
崇徳天皇御廟発見

鬱蒼とした楠が茂る古めかしい塀で囲まれた社のような建物発見!


崇徳天皇と言えば百人一首「77番」と記憶していますが



元天皇の御廟が何故こんなところに?
気になって調べてみました・・・簡単ですが

●藤原顕輔に「詞花集」の編纂を命じられたほか、西行法師などとも親交がありました。
保安四年(1123年)、わずか五才で即位されたが、永治元年(1141年)、鳥羽上皇に強いられて退位。

後の保元の乱の原因のひとつになります。乱の後、
その責任者として讃岐の国(現在の香川県)に流されましたが、
讃岐に流された崇徳院は髪も爪も切らず、世を恨みつづけながら亡くなっていったと言われています。
そーだったのか。保元の乱・・・何だか歴史で習ったような~~
う~~ん!そのご、様々・多くの変遷を経て・・・この地に!
京都は流石に歴史を刻む街
奥深い物語が刻まれているのですね~~!
一つこぼれ種を拾って・・・何だか賢くなったような・・・笑!!!
11月2日
そんな秋の日の出来事でした。
本日ご訪問くださいました皆様ありがとうございました・・・