何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

その日はいつか

2016-06-18 10:01:25 | 
イチローの快挙に一時元気をもらったが、株に為替に政治にと現実を見ると、またグロッキーに引き戻された。

三冊の本を一気に読んでグロッキーになっていたと書いていたが、そのうちの一冊が「この日のために」(幸田真音)だ。(参照、「グロッキーに勝つ’’愛’’」

上下巻の帯には、こう記されている。
(上)『逆境をバネに大事業に挑んだ二人の男!   広島県の造り酒屋に生まれた池田勇人は、大蔵省に入って5年目に全身から膿が吹き出す「落葉状天疱瘡」という難病に罹り、生死をさまよう闘病の中で退転を余儀なくされた。絶望の底に叩きつけられた池田だったが、奇跡的に同省へ復職、仕事ぶりの卓抜さから、主税局長、次官と上り詰めたのち、政治の世界へと身を投じる。時を同じくして、朝日新聞政治部の記者で水泳指導者としても活動する田畑政治は、幻となったオリンピックを再び東京で開催しようと動き始める―。』
(下)『五輪に託した夢があった!   政治家に転身した池田勇人は着実に要職を踏み、ついに首相に就任。東京オリンピック開催準備の政府責任者として、首都大改造、東海道新幹線の建設などを指揮、経済成長を牽引する。しかし、開催直前、病魔が池田を襲う。一方、東京五輪決定を機に組織委員会事務総長に就任した元朝日新聞記者の田畑政治は、突如湧き起った責任問題で事務総長辞任に追い込まれてしまう。「記憶に残る大会に」「経済成長に弾みを」……。それぞれの理想を掲げて奔走した二人。そしてついに「この日」は訪れた―。』

幻に終わった戦前の東京オリンピックから招致活動に関わっていた朝日新聞記者と、もはや戦後ではない日本を世界に強烈に示すための東京オリンピックを政府主導で見事成功させた’’時’’の首相の物語を読んで、なぜにグロッキーになるのか。
それは、「バラカ」(桐野夏生)で原発事故をはじめとする究極の状況下での人間性の荒廃を、「この日のために」で終戦直後の経済的混乱を、「ミッション建国」(楡周平)で日本の絶望的な未来を読んだからに他ならない。
おそらく別々に読めばまた違った感想があったのだろうが、これを同時に読んだため、それぞれの「負」の部分だけが強烈に印象に残ってしまったのだ。

現代史に疎いせいで池田隼人というと「貧乏人は麦飯を食え」発言しか印象になかったが、「この日のために」を嬉々として貸してくれた本仲間は、池田隼人の偉大さと恩恵を身に沁みて感じている世代の人ではあった。
戦後直後から吉田茂の片腕として活躍した池田隼人は、英語に通じる宮沢喜一を引き連れアメリカにわたり日本の国際通貨基金 (IMF)加盟、国際復興開発銀行(世界銀行)加入を要請し、国内にあっては現在の金融システムの基礎を構築した。
本書を貸してくれた本仲間は私よりもはるかに年輩で、池田隼人主導による政府系金融機関の融資により基幹産業が復活し、神武景気・岩井戸景気につづく伊弉諾(いざなぎ)景気の空気を知っている人であったため、古き良き時代が懐かしかったのかもしれないが、こちとらバブル崩壊後の失われた20年に首までドップリ浸かり弱りきっている世代であるので、終戦直後の混乱をイケイケドンドンで乗り切った話を読んでも今一つ、ピンとこない。それよりもむしろ、現在と同じく膨大な国債残高を抱えていた国が戦後の混乱のどさくさに紛れていかに償還したかの方が気になり、そこに注目して読んだためにグロッキーとなってしまったのだ。

『  』は「この日のために」より引用
日本に対してGHQが執った占領政策の大きな柱は、二度と戦争など始めないよう日本を非軍事国家にすること、そして、民主国家に生まれ変わらせることだった。そのこともあって、徴税の面では、「戦時補償特別税(政府補償の打ち切り)」と「財産税」の創設という、かなり強引な主張をしている。
それは、軍需産業などというものは、リスクが大きいものだ、儲かる仕事ではないのだ、日本企業は二度とそんなものに手を染めるなと、肝に銘じさせるという見せしめや懲罰的な意図もGHQにはあったに違いない。
だから、これに日本政府が「要綱」を作成し、必死で折衝に臨んでも、なすすべがなかった。
これに対して、池田は唾を飛ばさんばかりの勢いで反発した。
『ここまで過酷な課税は世界中でも聞いたことがありません。個人の財産の九割を取ってしまえなんて、これでは税金ではなくて泥棒だ。盗人ですよ』
しかし、この泥棒を正当化するための法律を作らなければ、GHQへの反抗だとして収監されるのだ。
『かくして、過去に例のない大規模課税として、一回限りの大増税を実施することが決まった。つまり、「財産税」の課税が避けられなくなったのである。対象は現預金や保険、株式、国債といった金融資産を中心に、動産・不動産までを含む。課税対象の財産総額は、同じ年の一般会計予算にも匹敵する巨額なものとなった、税率は二五パーセントから14段階で、最高はなんと90パーセント。貧富の区別なしに、万民から天皇まで、納税義務を負わせるものだった。
それを原資として、国債のできるかぎりの償還を行おうというのだ。無節操に膨らませつづけた国債残高を、ここで可能な限り削減しようと意図した奇策であった。
言い換えれば、国の借金のツケを国民に負わせた、まさに究極の国内債務不履行(デフォルト)と呼ぶべきだろうか。
だが、この財産税法案を通しただけで、すべてが収まったわけではなかった。
国民にもっと厳しいツケを回す施策となったのは、インフレ対策という名目のもと、これに先んじて、翌昭和21年2月16日に国民に向けて突如言い渡された、銀行預金の引き出し制限、つまりは「預金封鎖」。そして、同時に施行された、理不尽とも言える「新円切り替え」があった。』

勿論これほどの荒業を経てGDP世界第二位の国にまで成長するのだから、素直に感動に浸って読んでおればよいのだが、併せて「ミッション建国」(楡周平)・「バラカ」(桐野夏生)を読んだのが、いけなかった。
戦後復興期には「この日のために」で活躍する吉田茂や池田隼人をはじめとして綺羅星の如く力強い指導者たちがいた。だが、「ミッション」には指導者どころか超少子高齢化のため国の存続が危ぶまれるほどの人口減少問題が描かれているし、「バラカ」には原発事故などで国土と人心が荒廃する様が描かれおり、今の私には、味わったことのない高度成長期の高揚よりも、悲壮観漂う悲観的観測の方がよほど現実味があるのだ。

よって、グロッキーは続いている。

グロッキー話もつづく。

追記 
今日6月18日はブログを始めて500日目の日らしい。
そうと知らずに、500日目の話に「その日はいつか」という題名をつけたことに、何とはなしに何かを感じてる・・・というだけの追記