そんなにもあなたはレモンを待っていた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとった一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トハアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱっとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの手の力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山(さん)てんでしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まった
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
-高村光太郎の詩集から-
光太郎の詩のなかでも
この「レモン哀歌」は
とくに好きでした。
よく暗誦したものです。
昔は、深く意味を考えることもなく
読んでいましたが…。
身近な大切なひとたちが
次々と旅立っていくと
言葉のひとつひとつが
じんわりと深く
胸にしみてきます。