何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

甦る魂

2015-04-11 19:40:37 | ひとりごと
<液体被害>新たな被害確認 6府県23カ所に> 4月10日(金)21時15分配信 毎日新聞より一部引用
世界遺産から各地の寺社まで 文化財保護法違反容疑で捜査
寺社などで油のような液体がまかれる被害が相次いでいる事件で、奈良県や京都府、静岡県、千葉県でも10日、新たに被害が確認された。被害を受けたのは6府県23カ所になった。各県警は、それぞれの被害に関し、文化財保護法違反などの疑いで捜査している。


許しがたい事件が続いている。

建造物と人間の美醜の狭間を描いた「金閣寺」(三島由紀夫)のような理由であっても理解できないが、現在進行形のそれは、幼稚な現代を象徴しているような気がする。

被害にあった場所のほとんどは訪れたことはないが、本を通じて強く心惹かれる場所がある。
そこに油だかヘアートニックだかを撒くとは。

修復に難儀するという油が「した した した」と沁み込み、嫌な臭いが辺りに満るとき、彼の人の眠りは、徐かに覚めてくるかもしれない。

彼の人を巌の下に眠らせた人。
父が祖父を討ったため気がふれてしまった母をもち、
幼い日に憧れた人は、討たれまいと狂人のフリをするが、父によって絞首刑とされる。
自らはといえば、相手に狂人のフリをする隙も与えず、謀反の咎で自害に追いやる。

気がふれるか、気がふれたフリをしなければ命が危ない時代に、あまりに秀外恵中で狂人のフリをすることも出来ないままに、自害して果てるしかなかった彼の人の魂は、
高貴な姉が 「磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど 見すべき君がありと言はなくに」 と泣きくれるのを、半分溶けかかった骸となって聞いていた。
そこへ、した した した 
時がたった。

した した した 耳に伝うように来る油の垂れる音か臭いに呼び覚まされる。

国宝、世界遺産、重要文化財
なんであろうと、徐かに眠る魂と祈りが宿っている。
幼稚な時代の幼稚な所業で眠りから覚めた魂が、この時代をどう見るのか、庭の馬酔木の白い花房から した した した と垂れる菜種梅雨の雨粒を見て考えている。


馬酔木 花言葉 犠牲・清純な心


ところで、かの地の一角に四季折々の庭が楽しめる花の院があるのだが、そこに皇太子様が訪問された記念の石碑があるという。


写真出典 ウィキペディア

忠・命(倫理)絆一合 

2015-04-08 20:53:28 | ひとりごと
4月8日、今日は何の日と問われれば「お釈迦様の誕生を祝う花祭り」と答えるのが正解なのだろうが、犬好きの自分としては「忠犬ハチ公の日」もあげたい。

何故に4月8日が「忠犬ハチ公の日」なのかは謎なのだが、ハチ公といえば、ハチ公の没後80年にあたる先月3月8日、東大でハチ公と上野博士の像の除幕式があったとニュースになったばかりだ。

<ハチ公が博士と「再会」 死後80年、東大にブロンズ像> 2015年3月8日18時42分 朝日新聞より一部引用
忠犬ハチ公が、ご主人に再会――。そんな光景をかたどったブロンズ像(高さ約1・9メートル、重さ約280キロ)がハチ公の死後80年となる8日、東京大学農学部(東京都文京区)の正門近くの敷地内に建てられた。
 飼い主の上野英三郎博士は旧東京帝大教授の農業土木学者。博士が1925年に急死した後もハチ公は約10年間、東京・渋谷駅に通って帰りを待ち続けたとされ、同駅前には1頭だけで座るハチ公像がつくられた。ハチ公を再び上野博士と一緒にさせてあげようと、東大の教員が像づくりを計画し、個人や企業から1千万円以上の寄付を集めた。


写真出典 東大ハチ公物語~ハチ公と上野英三郎博士の像を東大に作る会~
http://www.en.a.u-tokyo.ac.jp/hachi_ueno_hp/hp/photo.htm

犬関連の本は読み漁っているのだが、犬好きゆえに却って「この一冊!」をあげることはできない。
「忠犬ハチ公の日」なので、そのものズバリ「いとしの犬ハチ」(いもとようこ) 「Hachiko 」(Pamela・S.Turner)を読み返してみた。
忠犬ハチ公の賢さや、記念日ができ像が立つほど愛される所以は改めて書く必要もないほど有名なので控えるが、東大農学部が制作した
ハチの表情が素晴らしいことは一言書いておきたい。

