Dr.K と 優しさの夢物語

輝きの明日のために、思春期と思秋期の更年期障害の女性のための健康余話/ときには蕎麦談義とワン子のお話を

❝忘却とは忘れ去ること❞かな

2017-12-21 15:37:21 | のんびり歩いて

“ 忘却とは忘れ去ること ”

「忘却とは 忘れ去ることなり 忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」
1952年-1954年にNHKラジオ連続放送劇『君の名は』(原作 菊田一夫)で放送されたラジオドラマの番組の冒頭で来宮良子のナレーションで一世を風靡したものでした
映画化もされ 氏家真知子は岸恵子 後宮春樹は佐田啓二 石川綾は淡島千景 後宮悠起枝は月丘夢路が演じました

必要に迫られて家の床の板張り つまり木製フローリングの工事をした
この際 生活環境が乱雑過ぎた私の居住環境も整理整頓をしなくてはならないのだ
要らないものを処分するようにとの厳命(!)で もう読み返すことはないだろうと思う書籍の処分から始める まぁこれが処分の対象の大部分であった
そしてもう二度と手を通さないであろうと思われる衣類が多い これも処分の対象の大部分ですな
捨てきれずに最後まで手付かずで残ったのが“アルバム”なのでした
昔のアルバムは結構頑丈に出来ていて重く分厚いのが特徴です
昔のアルバムを覗くとついつい時間が経ってしまいます
我が写真を見ると現在の状況から余りにもかけ離れていて我ながら当惑してしまいます
結局は大きな段ボール3個にそのまま詰め込んで収納することになってしまいましたが

デジタル化は写真をそのままパソコンに閉まっておくことができるので収納スペースの心配は要らないのだろう
デジタルカメラだとフィルム代がかからないから 撮った写真の枚数は従来の何倍にもなる
知友のH氏は撮った映像をすべてPCに保存して 折に触れて想い出に浸るのだと言う
このことは氏が機器に習熟していることと氏の几帳面さを物語るものであり その域に達したいと常々思うのですが
私の場合は どうしても“紙文化”から抜け切れずPCと印画紙にプリントアウトして保存してあるのだ 所詮アナログ人間なのですなぁ
本棚にあるアルバムが何気なく手を伸ばして開いて見たりすることがあるが パソコンに閉まってある大量の写真データから探すためには幾つもの手順が必要であり気軽に手を伸ばすと言う訳にはいかないのですなぁ
愉しかったあの時々 心和むあの笑顔はいつでも見たいものです
機械の中の写真は アルバムの中のものに比べて遥かに遠い存在になってしまうような気がするのだが 見えなくなれば忘れられてしまうのでしょうか
PCで懐かしく見ることが出来るのはH氏のように所謂マメな人だからできることなのだろう

時間の経過とともに忘却によって美化されてきているのでしょうか

 ふるさとは遠きにありて思ふもの
 そして悲しくうたふもの
 よしや
 うらぶれて異土の乞食となるとても
 帰るところにあるまじや
 ひとり都のゆふぐれに
 ふるさとおもひ涙ぐむ
 そのこころまて
 遠きみやこにかへらばや
 遠きみやこにかへらばや
有名なこの詩は 室生犀星の「小景異情」の一節です
忘却の彼方にあるものは みなおしなべて哀切で美しいのでしょう
忘却と記憶が過去を構築しているのだろう

分厚いアルバムを開いていると時が流れていくのは あっと言う間なのだなぁ
時が過ぎて 老いだけが残るのだろうか
とくに幼い頃のセピア色の想い出と言うものは甘くて酸っぱく そしてまたどことなく儚いものだと思う
君には そんな想い出はあるか
いつの日か きっと思いだすのだろうな

時として頭が停電しているような気がするが
脳細胞が流れ落ちて ひとつ忘却しても ふたつ新しいことを覚えてみたい
いつの日か輝きを手にしてみよう

酉年が暮れて行く
ところで君は年末のあと片づけは出来たかな


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