風を紡いで

旅の記録と料理、暮らしの中で感じた事などを綴っています。自然の恵みに感謝しながら…。

(31)カッスルクームに到着!

2005年08月12日 | 2005年コッツウォルズ母娘旅
チッペナムのB&Bに一泊した翌日、カッスルクームで一日のんびり過ごしたいと思った。B&Bは駅から近いので、ここを拠点にして動こうということで二泊することにした。

二泊したあと、チッペナムからパディントンに行く。そして、いよいよイギリスからフランス・パリへ向かうのだ。

チッペナムの一日目は、日曜日だったためバスが運休なのだ。朝食を食べてからタクシーでチッペナムまで行くことにした。駅まで行ったほうがタクシーがつかまるだろう、と思って歩いた。駅にはタクシー乗り場があり、私たちはタクシーに乗り込んだ。運転手さんは、四十代ぐらいだろうか、気さくな人でいろいろおしゃべりした。

彼は農場をやっているが、それだけでは食べていけないので運転手をしているのだというのだ。どっかで聞いたような話だなぁ~、そうだ、スノーズヒルのB&Bオーナーのティムさんも同じように嘆いていたっけ、そう思うと少し複雑な気持ちになった。だが、彼らはとても明るいのだ、それが救いだった。

おしゃべりしながら走ったので、タクシーはあっという間にカッスルクームに到着した。運転手さんは、帰路にもどうぞ、と電話番号が記された名刺をくれた。タクシーから降りると、抜けるような青空が広がっていた。「カッスルクームに来たね!」娘がつぶやいた。













(30)チッペナムの夜景

2005年08月06日 | 2005年コッツウォルズ母娘旅
ボートン・オン・ザ・ウォーターからチッペナム方面行きのバスに乗った。
田園風景をかなり走り続け…乗換駅に着いた。賑やかな街だった
バスを降りる時、チッペナム行きのバス停の場所を運転手さんに尋ねる。
教えられた停留所に行くと、そこに小さな男の子と彼の母親がいた。

念のため、チッペナムに行くバスの停留所がここでいいのかどうか彼女に聞いた。
すると彼女は「分からない」と答えた。
そして、その男の子に「ここで待っていなさい」と言い残して、いなくなってしまった。

彼に話しかけた。名前はジェイク。少しおしゃべりを楽しんだ。
しばらくして、彼女が戻ってきて私に言った。
「ここの停留所で大丈夫!私たちは先に降りるけど、同じバスだから」

ジェイクお母さんの親切がとてもうれしかった。

チッペナムのバスがスタートした。

私は、バスの中でジェイクに日本のあめ玉「小梅ちゃん」を数個あげた。
甘酸っぱい味のあめ玉のパッケージが可愛かったので、日本から持ってきたのだ。

私たちを乗せたバスは、いくつもの村落を通り抜けた。
その村の1つに着いた時、ジェイクとお母さんが降りていった。
バスを降りる時、ジェイクがはずかしそうにポツリと一言…
「スイーツありがとう!美味しかったよ」

バスは畑や野原を越えて、やっとチッペナムに到着した。ここは小さな地方都市といった雰囲気の街で、人々で賑わったいた。

明日はカッスルクームで1日過ごす予定なので情報を入手しようとインフォメーションセンターに向かった。
そのあとで、今日から2日間泊まるB&Bを探した。
紹介してもらった宿は、駅に近く賑やかな通りにあった。

案内された部屋はこじんまりとしていたが、悪くはない。
しばらく休んでいたら、いつの間にか日暮れになっていた。
ビジネルホテル風のB&Bだった。

お腹も空いてきたので、夕食を食べるため街に出かけて行った。日中、あんなに人で賑わっていたのに、潮がサ~と引くように街には人っ子ひとりいなくなっていたのだ。

「どこ行っちゃったんだろうね!?」
「不思議だね~」
「どこか美味しいお店ないかしらね~」

そんなことを言いながらレストランを探しまわったが、なかなか気に入った店が見つからない。人影を見つけて、「手ごろな値段で美味しい店」を尋ねると、インド料理の店を教えてくれた。

「イギリスでインド料理はないよね~」娘と同じことをつぶやいてしまった。

パブにも行ったが、アルコールを飲まない私たちにとっては、居心地が悪そう。若者がたむろしていて、煙草の煙で空気も悪く…一歩店に入ってみたが、場違いな感じがして、そそくさと出てしまった。小さな田舎のパブとは少し雰囲気が違うようだ。そんなことを繰り返していると9時近くになってしまい、いよいよ困り果てた。

「インド料理?でもね~」ということになり、もう少し探してみるが…。入りたい店が見つからない!