このハチの表情を見れば、この像を制作した人々のハチ公に対する限りない愛情が感じられる。

このような眼差しを感じ取ることができる研究者が、我が国の最高学府の頂点にいてくれるのが嬉しい。

医学部と農学部とが違うのは先刻承知だが、まだ臓器移植法案の制定が取りざたされていた頃、先を競って実績をつくろうとする流れに対し、東大医学部は生命倫理の委員会を立ち上げ、哲学的分野の意見なども参考にしながら性急ではなく地道な検討を続けていた印象がある。
医学の進歩は素晴らしいし、それで助かる命は尊いので臓器移植に反対ではなかったが、功を競ったかのように実績を積み重ねようという流れには違和感を感じていた。命を議論するにあたり論点となるのが医療技術の進歩だけで良いのかと。
そんな疑問も持っていたので、東大医学部の生命倫理委員会が臓器移植を検討するのあたり意見を求めた関係各方面の面々は、命を議論するに相応しいという安心感を与えた’印象’があったのだ。これは医学部の’印象’であるし、どこにでも論語読みの論語知らずというのはいるもので、その周辺をうろついているからといって、倫理観のある行動をとることができるかは別の問題ではあるが。

命に直接関わる分野の人間には、命に対して限りない愛情を根底に持っていて欲しいと、東大が没後80年経って飼い主とハチ公再会させたことやハチ公の優しい眼差しを見て思う、「忠犬ハチ公」の日であった。



ところで、2009年に公開された HACHI 約束の犬(リチャード・ギア主演)を皇太子御一家は御覧になっている。

皇太子御一家は涙をぬぐいながら御覧になったそうだが、この映画鑑賞の半年ほど前には愛犬まりを、映画鑑賞の一月後には愛犬ピッピを見送っておられるので、命について感じられるところは大きかったのだと思われる。
又、皇太子御一家は捨て犬や迷い犬ばかりを保護して大切に飼われているので、人間と生き物の絆についても深いお考えをお持ちなのだと思われる。
このような皇太子ご夫妻が命をありのままに尊重されていることは、皇太子ご夫妻が皇位継承を大切に考えながらも性別選択をされなかったという御姿勢や、敬宮愛子内親王の御誕生にあたり行われた会見で雅子妃殿下が涙を浮かべながら命の誕生について語られたことに示されている。

平成14年4月2日会見より
無事に出産できましたときには,ほっといたしますと同時に,初めて私の胸元に連れてこられる生まれたての子供の姿を見て,本当に生まれてきてありがとうという気持ちで一杯になりました。今でも,その光景は,はっきりと目に焼き付いております。生命の誕生,初めておなかの中に小さな生命が宿って,育まれて,そして時が満ちると持てるだけの力を持って誕生してくる,そして,外の世界での営みを始めるということは,なんて神秘的で素晴らしいことなのかということを実感いたしました。

命をあるがままに愛おしみ尊重される皇太子ご夫妻の御姿勢を信じている。


ところで、ハチの飼い主上野博士と雅子妃殿下の御親戚は当時ご近所にお住まいであったと何かで紹介されていた記憶があるが、今検索すると当該記事が出てこないことからすると、何か記憶違いだろうか?


自然へ向かう心

2015-04-06 22:58:39 | 自然
学生時代に「森の生活 ウォールデン」(ヘンリーDソロー)を愛読していた時期がある。

大学受験のために皆が街中の予備校の夏季講習へ行くところを、自分は山奥での講習(合宿)に参加させてもらった。
たった3週間ほどとはいえ、初めて家族と離れて、見知らぬ山奥で過す一夏。
新聞もテレビもなく、休憩時間には本を読むか、同じ目標をもつ者同士で夢を語り合うしかないという、ニュースから隔絶された場所で過している3週間の間には、世界を揺るがす出来事が起こっていたのだと、帰宅して初めて知った驚き。
この経験が、自分の中の何かを変えたと感じていたので、その後の学生時代に「森の生活」を愛読したのは必然であったともいえる。

ハーバード大学で学んだソローは森へ行って自給自足の生活を送る時期があり、その経験の集大成が「森の生活」である。

数ページごとに心を打つ言葉に出会うが、その幾つかを記してみる。

私が森に往ったわけは、私が慎重に生きようと欲し、人生の根本的な事実にのみ対面し、それが教えようと持っているものを私が学ぶことが出来ないものかどうか知ろうと欲し、私がいよいよ死ぬ時に、自分は生きなかったということを発見することがないように欲したからである。
私は人生でないものを生きるのを欲しなかった。

