何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

ソロモンの絆

2015-04-16 19:00:00 | 
今日のワンコ。
点滴と抗生物質注射二日目。尿のPH値も菌の数も改善し、ひとまず安心。
あと六日薬を飲んで、全快へGo!


「事実と心をはかる天秤」のつづき。

4月11日「ソロモンの偽証」(原作 宮部みゆき、監督 成島出)の後編が公開になるにあたって、この本の感想を書くか書くまいか迷っていた。
本で読んだ映画は基本見ないことにしているので、見てもいない映画が封切になったとたんに感想を書くのも、なんだかな、と思ったからだ。

原作をどう料理するのかを見るのが面白い、という人もいるが、個人的意見としては原作を超える映画に出会う機会は稀なので、脚本の出来はさておき大スクリーンで景色が楽しめるもの、最近でいうと例えば、「剱岳・点の記」(原作 新田次郎、 監督 木村大作)とか「岳みんなの山」(原作 石塚真一 監督 片山修)は足を運んで観てみたが、「神様のカルテ」(原作 夏川草介、監督 深川栄洋)「阪急電車」(原作有川浩 監督三宅喜重)の類の映画化は原作を気に入っておれば尚の事、映画は観ていない。

其の伝でいけば、「ソロモンの偽証」も観ない映画の範疇なので、公開中に感想を書くのは躊躇われたが、それでも書いてみようと思ったのは、敬宮愛子様の学習院でのチェロの演奏会に感動したからだ。(祝速報4/12)

敬宮様が凛とした姿で真剣にチェロを演奏されている御姿には心を打たれたが、それと同じくらい感動したのが100人はいそうな学習院の演奏者の皆さんだ。

敬宮様の学校生活は、義務教育を受ける児童・生徒の学習権を侵すものではないかというほどに酷いバッシングに遭ってこられた。
敬宮様をバッシングするためならば、学校法人学習院の名誉を棄損することも、上級生や同級生の学校生活に土足で入り込むことも厭わないロクでもない報道姿勢をマスコミは続けてきた。
これは敬宮様の学習権を侵害するだけでなく、学習院で学ぶ他の児童・生徒の権利をも侵害しているが、それにとどまらず、このような子供の学習権侵害が放置されるがままでは、国民の人権意識を著しく低下させ、更には野蛮国だと世界に知らしめることに繋がってしまうのだ。

まして、敬宮様がマスコミがバッシングするような生徒でなければ、どうだろうか。
あれほどのバッシングに遭えば、外に出る(通学)のが怖くなられる日もあったかもしれないが、学校行事の百人一首大会で活躍され仲間とチェロを奏でられる御姿からは、とうていバッシングの内容が真実だとは思えない。

バッシングの内容が、バッシングするが為の嘘であった場合(私は嘘だと思っている)、真実の敬宮様を知っている生徒さん方は、嘘を垂れ流すマスコミとそれを放置する大人を何と思うだろうか。

東宮の唯一のお子様が女子であるという意味。
東宮に世継ぎがいないという意味。
東宮に取って代わりたい勢力がいるという現実。

中学生にもなれば、敬宮様の御学友とて十分理解されることだろう、何故にここまで敬宮様がバッシングに遭われるのかという意味を。

自分の利害を護るためならば子供の学校生活まで土足で踏み荒らす大人の汚さを、公器を使って嘘を垂れ流す大人の醜さを、敬宮様と御学友たちは何と考えておられるだろうか。

そんな思いをもって、オール学習院で敬宮様とともに演奏している生徒さんを見ていると、「ソロモンの偽証」のエピグラムが胸に迫ってきた。

「今年といわず、幾度目の夏が来ようと、
 その子どもたちが青春を謳歌することはない。
 今年の夏はもう、こっそり蓄えていた強さや
 勇気を見いだす必要はない。
 大人の世界の複雑さに立ち向かって、
 より悲しくより賢くなり、生涯の絆で結ばれながら
 離れ離れになるのだから。」
 
                     「悪意の森」(タナ・フレンチ)




敬宮様と御学友は、もう早くから大人の世界の複雑さと汚さ醜さに立ち向かってこられたのかもしれない。
より悲しく、より賢くなり、生涯の絆で結ばれていかれるに違いない。

100人は越えるかと思われる大人数で心を合せて演奏される敬宮様と御学友の皆さんは、いずれ離れ離れになろうとも、ソロモンの時期を共有した絆で結ばれ続けると信じている。

敬宮様と学習院の児童・生徒さん方の明るい未来を祈っている。

生き物を真ん中に

2015-04-15 21:30:48 | ひとりごと
昨日「事実と心をはかる天秤」の終わりに「つづく」と書いたが、緊急事態発生でワンコの話を。


緊急事態

人間でいえば齢80は超えようかという我が家のワンコが血尿をだし、急遽病院へ連れていった。
突発性膀胱炎。
季節の変わり目に適応するのが上手くなく、季節ごとに気管支炎や膀胱炎や神経痛を患ってはきたが、血尿が出たのは初めての経験で、ワンコよりも人間の方が慌てふためいてしまった。
点滴と抗生物質で落ち着いたが、原因は?