 そんな時、中国料理のテイクアウトの店を見つけた。これ以上さがしてもなさそうな気がしたので、「それじゃー中国料理を買っていって部屋で食べるしかないね」ということになり、何品か購入することにした。

「インド料理の店でも良かったかな~」
「そんなこといってもいまさら遅いよね~」

中国料理は、安くて量があったが、決して美味しいとはいえなかった。B&Bのオーナーが顔を出したらどうしよう、と思いながら食べたのだが、なぜか気持ちが和んだ。日本人にとって中国料理は馴染みが深いからなのだろうか。

(27)スノーズヒルでもう一泊

2005年08月04日 | 2005年コッツウォルズ母娘旅
スノーズヒルには2泊滞在した。最初は一泊の予定だったが、娘が風邪でダウンしたことで、予定を変更した。B&Bのオーナーの奥さんのお陰で、一晩で娘の熱は下がったものの、まだ本調子ではない。

そこで、もう一泊することにした。娘はベッドで休み、私はオーナーと話をしたり、周辺を散策したりしてのんびり過ごした。現地で宿を決めるという、手作りの旅のいいところだ。それも、オフシーズンの2月だから可能でもあったのだが…。

オーナー夫妻の兄弟(ご主人のお兄さんだったような気もするが…)が画家だということで、壁には作品が掛けられていた。作品の絵はがきも販売していたのだが、買いそびれてしまった。


コッツウォルズを旅して、何人かのイギリス人と出会った。田舎に住む彼らの温かい心に触れ、私はますますイギリスが、イギリス人が好きになった。暮らしにさまざまな彩りを添えながら、ゆったりとした時間を生きているように感じたからだ。

コッツウォルズの中のほんのいくつかの小さな村を訪ねただけなので、あまり大きなことは言えない。でも、“実に人間らしい生き方をしている、それも淡々と”―そんな彼らから沢山の大事なことを学ばせてもらった。心がゆたかさで満たされていくようなそんな気分に嬉しくなった。




(28)水辺の街でランチタイム

2005年08月03日 | 2005年コッツウォルズ母娘旅
スノーズヒルのオーナーは、旅行者のためのタクシードライバーもしていた。ボートン・オン・ザ・ウォーターまで送ってもらうことにした。途中、外観だけであったがマナーハウスなどを見たりして、案内していただいた。

オーナーと分かれてから、店を見たりしたあとで、チッペナム行きのバス停や時間を確認して、昼食にすることにした。バス停のすぐそばにあったカフェなら安心して食事ができるというものだ。

私はフランスパンのオープンサンド、娘はスコーン、飲み物は2人ともとコーヒーを注文した。大きなオープンサンドだったが、食欲旺盛な私にはぴったりサイズ!娘は病あがりのせいか、どうも食欲がないようだ。

チッペナム行きのバスが来るまで、少し時間があるので、カフェでゆっくりできたのは良かった。このカフェには、なぜか日本語のメニューがあった。


この水辺の街は、観光客に人気があるらしく、世界の人々で賑わっていた。水の都ベニスのミニ版といったところだろうか。日本人も多かったが、残念ながら話す機会はなかった。

私はトラベラーズチェックを英ポンドに換金しようと、郵便局に行ったが土曜日のため休みだった。その郵便局は小さな雑貨屋の中にあり、店は営業していたのだが…。バス代はなんとかなりそうだから、まぁいいか…ということにして、娘が待つカフェに戻った。