完全自給自足の生活で人間の衣食住や孤独を見つめ直し、森を去る時に得た結論も印象深い。

もし人が自分の夢の方向に自信をもって進み、そして自分が想像した生活を生きようと努めるならば、彼は平生には予想も出来なかったほどの成功にであうであろう。
~中略~
 生活を単純化するにつれて、宇宙の法則はより少なく複雑に見え、孤独は孤独でなく、貧困は貧困でなく、弱さは弱さでなくなるであろう。
 もし君が空中の楼閣を築いたとしても、君の仕事は失敗するとはかぎらない。楼閣はそこにあるべきものなのだ。今度は土台をその下に挿し込めば良い。

ソローも 他に生きるべき幾つかの別の生活があって、そこの(森の)生活にはこれ以上時間をさくことができなくなり、人間生活に戻ってくるが、凡人である自分には最初から「森の生活」など出来るはずもない。
しばらくは浮世をあくせく東奔西走していたが、検視官シリーズの主人公ドクタースカーペッタが超多忙ななか庭仕事に精をだすのを読んで、庭いじりに関心をもち、「森の生活」とまでいかないものの「庭の生活」を楽しむようになった。

庭をウロウロしていると、自分好みの庭を作っているようで、人間も命の営みのごく一部でしかないと分かり、それが嬉しく感じられるときがあるが、それを言葉で教えてくれたのが「庭仕事の愉しみ」(ヘルマン・ヘッセ)だ。

一区画の土地に責任を持つ 園芸は、不思議な感動をもたらす。わずかばかりの土地に、自分の意思で好きな野菜や果実を植え、好きな色と香りをつくることが出来るという創造の喜びと、創造者の思い上がりを教えてくれる。
ヘッセはいう 結局のところ私達は、どんなに欲張っても、想像力を働かせても、やはり自然が望むところのものを望まざるを得ず、自然に想像させ、自然に任せるほかはない。

四季を通じて自然に接していると自然のサイクルが感じられるが、それが猫の額ほどであれば尚更はっきりと見えてくるものがある。
数か月のあいだに、さまざまな生き物が花壇の中で成長し、繁栄を誇り、生きて、枯れて、死んでいく
(死んでいった植物や台所の生ごみから作られた堆肥である) 塵芥と屍の中から新たな若芽、若枝が伸びてくる。腐敗し分解されたものが、力強く、新しい、美しい、多彩な姿になって甦ってくるのだ。そして、この単純で確実な循環全体が、どんな小さな庭でも、ひそかに、すみやかに、まぎれもなく進行している。 
この循環について人間は難しいことを考えて、すべての宗教はこれを畏敬をこめて解釈している、とヘッセは語っている。

そして、この循環のなかに身をおく土と植物を相手にする仕事は、迷走するのと同じように、魂を解放し、休養させてくれます。とも語っている。



長々と私の「庭いじりの愉しみ」を書きながら、皇太子御一家と自然について考えていた。

学習院での皇太子様のあだ名は「じい」であったと何かで読んだが、その理由は、樹木を御覧になっていた皇太子様がしみじみと「いい枝振りだな」とおっしゃったからだという。

おそらく本職の庭師が庭をつくる東宮御所では、浩宮様が四季折々に好きな花を植えたり、木を好みの姿に剪定したりという自由はお持ちではなかったと思われる。広大な敷地にあって、一区画の土地に責任を持つという園芸の楽しみ自由はお持ちではなかったかもしれないが、じっくりと庭を御覧になるなかで、命の循環のなかの一部である御自分という感覚は感じておられたのではないだろうか。

皇太子様の精神力の強さとしなやかさについて感嘆の思いを抱くとき、それは何所からくるのかと考えるのだが、
皇太子様の御歌 「頂きに たどる尾根道ふりかへり わがかさね来し 歩み思へり」 を思い出し、登山という自然の直中に身をおく時間が果たしている役割は大きいのではないかと、考えている。

ソローも語っている。
自然のただなかに住み、まだ感覚を失っていない人間にとっては非常に暗い憂鬱症はあり得ない。


お心がお疲れの雅子妃殿下を癒しているのも、自然なのだと思う。
お誕生日の会見が行われていた頃には毎年のように、自然のなかで過す喜びを語られている。大いなる自然をもってしても、雅子妃殿下のお心が病むのを防ぐことが出来ないほどのストレスに遭われたのだと思うと心が痛むが、今も雅子妃殿下を支えているのは自然の中で過ごされる時間なのであろう、雅子妃殿下の御病名が発表されて初のお出かけは那須の御用邸であったし、かつて歌にも詠まれている。

