普化宗の僧となれば、刑をまぬがれ保護されたというから、主家を追われたり、仇討の旅をする武士が虚無僧となることがあった』
大小を尺八に持ち替えねばならぬ武士が修行したのが、西は妙心寺、東は鈴法寺だったという・・・・・

刺客の目を逃れるために虚無僧に扮した武士・半五郎が生きながらえ帰郷したとき、隣家の出戻り志桜里に聴かせるのが、琴古流本曲「巣鶴鈴慕」なのだけど、半五郎が命がけの旅にでる前に志桜里に届ける和歌も心にしみたよ。

『時しあれば こぶしの花もひらきけり 君がにぎれる手のかかれかし』

『時がいたれば、蕾の頃は人の握り拳のような形をしていた辛夷の花も開く、あなたの握った手も開いて欲しい、かたくなになって閉じている心を開いて欲しい』という和歌は、解釈的にも設定的にも秘めたる恋を詠ったものだと思うのだけど、良くて「直向」どうかすると「頑固者」、悪くすると「意固地」と云われる私には、この歌がワンコからの贈り物に思えたよ。

頑なで頑固で意固地なために勝手に視野を狭めている私に、「心を開けよ」という、ワンコからのメッセージに思えたよ。

ワンコと約束した犬星(参照、「星は、朝づつ、犬星」 「ウンがついている」
今は見えないけれど、夏休みに満天の星空に燦然と輝く犬星を見上げる計画を立てているよ ワンコ
最近、家でまったり寛いでいるワンコを感じるのだけど、約束の場所で約束の星に逢う計画を立てているから
待っていておくれよ ワンコ

あちらの世界で山口五郎氏の生演奏を聴いているかもしれないけれど、今日は一緒に「巣鶴鈴慕」を聴こうよ ワンコ