しばらくしてから、チッペナム行きのバスが来たので乗車する。イギリスのバスの旅が始まった。どんな車窓の景色に出会えるだろうか…。ワクワクしてきた。

(23)雪の中、農場の柵にそって

2005年08月01日 | 2005年コッツウォルズ母娘旅
英国コッツウォルズは調和のとれた美しい田舎。私たちは完全に魅了されてしまった。雪景色の丘陵地、スノーズヒルもなかなか素晴らしかった。娘と私は、スノーズヒルのB&B「シープス・コーム」に荷物を置き、近くにあるパブで早目の昼食をすませてから散策をした。B&Bオーナーのティムさんに散歩コースを聞いて、スタントンまで足をのばすことにしたのだった。

地図を持ち、スタントンに向かってのウオーキング。1時間ほどの軽い散歩のつもりだったので、長靴も履かないで出かけてしまった。あとで大変な思いをすることになるとは、この時は思いもよらなかった。ぬかるんだ道を滑らないように注意しながら歩く。農場を抜けるフットパスを利用したり、細い道を歩いたり…。

ところが、道が悪いためか、コースをそれてしまったためか、歩けど歩けど目的地のスタントンに着かないのだ。ティムさんはかかっても1時間ぐらいかな、なんて言っていたが、そんなもんじゃない。

かなりの時間が経過し、もう限界か、と思ったその時、遠くに緑のスタントンが見え、ほっとしたのなんの…言葉ではとても言い表せない。しかし、そこにたどり着くにはもう少し時間が必要だったのである。とはいえ、ほんの少し先が見えたことで、元気が沸いてくるのだった。

私たちは最後の力を振り絞るようにして、また歩き続けた。雪も少し激しくなってきた。目の前が開けて見えてきた風景に、なぜか懐かしさを覚えた。緑の木々、ここがスタントンなのか…。

その先右手に、パブ「マウント・イン」があった。高台にあるパブからは、小さな村落が見えた。中世に迷い込んだような、次元を超えて私がここに存在する、そんな不思議な感覚で、村を眺めた。

ここのパブで一休みしよう。すぐ追いついてきた娘と一緒に、パブに入っていった。私はイギリスの地ビールとコテージパイなど軽食、娘は食欲がないと野菜サラダとリンゴジュースだけを頼んだ。

暖炉が燃え、心地よい温もりが気持ちを解きほぐしていく。食事を終えて、しばらくのんびりしていたが、帰り道のことを考え、少し早めに出る事にした。スタントンの村を散策してから、スノーズヒルに向かうことになった。娘が元気がないので、タクシーを呼ぼうとしたが、歩いて帰りたいと言うのだ。いい悪いは別として、娘は結構頑固なところがあるのだ。


結局、来た道とは違う別のコースを選んで、歩いて帰る事になった。パブでトイレを済ませておけばよかったのだが、店を出てから気づいたものだから少し慌てた。

娘に先に歩いててもらうことにして、パブに戻ったが、店はすでに閉っていた。夕方まで閉店なのだ。さぁ、どうしよう。公衆トイレはないか探したが、見つからない。

ならば、教会はと行ってみたが、教会の中に入ってはみたが誰もいない。奥までズカズカ入るのは気がひけた。無断でトイレを借りる訳にはいかないような気がして、教会をあとにした。道には誰もいない。こうなったら、しかたない…と一軒の家のドアをノックした。

「公衆トイレはどこにありますか?」
「ここにはないよ」

そんなぁ~。あぁ…どうしよう。恥ずかしがってはいられい、と思いきって尋ねた。

「あのぅ、トイレを貸していただけないでしょうか」
「ああ、どうぞ」

えぇ?本当?いともあっさりと応える白髪の紳士。良く見ると、なかなか渋くて素敵な男性じゃないの―彼の好意に甘える事にした。用をすませて、お礼をしようとする私を制して「ノウー」。

だってね、イギリスの公衆トイレを使用する時はお金を払うじゃないの。何か感謝の気持ちを表したいと思った。ショルダーバッグの中に、日本から持ってきた“小梅ちゃん”と“おかき”があるのを思い出した。彼に手渡すと、うれしそうな顔で話し出した。