君とゆく 那須の花野にあたらしき 秋草の名を 知りてうれしき


皇太子ご夫妻はただ自然にひたり癒されるのを求めておられるだけではないと思う。

東日本大震災のあと、那須は放射能のホットスポットとして大きく取り上げられた。豊かな自然がかえって放射能を堆積させる原因となってしまったのだという。
那須に住む人、那須で観光業を営む人、皆さん不安が大きかったと思うが、そこへ皇太子ご夫妻はまだ小学生の敬宮愛子様をともなって、
例年通り長期滞在をされたのだ。

ホットスポットと伝えられるやキャンセルが続出した中で、皇太子御一家が例年と変わらず那須を訪問されたことは、那須の人々を勇気づけたと伝えられた。

皇太子ご夫妻が那須のホットスポットをご存知なかったはずがない。
しかし、那須という自然の一部である人々を勇気づけるため、そして、どんな時も元気をくれる那須の自然に感謝を示すために、
例年通り那須を訪問されたのだと思っている。

恵みと同時に厳しさも引き受ける、それが自然の中に身を置くということ、自然の循環のなかに入っていくということ

皇太子御一家が大切だと思われる日本の自然が守られていくことを願っている。

庭いじりの愉しみ~あいこまち

2015-04-05 17:00:07 | 自然
「庭いじりの愉しみ」

これはヘルマン・ヘッセの 「庭仕事の愉しみ」の捩り。

庭仕事というほど御大層な庭ではないので、庭いじり。

週末は雨だと「よそうはうそよ」(2/18)が言っていたが、今回は良い意味でハズレたおかげで、冬じまいと夏野菜へ向けた土の準備に精を出していた。

いつのことだったか、都会のアナウンサーが田舎暮らしを訪問するという番組で、企業戦士から農業に転身した人にインタビューをしていた。
アナウンサーはしきりに 「時間に追われない生活は良いですね」 「いつ何をするか、しないか自分次第で決められる自由な生活は良いですね」 「今日しなくても明日でもよい。毎日が日曜日」と言っていたが、経験がないというか物を知らないというのは恥かしい。

元企業戦士は、さすがに大人で憮然とするだけで反論はされなかったが、テレビの前の自分の方が「それは違う」と画面に向かって言っていた。
おそらく農業ほど、時間(タイミング)に追われて自由が効かない仕事もないのではないかと、たかが猫の額ほどの庭で家庭菜園をする身でも思い知らされているからだ。

例えば今頃の時期には、花水木や満天星ツツジの新芽が膨らんできて、植えっぱなしの水仙やムスカリがそこかしこで咲いている。
季節がめぐれば、時期を間違えることなく新芽をだし花を咲かせる神秘は季節ごとに感じるが、その自然のサイクルをこちら側がお手伝いさせてもらうのが「庭いじりの愉しみ」だ。
目に楽しい花は、きちんと花がらを摘んでやらないと木草が痛むし、肥料をやるタイミングも大切だ。
これから植える夏野菜のために、冬の間に生ごみ堆肥を作ったり、石灰を撒いて土の酸性度を変えたり、連作を嫌う作物の土の準備をしたりという作業もあるが、たかが猫の額ほどの家庭菜園でも、天気を見ながらタイミングを外さずしなければならない。
それは愉しみではあるが、向こうさんが時期を間違えずに新芽をだし花を咲かせるだけに、こちら側も時期をずらすわけにはいかない。

これが農業になると、さらに大変だというのは容易に想像できる。
適した時期に種を蒔き苗を植えるための準備は、事前にしておかなければ、適した時期はアッという間に過ぎてしまう。成長するにつれ、脇芽を摘んだり支柱を立てたり土寄せをしたりと日ごとに作業は増えてくる。農家でない自分には、これくらいの作業しか思い浮かばないが、とにかく農家のそれは、苗をポットから出して、ちょっと植え付け、朝夕「ロハス」とか言いながら水やりをして「ハイ、収穫」とはいかないのだ。

少々体調が悪かろうが、他に用事があろうが、お天道様も植物も待ってはくれない。
お天道様に従って、一時の適時も見逃さすに作業に勤しんできた農耕民族だからこその、日本人の勤勉さではないだろうか。

