ドナウの真珠を歩いて ……… そのⅡ
●第5日目 4月29日(火) CZECH
チェスキー・クルムロフ観光
チェスキー・クルムロフ城
日本からの中欧ツアーは チェスキー・クルムロフに立ち寄るのが定番 というよりも必須のコースとも言えるのかも知れません
私自身もまた 今度の旅でもっとも楽しみにしていた 期待していた観光なのでした
チェスキー・クロムロフ城の特徴は 様々な様式の建造物が混在していることでしょう
城の始まりは13世紀なのですが それから19世紀の長い間に支配者が次々と変わり 何百年にも渡って増改築が繰り返したことによるのです また19世紀の産業革命期の工業化にも乗り遅れ いわば時代に取り残されていったのです
そのことが現在のタイムスリップした街並みとしてそのまま残っているのです
街並みの景観は“おとぎ話”を思わせるものであり この街に滞在してみたいものだと思うのでした
チェスキー・クロムロフの町の中にはバスの乗り入れが出来ないので 徒歩で観光することになります
ヨーロッパの観光旅行は よく歩かされますよ! 老齢には堪えますがまだ頑張れます
城の塔のある建物の手前に石橋が架かっております
堀の中にはクマが住んでおります なんと飼われているのです
『 昔々のお話です 城主が森でクマに遭遇 慌てて逃げ帰り橋を渡った後に橋を上げると 追いかけて来たクマが堀の中に落ちて そのまま住み着いた といわれております 』
石橋は 昔々は木造の跳ね橋であったのでしょう 多分本当でしょう メルヘンです
プラハ泊 ART NOUVEAU PLACE HOTEL PRAGUE(Ex.HOTEL PALACE PRAHA)
このホテルは かっての迎賓館だったそうです
●第6日目 4月30日(水)
プラハ市内観光 トラム乗車
プラハ城
聖ヴィート教会 旧王宮 黄金の小路
ボヘミアグラス
市内観光は トラム(路面電車)に乗って市内をひと回り あっという間でした
観光用なのでしょうかチェコと日本の国旗を飾った貸し切りの古典的なトラムです
町全体が世界遺産となっているチェコの首都プラハの観光はプラハ城から始まった
プラハ城といっても 日本の姫路城のように「城」という建造物がそこにポツンと点在しているわけではないのです 敷地の中にいくつもの教会や王宮があるのです 広さは7万平方メートルもあり世界でももっとも大きな城であるとされております
自分がいま どこに位置しているのか なにを見ているのか 混乱してくるのでした
聖ヴィート大聖堂は ゴシック様式の壮麗な建造物で二本の塔の高さは82mもあるという
ボヘミアグラスで名高いチェコは 古くからガラス産業が発達した土地です
さすがにステンドグラスが美しいのです
旧王宮は 16世紀までは王宮として使われていたものだとされる
『 この中は写真撮影が禁止されております しかし地獄の沙汰も金次第とはよく言ったもので 撮影料を窓口で払ってチケットをもらえば 撮影することもできます 』と現地ガイド
旧王宮でいちばん広い部屋は ヴラディスラフ・ホールと呼ばれている所で 16世紀にはプラハどころかヨーロッパでいちばん広いホールだったそうです
このホールの南側に突き出た小部屋が 17世紀に起きた「三十年戦争」の引き金になったボヘミアの「プラハ窓外放擲事件」の場所なのでした
3人を放り投げた窓がありましたよ
『 部屋の隅に陶器で出来た大きな置物のような家具があります ストーブですよ この地方は暖房が必要であったため 薪を焚いて暖をとっておりました 薪は 使用人によって部屋の裏からくべられていたのです 使用人は表の部屋には入って来ることは許されませんでした 部屋の壁には隠し扉があるでしょう… 』とガイドの説明があります うまく工夫して作られております
道中の通貨単位は3つの国を巡るので ハンガリーは フォリント オーストリアは ユーロで
チェコは コルナです
オーストリアは欧州共通通貨のユーロが通貨単位であり チェコとハンガリーはEU加盟国であるがユーロを導入していないので 目まぐるしくお金を使い分けることになるのかと思ったがユーロで事足りました
プラハ泊 ART NOUVEAU PLACE HOTEL PRAGUE(Ex.HOTEL PALACE PRAHA)
●第7日目 5月1日(木)
プラハヴァーツラフハヴエル空港/プラハ発 10:25 LH1393
フランクフルト国際空港/フランクフルト着 11:40
フランクフルト国際空港/フランクフルト発 13:20 LH0740
座席は往復とも 1A と !C でした
●第8日目 5月2日(金)
関西国際空港/大阪着 07:10
ほぼ定刻通りに着いたことで 長いフライトの疲れが吹き飛ぶようです
予定より早い“はるか”に乗って 広島を目指します
家人は家路に向かうにつれて 段々元気を取り戻してきております
この時までは 早速届いた人間ドックの結果通知と その後の展開で3か月半にも及ぶ入院生活をすることになるとは考えられませんでした
そしてまた そのことを契機に人生のコースを大きく変える決断をするであろうことをも考えられませんでした
それでも ほぼ病前まで回復してQOLを維持できるであろうことはなによりも有り難いのでしょう
ドナウの真珠を歩いて 忘れ物はなかったかナ!
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