「私の娘は京都の大学に留学していたことがあるんだ。今はロンドンの警察に勤務しているが…」
「あら、そうですか。私も若いころ、京都に済んでいた事があるんですよ」
「今はどこに住んでいるのですか」

あらら、話が始まってしまった。日本の小さなスイーツが掛け橋になるんだなぁー。もっともっとおしゃべりしたかったが、娘のこともあるし、後ろ髪ひかれる思いで白髪の紳士に暇を告げたのだった。

急いで娘のあとを追った。どろんこ道を滑らないように注意しながら歩く。なかなか先に進めない。しばらくして道が二つに分かれる場所に着いた。どっちに行ったんだろうか、と思った瞬間、左手の大きな樹の下に佇む彼女の姿が目に飛び込んできた。

「あぁ、良かった!」
「道が分かれていたから、待ってたんだよ」
「ごめんね。パブが閉っててトイレ探すのに時間かかっちゃってさ。日本に娘さんが留学してた事があるという人の家で借りる事ができたけどね…」
「そうだったんだ」

さてどっちへ行こうか。右に行くべきか、左に行くべきか…ハムレットのごとき(深刻度が違うよ)迷っていたら、乗馬をしている人が通り過ぎようとした。

「すみません!スノーズヒルへはどっちの道を行けばいいんですか?」
私が尋ねると、「この柵に沿って行った方が近いし、分かりやすくていいかな」
そう答えて、馬上の人は颯爽と去って行った。


農場の柵は、急勾配になって続いていた。しかし、行くしかない。長靴を履いていれば、歩きやすいだろうなぁ~。来る時、難儀だったしなぁ~。しばらく進むと、なんだか足元が重く感じて、見ると靴の周りに泥がべったり付いているのだった。

草地に靴をこすり付けて、泥を落とす。雪の上をまたしばらく歩いていくと、泥が落ちて軽くなるのだ。靴が雪できれいになっていく。しかし、泥の上を歩くと、また泥がべったりとまとわりついてくるのには、まいった。その繰り返し。そんな私たちの側を、乗馬を楽しむ人たちが、疾走していくのだった。

「うわぁ~、来るよ!」
「避けて~」

気配を感じると、私たちは柵の方によけて馬が通りすぎるのを待つ。雪も激しさを増してきた。日が落ちる前に、B&Bに辿りつかないと大変、そう思い必死で歩き続ける。

しかし、なかなかB&B「シープス・コーム」の姿が見えない。いつまで歩けばいいのだろう…。少し不安になってきたが、柵だけをたよりに歩くほかないのだった。 (つづく)



コッツウォルズの教会

2005年07月26日 | 2005年コッツウォルズ母娘旅
英国・スタントンの教会。この教会には思いがけないエピソードが残っています。キリスト教の一派であるメソジスト派を創設したジョン・ウェズリーが、1725年ごろからこの村を頻繁に訪れ、牧師の娘に結婚を申し込んで断られたというのです。もし、彼女が結婚を承諾して、ジョン・ウェズリーがここに住んだとしたら、今頃スタントンは世界中のメソジスト派のメッカになっていたかもしれないという話なのです。(※参考図書=「イギリスの小さな村を訪れる歓び」木島タイヴァース由美子著)

2月下旬の平日に訪ねたので、誰もいませんでした。萱葺き民家を淡彩で描いた絵葉書が置いてあり、購入できるようなので献金箱にお金を入れて求めました。小さな空間でしたが、荘厳さと広がりが感じられ、厳粛な気持になりました。教会は民家に囲まれて、お墓を見守るような位置に建っていました。

(25)心に残る英国のB&B

2005年07月24日 | 2005年コッツウォルズ母娘旅
スノーズヒルからスタントンまで…軽い散歩のつもりだった。ところが、道を間違えて遠回りをしてしまったらしい。半日がかりのウオーキングになってしまった。スノーズヒルのB&B「シープス・コーム」に着いた時は2人とも疲労困憊していた。