アレのせいか?

週末天気が悪くて庭仕事ができないので、山菜料理の準備をしていた。

まず、庭から摘んできたフキの茎と葉の柔らかいところを、さっと茹であげ細かく刻み、それを味噌と酒とみりんと合せ炒めて、フキ味噌もどきの出来上がり。(「ハート草の下の愛の路」(3/16)で書いたが、蕗の薹は天ぷらにして、とっくの昔に胃の腑に収まっている)

もう二品。
ご近所から掘りたての竹の子とゼンマイを頂いたので、さっそく糠と灰であく抜きをしたのだが、これがイケなかった。
糠汁で煮立てた後一晩(浸し)寝かすのだが、その糠汁を、あろうことか老ワンコが飲んだのだ。

一日、二日大丈夫なのでホッとしていたところ、今日夕方になって突然の血尿。

時間外だが、掛かり付け獣医に飛び込んだ。

「竹の子と糠で膀胱炎になるのは考えられないですが、アクが強ければ胃腸が弱る、そこへ季節外れのこの寒さ。元々弱いところに問題が出たのでしょう」とのこと。
点滴と抗生物質注射。

「年をとると、鼻が利きにくくなるので、今まで口にしなかったようなものを食べてしまうことがあります。飼い主さんは十分注意をしてあげて下さい」との御小言も。

犬などペットは痛さや苦しさを訴えずに、じっと我慢しているので、切なくなってくる。
それだけに信頼できる掛かり付け獣医さんがいるのは有難い。

獣医さんに感謝。
ワンコ長生きしておくれ、心からのお願いだ。

ところで獣医さんといえば、犬と猫を飼われる皇太子御一家にも掛かり付けの獣医さんがおられるそうだ。
我が獣医さんとは、ワンコ誕生後一回目の予防接種以来のお付き合いで信頼しているが、まさか食事をともにするほどの付き合いではない。
が、皇太子御一家は獣医さんと家族ぐるみで親しくお付き合いされているのだろう。
贅沢だの何だのとバッシングのネタになっている例の「三ツ星レストランお食事会」だが、あれは、掛かり付け動物病院の送別会に、皇太子ご夫妻が招待されたもの、というのが本当のところらしい。

招待を受けて出向かれた先が、三ツ星レストラン、何の非難されることがあるだろうか。
それどころか、獣医さんと飼い主が親しい(信頼関係がある)というのがペットに安心感を与え治療効果があがることを考えれば、生き物を大切にするうえで、これほど好ましい人間関係はない。

バカの言い掛かりというのは、まことに嘆かわしい。

齢80を超える我が家のワンコ。
我が家は獣医さんと食事会とまではいかないが、これからも信頼して、長く長くお付き合いしていきたいと思っている。

長く長く元気でいておくれ、ワンコ!

事実と心をはかる天秤

2015-04-14 19:06:27 | 
「ソロモンの偽証」(宮部みゆき)

この小説にはソロモンというのに御誂え向きな登場人物が一人いる。
転落死した生徒と同い年の少年。
中学2年生、まだ世俗の垢にまみれきってはいないし、彼は正義感あふれ優秀だ。しかも、物語の途中から明らかに、この少年には謎があると伏線が張られるので、裁判(物語)の最期に彼が証言するのは早くから想像できた。
彼がソロモンか?

しかし、巻尾の解説で、松山巌氏は次のように書いている。
「作者本人は権威を持つものが嘘をついている意味、つまり学校組織や社会が嘘をいうこと、あるいは最も正しいことをしようとする者が嘘をつくことだと語っている。要するに、ソロモンの偽証というタイトルは、一つには、体裁のための事件の真実を当初明らかにしなかった学校にも、思い込みで報道したマスコミにも、果たしてその姿勢は正しかったのかと作者は問いかけているのだ。」
しかも、映画のキャッチコピーが「嘘つきは大人のはじまり」とくれば、「ソロモン」とは権威を笠に着て人を裁く側の人間の総称で、「偽証」とは大人が都合よく吐く嘘ということになる。

作者自身はインタビューに答えて、
「最も知恵ある者が嘘をついた。
 最も権威や権力をもつ者が嘘をついた。
 最も正しいことをしようとする者が嘘をついた。そのどれなのかなということを読者自身で探って欲しい。」と言っている。