そんなことを思いながら、思いがけない晴れ間を惜しんで週末は、夏野菜へと向けた土いじりをしていた。

そういえば、昨年いつまでもペチュニアが咲いていてくれるので、軒下で保護していたら、ついに越冬して蕾を出している。
ペチュニアは一年草だとばかり思い込んで、いつも初秋にパンジーと植え替えていたが、調べてみると、これは多年草。
今年は二年越しのペチュニアでトレリスボックスを飾ろう、嬉しい発見だ。

こんな庭いじりの愉しみを教えてくれた本や、さつまいもを掲げて弾けんばかりの笑顔で収穫の喜び示された(4歳の誕生日に公開された写真)、豊穣のアルテミス敬宮愛子様を思いながら・・・・・・・つづく


ところで、「あいこまち」という名のサツマイモがあるらしい。
2012年に登録された新品種というから、あのサツマイモを掲げもつ敬宮愛子様のお姿から、実り多い収穫を願ってネーミングされたのかと楽しい想像を働かせている。糖度が高く美味しく、お菓子作りにも向くというが生憎と我が家の猫の額には、サツマイモを植える場所はないが、
いつも愛子様の御活躍を待ち望み応援している

還ってきた理由

2015-04-02 19:24:33 | ひとりごと
昨日は4月1日。

ここで「復活」(トルストイ)から気の利いた話でも書ければ良いが、生憎読んだことがない。
トルストイ「戦争と平和」を読んでから、すっかり敷居が高い作家となってしまった。人間と体制の深淵が格調高い文体で綴られるトルストイの作品であっても、ロシア語の同時通訳者の米原万里氏による訳であれば、ガセネッタとシモネッタがどこかで顔を出してくれ、市井の息遣いが感じられたのではないかと言い訳しながら、世界的文豪の作品を遠ざけている。

何か、復活とか再生とかをイメージできる本はないかと思ったが、思いつかないので、ここへ還ってきたという意味で
「還るべき場所」(笹本稜平)をあげてみる。

本の帯には、「 恋人を奪ったK2。男は過去に立ち向かうため、この山に還ってきた。」とある。

主人公は山で恋人を失って以降は山を避けて生きているが、「人生の壁を1センチたりとも登れない」(友人のセリフ)状態から脱却するために、恋人を奪った山に挑戦する、という話だ。

笹本稜平氏は近年さかんに山岳小説を書いていて、どの作品の山も迫力をもって描写されているが、実はご当人は「本格的な山ヤさんではない」と何かで読んだ。山ヤさんでない作家が書く山岳小説のせいか、山の描写を凌ぐ印象深い人生訓が散りばめられている。

「人間は夢を食って生きる動物だ。
 夢を見る力を失った人生は地獄だ。
 夢はこの世界の不条理を忘れさせてくれる。
 夢はこの世界が生きるに値するものだと信じさせてくれる。
 そうやって自分を騙しおおせて死んでいけたら、それで本望だと私は思っている」・・・・・・・これは帯にも書かれている印象深いセリフ。

「誰もが山に惹かれるわけじゃない。しかし現実の山じゃなくても、誰もが心のなかに山を持っている。それは言葉では定義できないが、どんなに苦しくても、むなしい努力に思えても、人はその頂を極めたいという願望から逃れられない」

「希望は向こうからやってくるとは限らない。迎えに行くのを待っている希望もある。前へ進めば、必ず開ける未来がある。金もなければ才覚もなかったこのわたしが。きょうまで生きながらえてきた唯一の理由は、絶望を禁忌としてきたことだ」

「還るべき場所」 は心に残る名言が多いが、「分水嶺」(笹本稜平)でも主人公の父が「夢」について語っている。
これは図書館で借りて読んだので、正確には覚えてないが、
「人生は奈落の上の綱渡り。」
一定の年齢をこえると、奈落の下が気になってくる。その奈落を見入ってしまわないように、
「自分を騙し続けるために夢や目標がある」

笹本稜平氏の山岳ものを読んでいると、夢や目標は若者の専売特許ばかりではなく、誰にとっても必要なのだと改めて気づかされる。

自分にとっての夢などは改めて書くほどではないが、やりたい放題や言いたい放題の傍若無人が大手を振って練り歩いているせいで、
まともな人間が小さくなって隅の方を歩かされている昨今の風潮に一言いってやりたい、すみっこ暮らしを応援したいと思っている。

「 まともな人間の平穏を奪った現代(情報化)社会。ブログ主は理不尽な世相 に立ち向かうため、このブログに還ってきた」 
と、エイプリルフールの翌日に大見得を切っておこう!