その夜、娘が熱を出した。彼女にとっては生まれて初めての海外旅行なのだ。カルチャーショックもあったかもしれない。緊張も続いていたのだろう。今朝から食欲もなく、なんとなく元気がないのが気掛かりではあったのだが…。

娘に症状を聞くと、寒気がするという。雪の中を何時間も歩いて来たのだから、おそらく風邪をひいたのだろう。彼女の様子からそう感じた私は、オーナーの奥さんに頼るざるを得ないと思い、階下へ降りて行った。

奥さんに、昼からの娘の様子を説明した。英語が不得手なところに、気も動転しているものだから、ブロークンイングリッシュもいいところ。でも、事態が事態なだけに懸命に訴えかけた。すると、何とか通じたようだった。

寒気がすると言っているし、熱があるから風邪だと思う。医師に診てもらうほどではないが、今夜様子を見て、明日判断したい、そんな状況を伝えた。
「自家用の風邪に効く薬があったはずだから」と戸棚の中を探してくれた。

薬を手に娘のところに戻ると、奥さんとのやりとりが聞こえたらしく…。

「お母さん、駄目だよ!聞きたいことはちゃんと調べて整理してから質問しないと。すぐ言葉がでないから、奥さん困ってたじゃないよ。電子辞書だってあるんだし…」とのたまうではないか。

「そんなこと言ったって、辞書で調べる余裕なんてないよ。とっさに言葉が出てこなかったんだもん」

これじゃ、どっちが親だか、病人だか…?!分かったもんじゃない。

「そんな正しい英語を話そうとしなくていいと思うよ、お母さんは。通じることが大事なんだから」
そう言ったが、A型の娘は納得しないようだった。ちなみに私はO型、鷹揚というか、大雑把というか…。

英会話の議論どころじゃないじゃないのよ~。

「薬を飲む前に何か少しでも食べた方がいいんじゃない?」私が聞く。
「お母さん、味噌汁ある?」と言ったもんだ。
「ないよ。残念だね~。でもひょっとしたら1袋ぐらいあるかも…」

一呼吸置いてから、「インスタント味噌汁ありました!最後の1袋。良かったね~」
「うん」と満足そうに味噌汁を飲んだ。

「美味しいよ、お母さん!」
そして、生姜湯と薬を飲ませ、ベッドに休ませた。


後日談だが、この時、味噌汁が1袋残っているのを娘は知っていた。彼女の方が上手だったということか。日本を出発する前の日、私が味噌汁や生姜湯、せんべい、飴玉などをカバンに積めこんでいると…。

「なんで、そんなの持ってくの?私いらないからね」そう言っていた娘だった。
そして「あの味噌汁美味しかった!」としみじみと言った。

私はというと、小梅ちゃんや1口せんべいなどに気をとられて、肝心な風邪薬を入れ忘れたのだった。ほんとにドジな母親だこと…。


少ししてから、奥さんがケーキを持ってきてくれた。
「2階の部屋が空いているので、隣りに私も泊まりましょうか」―心配そうに言ってくれたが、丁寧にお断りした。
「何かあったら、下にいるので呼んでください」そう言って下りていった。

隣りにバスルームがあるので、タオルが熱くなると水で冷やして娘の額に乗せた。
昼、奥さんが貸してくれた日本人が書いた単行本「イギリスの小さな村を訪れる歓び」(※)を読みながら、娘を看病した。タオルがすぐ熱くなり、バスルームと部屋を何度も往復した。夜半に娘が目をさまして言った。
「お母さん、汗かいたよ」
「じゃー下着取り替えなさい」
熱も少し下がったようだ。着替えを済ませてさっぱりした顔をしている。

「さっき奥さんがケーキ持ってきてくれたよ。ショコラかな、少し食べてみる?」
「うん、少しね」
「そうだ、手作りのスコーンも持ってきてくれたんだけど、両方食べる?」
「う~ん、スコーンがいいかな。ケーキあとで食べるよ」

紅茶を入れて、しばしお茶の時間。熱が下がり、食べる意欲が出てきた娘を見て、私はほっとした。娘が寝てからもしばらくは本を読んで起きていた。一冊読み終えて、寝る前にもう1度娘の顔をのぞくと、スヤスヤ寝息をたてている。安堵感から私も深い眠りに落ちていった。