作者が「読者自身で探って欲しい」と言ってるので、考える。

私のように最初からソロモンは全き正しい人なのかという疑念を抱いておれば、学校を含む体制や胡散臭いマスコミをソロモンと位置付けることもできるが、とりあえずソロモンを全き正しい人だと規定すると、学校を含む体制側やマスコミをソロモンだと思える人がどれくらいいるだろうか。
学校が保身に走って正確な情報を良心的に提示しないのは周知の事実だし、マスコミが良心の欠片もなく煽情的な記事を垂れ流しているのも周知の事実だ。
そんな学校やマスコミをソロモンに例えて、彼らが嘘を言った!とわざわざ題名にしなければならないのか、俄かには信じがたい。

そこで考えるのが、中学生が刑事裁判をするという設定の無理を押してでも、中学生を物語の真ん中に置いたのは何故かということだ。

情報化社会の波に小さい頃から揉まれている現代の中学生は、自分の立ち位置(キャラ)を演じて小利口に振る舞う癖がついているように見受けられることがある。
とはいっても、まだ中学生ならば、純粋に良いものに惹かれ、より良い自分でありたいと願っている、と思う、多分。
神から「何でも欲しいものを述べよ」と言われて、「知恵」を望んだソロモンの純粋さが、まだしも残っているのが中学生という年頃だと思うのだ。
これより年を食うと世慣れてくるし、これより小さいと単純で幼いだけということになりかねない。

「偽証」というのも一般的には、客観的事実に反したことを述べる事だと思われがちだが、刑事裁判で「偽証」といえば記憶に反した陳述をいう、つまり仮に証言内容が客観的事実に合致していても、それが自分の記憶に反しておれば「偽証罪」に問われるのだ。

この小説では、思春期の子供の心のひだがかなり丁寧に描かれている。
学校をとりまく現象の一つ一つについて、客観的事実とそれに対する自分の心の変遷(事実を知覚・記憶・叙述)を子供なりに冷静におっている過程が丁寧に書かれている。
自分が置かれている境遇や社会に全く疑問を感じることない太平楽な子供時代ならいざしらず、中学生ともなれば、そこそこ色々見えてくる。
事実と心を単純に天秤に掛けられればよいが、辛い経験をやり過ごし、見て見ぬふりをする狡さを身に着けるには、記憶を少しずつ都合よく改竄するしか仕方ないときがあると思うのだ。

より正しい人間でいたいというソロモン的願いと、少しずつ記憶を違えなければやり過ごせない何かを知ってしまう、その狭間の年齢が中学時代ではないかと考えた時、作者の真意はさておき、中学生を真ん中に置いた物語の題名が「ソロモンの偽証」であることに、かってに答えを見つけた気になっている。


ところで、この小説の感想を書くきっかけとなったのは、敬宮愛子様の学習院でのチェロの演奏会だと書いた(祝速報4/12、ソロモンと偽証がさすもの4/13)。


そのあたりは又、つづく


ソロモンと偽証がさすもの

2015-04-13 19:17:29 | 
4月11日に続編が封切りとなった「ソロモンの偽証」(宮部みゆき)は、とにかく「読んだぞ」という満足感を与えてくれる超長編だった。
第Ⅰ部事件、第Ⅱ部決意、第Ⅲ部法廷の三部作からなる超長編で、これほどの長編を読んだのは「沈まぬ太陽」(山崎豊子)以来かもしれない。

一人の男子中学生が、クリスマスイブの中学校の屋上から転落死する。
自殺なのか他殺なのか。
死因をめぐって飛び交う噂、事件を利用しようとする思惑、保身と事なかれ主義に走る学校・大人と、それを面白おかしく暴きたいマスコミと。
このままでは前に進めないと、転落死した同級生達が立ち上がる。
自分達で裁判をして、自分達が納得のいく真実を探そうと。

超長編を要約すると、「同級生の不慮の死から半年の間の子供たちの成長」ということになるのだろうか。
学校でも家庭でも自分の立ち位置(キャラ)をはみ出さないように演じている今どきの思春期の子供の心のひだなどが、丁寧に描かれていての、超大作三部作で、読みごたえもあるのだが、どこか現実味がないのも確かだ。
非常に分かりやすい’悪ワル’が一人登場するが、それ以外の中学生はとにかく内省的で小利口で、何か「違うな」と思わずにはいられないし、第Ⅲ部の法廷シーンはさながら本物の刑事裁判のようで、これを中3の夏休みの設定としていることも、この小説の現実味を削ぐ原因となっている。
が、随所に見られる違和感をとりあえず脇へおいて最後まで読むと、設定に多少の無理があるのを承知で、それでも作者がこの設定に拘った意図は伝わってくる。