昼、スタントンをウオーキングで往復して無理をしてしまったのだろう。
帰路は、B&Bオーナーに来てもらおうと、言ったのだが…。
娘は「大丈夫だよ」と言い張るばかりで、私の提案を受けつけなかったのだ。ついつい我慢してしまう娘に、

「我慢も限界を過ぎると、時によっては悪い結果を招く事があるから。人に迷惑をかけることになるから、気をつけて!」
すっかり回復したあとで娘に言った。
すると「うん、分かった」と答えたのだった。

※「イギリスの小さな村を訪れる歓び」木島タイヴァース由美子著/インデックス・コミュニケーションズ発行―本の中でこのB&Bが紹介されているというので、オーナーの奥さんが見せてくれたのだった。

(26)鳥のさえずるを聴きながら

2005年07月21日 | 2005年コッツウォルズ母娘旅
easy-peasyのともこさんが、ブログで「こころに残る朝ごはん」について書いていました。その中でイギリスの朝食を紹介しています。彼女の席から見える景観が素晴らしいのです。イギリスの朝食は、ボリュームのある美味しさで定評があります。

私の心に残る朝ご飯も、イギリスの朝食です。美しい田舎“コッツウォルズ”を旅した時に泊まった2つのB&Bの朝食です。一つは、モートン・イン・マシューの農場で食べた「アツアツ焼きたて田舎パン」の朝ごはん。


もう一つは小さな村スノーズヒルのB&Bでいただきました。鳥たちが餌をついばむ様子が、食事をしているテーブル席からガラス越しによく見えました。

オーナーの奥さんが、雪の中でさりげなく小鳥に餌をあげている姿が心に焼き付いています。その奥に、雪が降り積もった真っ白な牧草地が広がっているのです。羊もいます。時間がゆっくりと流れ、鳥のさえずりを聴きながら摂った朝食が忘れられません!


印象に残る料理は、美味しいだけでないのです。誰と食べたのか、どんな場所だったのか、どんな人が作ったのかなど―ロケーションや人とのかかわりが結構影響してくると痛感しました。

※写真はスノーズヒルのB&Bの朝食

異次元の世界・スタントン⑥

2005年07月18日 | 2005年コッツウォルズ母娘旅
歴史の重厚さを感じさせる家が続く。
ただ保存しているだけでないのだ。
親の、そのまた親の、そのまた…
先祖たちが築いた伝統が息づいている。
連綿と続く静かな村人たちの暮らし。
この村は眠ってなんかいない。
古い歴史が、
脈々と今も息づいているのだ。
静かな時を刻みながら…。

異次元の世界・スタントン⑤

2005年07月18日 | 2005年コッツウォルズ母娘旅
英国の田舎コッツウォルズを旅するには、ロンドンからのツアーを利用するといいと思うのだが、そのほとんどは点在する村を駈け足で巡るのが多い。それも日帰りとか、一日とか、短い日数で…。

じっくり、ゆったりとイギリスの美しい村を訪れたいと思う私たちに、ぴったり合うツアーなど見つからなかった。それじゃ~ということになり、自分たちで日程を組むことになった。(ほとんど娘に任せたが…)国際免許証も用意した。レンタカーの手配もする予定でいたのだが…。なにしろ2月下旬のコッツウォルズの天候がさっぱり分からないのだ。ロンドンに支店を持つ旅行会社に調べてもらったが、はっきりしなかった。雪が心配だったので、現地入りしてからレンタカーを借りることにした。(気に入ったところでのんびりしたい、というのが一番の旅の目的だった私たちは、結局のところレンタカーを借りなかった)

ロンドン・ヒースロ空港からモートン・イン・マーシュに入り、スノーズヒルに。ここまではずっと雪景色だった。娘は緑のコッツウォルズを夢見ていたので、ず~とがっかりしていたようだ。そんな矢先、スタントンで緑地が見られたのだった。
「私の中のコッツウォルズは、この緑のイメージだったんだよ」
娘の顔がほころんだ。