作者の意図を考える前に、この題名からして私の興味を引いた理由を書いておく。

「ソロモンの偽証」
ソロモンといえば、江戸時代の大岡裁き(子供のことで争う2人の女の一件で賢明な判断を示した)にも影響を与えるほどに世界中で知恵や賢者の代名詞であるが、教育とは恐ろしいもので、世界史の授業で聞いた雑談の影響か私には、ソロモンとその父ダビデにあまり良い印象がない。
ダビデ王は姦淫の罪を犯し、しかもそれを糊塗するため女の夫を戦闘の最前線に送り込み戦死させてしまう。そうして誕生したのがソロモン。
ソロモンは知恵があり内政外交充実させるが、国民に重税を課したため、その不満が結果的に国の分裂を招き、あのバビロン捕囚に繋がった。
しかも、ダビデの姦淫の罪とソロモンの偶像崇拝の罪の報いとして、何代後かに国が亡びることは預言されていたという。
私はクリスチャンでないので、今も聖書の細かいことは分からないが、国王の咎が、その国王自身に災いをもたらすのではなく、子孫の代に災いをもたらし、しかも苦しむのが国王の咎とは無関係な(後世の)国民であることに、若い私は大いに義憤を感じたのだ。

馬齢を重ねた今でこそ、罪の報いに時間的猶予があることに、ある種の救いを感じないでもないが、教育とは恐ろしいもので、世界史の授業の影響は長く続き、ソロモン=賢者とはいかないのが私の感覚である。

私の感覚はともかく、やはりソロモンは世界的に知恵の代名詞で、日本に大きな影響を与えたのは間違いない。
明治末期の各方面の名士の半数以上が感奮興起させられた本としてあげる明治の大ベストセラー「西国立志編」(サムエル・スマイルズ著 中村正直訳)は、ソロモンの箴言が原型だそうだ。
「この教訓は、ソロモンの箴言と全く同じくして、少しも新しきことなく、また別に造り出したるものなし。」(自助論第1版序:スマイルズ自序)
(参考文献 「旧約聖書入門」(三浦綾子)

自分の手前勝手な印象はさて置き、ここは素直に頭を垂れて、明治時代の名士を感奮させた「西国立志伝」のもとであるソロモンの箴言に耳を傾けるとする。
「旧約聖書入門」参照

「主を恐れることは知識の始まりである」 これは繰り返し書かれる箴言らしく、コリント人への手紙(「英国の愛のバラ」2/28参照)にも影響を与えているそうだ。
「もし人が、自分は何かを知っていると思うなら、その人は知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない」(コリント人への手紙8章)

他にも、自分への戒めをこめて印象に残ったものを書き記しておく。

「思慮のない者の不従順さは己を殺し、愚かな者の安楽は己を滅ぼす」
「あなたの手に善をなす力があるならば、これをなすべき人になすことを差し控えてはならない」
「たかぶり来れば、恥また来たる」
「怒りを遅らす者は勇士にまさる」

ソロモンは神から「何でも望むものを与えよう」と言われて、「知恵」を望むほどなので、その言葉に間違いはないのだろうが、間違いない賢者が偽証(記憶違いだと分かっていながらの証言)するという題名「ソロモンの偽証」
ソロモンとは誰なのか、偽証の内容は何なのか。

刑事裁判のシーンなど中学生では設定に無理があると感じてきたが、作者が中学生を真ん中にもってきた意図を今一度考えたくなるシーンに昨日出会った。

敬宮愛子様が学習院でチェロを演奏されたニュースだ。
敬宮様はこの春中等科2年生となられたため、この小説の登場人物たち(中2の冬から中3の夏)と、ほど同世代である。

大勢の楽団員とともに敬宮様が懸命にチェロを演奏される御姿に心打たれた。

真面目に演奏する学習院の生徒さんや敬宮様から、ソロモンと偽証の意味を、もう一度考えてみようと思っている。

つづく

祝速報 これぞ本物のお姫様

2015-04-12 13:37:06 | ニュース
愛子さま 学習院でチェロをご演奏  2015.4.12 12:11 産経ネットニュースより

皇太子ご夫妻の長女、敬宮(としのみや)愛子さまは12日、東京都豊島区の学習院創立百周年記念会館で開かれた「オール学習院大合同演奏会」に出演し、チェロの演奏を披露された。



こういうニュースを待っていた。

百人一首に親しみ、楽器を奏で、野良ちゃんの命を心から愛おしまれる敬宮愛子内親王。

これでこそ日本のお姫様。

このような御姿こそ若者の範たるにふさわしい。
このような御姿こそ象徴たるにふさわしいと、未来を担う若者は受け留めて欲しい。